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とある海沿いの町の新盆メモ。

母方の実家は紀伊半島の某海沿いの町だが、そこでのお盆の様子をスケッチしたのを置いておきます。また海辺の町ならではのお盆の昔の風習も聞けたので、これもメモしておきます。


⑥について追記。

昔は初盆の時、親戚が一つ一ついろんな灯籠を持って初盆の家に参りに行った。私が小学校の時の記憶でも、もう少しいくつか灯籠があった気がする。その時の灯籠は、浜辺へ持って行って、皆で焼いた記憶がある(今はしていない)。

しかしもう一昔前は、焼かずに流していたという。

新盆の家の人は、小さな木の船を作った。
16日になると、各家々から頂いた灯籠をその木の船に乗せて飾りつけた。
親戚、いなければ近所から若い衆(若い男性)が選ばれ、その船を両側から皆で支え、泳いで沖まで持っていった。母が小さい時、まだこの風習は残っていたという。それは昭和の中頃だから、男たちは海パンを履いていて、なんだかそのエモーショナルで土俗的な感じと乖離した印象があったとのこと。当然、もっと昔は褌とかだったんでしょうけど。

夕暮れ時の海に、男たちが無言で船を沖にまで運んで行き、小さくなっていくのを覚えていると。あれを見ると、本当に死んだ人は海の向こうに行くんだな、と思ったと。

母の小さないとこが死んで、その初盆の時。
叔母(その死んだいとこのお母さん)が、沖に向かっていく船を見送りながら、浜辺で崩れ落ちて号泣していたのを覚えている、とのこと。「子供が海に帰っていくのは、どんなに辛かろう。あんなふうに沖へと連れられていく船を見たら本当に遠くへ行ってしまうように感じるのだろうと、小さいながらに胸がいたんだ」とのこと。


私の大学のゼミの先生(以前に漫画に描いた万葉集の先生ですね)は、
「ひとつの祭りがなくなると、なくなるのは祭りだけじゃない。それに連なる何十もの風習も消えてしまう」
「あなたの田舎にもそういうのがたくさんある。環境面への配慮や、やはり手がかかる、面倒だというので風習が無くなっていくのは、時代の流れで仕方のないことでしょう。」
「でも風習は走り書きでも残しておかないと、本当にこの世から煙のように消えてなくなってしまうんです。後から誰も思い出せな苦なる。」
という話を在学中幾度となく繰り返していた。

なので私は、別に研究者でもなんでもないんですが、せっせと生活をスケッチしたりメモで残しています。皆さんも今年のお盆の様子を、ちょっとメモしてみはいかがでしょう?

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