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終着点 - Terminal -

中学生の時に10年後の自分に宛てた手紙みたいなものを書かされた記憶がある。
そんなものどこに消えたかわからない。
何を書いたかなんて覚えていない。

当時の私は学級委員長を務め、部活動の部長をこなし、学年上位の成績を修めていた。。。真面目ちゃんだったのだ。

第一志望の高校に入り順風満帆のように思えた。

しかしそこから狂い出した。

自分よりも明瞭で成績優秀な人がいること。
部活動では自分よりも運動神経がある人がたくさんいて、中学では部長だったくせに二軍落ちしてしまった。何にもやる気が起きなくなってしまった。

学校に通うのが嫌になった私は不登校になり、高校を辞めて大検を取ろうかなと思っていた。勉強は嫌いではなかったけれど、「点数」という形で比較されることにうんざりしていた。

高校を中退することはなかったけれど、大学では変わろうと思い、高校3年生の時は1日平均で16時間勉強していた。受験のプレッシャーは辛かったけど、初めて周りを気にせず勉強できたことが嬉しかった。。。

予備校に通うこともなく、現役で志望していた大学に入れた。


これで変われると思ったら、また大学で周りと自分を比べてしまう。。。

自分より頭がいい。才能がある。センスがある。
嫉妬と焦燥感は頭の中にこべりついて離れない。
自分が腐敗していく。。。

課題がうまくいかなくなって、心を病み、留年してしまった・・・
親に申し訳ない。こんなにも自分ができない人間だなんて認めたくない。
学校に行きたくない。自分が志望してきた大学なのにやめるのか?と焦る。


最後の卒業課題で、心がぶっ壊れた私は、精神に異常をきたしてしまった。

幻覚と幻聴に苛まれた私は、半年間という長い歳月を精神病棟の中で過ごした。。。

暴れてしまうので全身拘束されたり、これ以上は投与できないという量の薬で、無理やり抑えこまれていた。。。

そんな生活を終えて退院した直後の私は、「廃人」という言葉がぴったりだった。
生ける屍とは、こういう人のことを言うんだろうな。。。

目の焦点も合わない。手が震える。風呂や食事が一人では満足にできない。倦怠感が襲い、一日中寝ていることしかできない。。。


さらに1年経って、ようやく外に出られるようになった。
友だちと会っても、大丈夫な精神状態になった。。。
障害者手帳のおかげで、美術館や映画館に行き、心にゆとりが生まれるようになった・・・

ああ、ようやく考えられるようなってきて気持ちが戻れたなと思ったが、ふと俯瞰して自分を見つめてみる。

気づいたら「にーと」になっていた。


2年間もの間、社会と断絶していて、収入も何にもない・・・
資格も知識も経験も何にもない。

同級生はみんな責任あるポジションについていたり、結婚したり、社会的なステップを踏んでいる。。。

ポツンと取り残されてしまった。


何回逃げてきたんだろう・・・
どうしてこんなにも人生がうまくいかないんだろう・・・


ここは終着地点。。。

おんぶにだっこの義務教育はとうに終えた・・・

あとは自分で歩いて生きていく。


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