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ゼロ歳のような2日間

我が家に帰ってきた。
久々の家族との時間、久々のうちのご飯、久々のお風呂、久々の我が布団、久々のすべて!

当たり前のように得ていたことが、新鮮で、なんと幸せなことだったのか、と、いちいち感動している。
3日も経てば再び日常となるのだろうけれど。

何より、くつろげる自分の家があるって!
好きなときに好きなように、着替えたりトイレ行ったり、食べたりお風呂に入ったりできるって!

定食屋さんに行った!
スーパーに行った。納豆と豆腐が安いよ!
自家製味噌、梅干し、醤油の美味しさ!

涙が出そうだ。

そしてそして何よりも(何よりが二度目だが)
夜中目が覚めると横で子どもたちが寝ているって!
朝起きたら、ママーって、くしゃくしゃの髪の毛で、眩しそうな目をして、よだれがついてちょっとお口もくさいけど、抱きついてくる子どもたちがいるって!

私は離れてみて、帰ってきて、子どもを3人産んだことに感動している。

離れたことで、改めて好きな所を見つける。
離れたことで、大切なものを再確認する。
離れたことで、新しい世界に出会い心が広がる。

この、再びここに居て、すべてがここにあるという感覚が、とても不思議だ。

まるで一度死んで、戻ってきたかのようだ。
私が居ない間に、子どもたちはすごく成長していて、それにも驚かされる。
同じ母と子なのに、すごく新しい感覚でその関係性が目に映る。

そして夫も、家事をテキパキこなしていて、私は単身赴任から戻ってきた世の中の旦那さんの気分はこんなものだろうか的な気分も味わえている!

これは面白い。
つい、「何すればいい?」とか、「これどこに置くの?」とか、私が決めていたようなことも、ちょっと変わっていたり、いや、それよりも私はすっかり忘れてしまっていて、完全にオクテになっているのである。

そして今の私には、料理をする勇気がないなんてことに気づいたのだ!

怖いと思っていたひとり旅をしてきた。
知らない場所にてくてく出かけ、どこで眠るかも分からない、誰と出会うかも分からない、そんな日々に飛び込んで帰ってきて。

そうしたら、今は家族のためにご飯作ることが、出来ないかも、なんて言っているのだ。
そればっかりしていたのに、今度はそれを、出来なかったらどうしよう、なんて感じてしまうのだ!

この変化が面白いし、愛おしい。
そして今夜、またその新しい恐怖(ご飯を家族に作ること)は、克服する予定で、明日には新しい私が居るだろう。

ひとの心、習慣、生き方、ものの考え方、
全部全部、流動的だ。

生きていくことが、楽しみで仕方ない。

そんな感覚を、私はこの歳になってはじめて得ている。

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