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僕は二次創作を書きたい

二次創作が好きだ。絵も、漫画も、小説も大好きだ。
好きな作品に対しての(不純なものも含まれるが)愛を表現する創作物たちはこの上なく愛おしい。キャラクターたちの言動に対する解釈、それを表現し描写した行動により紡がれる新たなストーリー。土埃から大火災を想像するような関係性と巨大な感情。描かれたパーツの画素数は沸る思いの数値だ。
何を書いているのか自分でも分からないが、ともかく生まれた妄想を創作物として生み出す創作者たちに心から敬意を表し、毎日作品を楽しんでいる。

10年前のことだ。二次創作に長く触れていくうち、自分でも何か書いてみようかという気になった。その時微かな情報から多大な想像が広がるカップリングがあったので、試しにキーボードを叩いてみた。ほんの数百字、妄想をそのまま口にしたモノローグのようなものが出来上がった。そんなものでも書き上げてみたら達成感を覚え、次から次へと攻めから受け、受けから攻めへの思いや感情を書き連ねた。物語というにはあまりにも断片的で稚拙だが、それでも私にとって愛おしい二次創作が生まれた。せっかく書けたので、誰かに見てもらおうとウェブサイトを作成した。ネット上で配布されていたテンプレートを少し弄ったものだったが、一国一城の主のような気分になったものだ。その中に、自分の生んだ二次創作をアップロードした。ジャンルのサーチエンジンに登録すると、何人かから感想が届いた。それがとても嬉しくて、また書きたいものを書いていった。同ジャンル、同じキャラクターを描いている神とも繋がりメッセージのやりとりをした。それだけだったら幸せだったのに。
つい、外を見てしまった。私の文章は短く、稚拙で、たまにしか感想が来ない。他のサイトは物語が何枚にも、何千字にも渡って展開され、掲示板は賑わい、同志たちと毎日盛り上がっていた。ジャンルには王道とマイナーがある。明らかに私の好きなキャラクター、好きなカップリング、好きな関係性はマイナーで、その素晴らしさを表現するには、あまりにも私のスキルが足りなかった。かといって、王道とされているキャラクター、カップリング、関係、それからその描写に追随する気も起きなかった。本当なら、好きなものに対して正直に愛を表現し続け、強くなるべきだった。私は自分の萌えに自信を無くしてしまった。負けたのだ。
そして好きな作品について妄想をすることすら辛くなり、私はオタクを止めた。シリーズ自体はずっと追っていたものの、自らの抱く萌えを表現する気力がなかったし、そのスキルをそもそも持ち合わせていなかった。だけど諦めきれず、たまにメモ帳へ妄想を書き出した。詩のようなものだ。それしかできなかった。
ある時、お題サイトを眺めていると、強烈に惹かれる言葉を見つけた。そのワードから、好きなキャラクターたちが動く世界を覗くことができた。ようやく書きたいものが見えた。言葉が溢れ出た。書きたい文章をただひたすら書き、組み合わせ、並べ替え、整えた。完成した際、私は自分の生み出した物語に対して、ただ純粋に感動した。私の中にまだ言葉が残っていたとは!作品として生み出せるほど、妄想を文章として表現できたとは!SNSに作品をアップロードすると、瞬く間に高評価が付いた。驚くほどの人数からブックマークされた。自分の作ったものが認められたのだ。その嬉しさは今でも忘れられない。

そんなこんなで結局、まだ私は二次創作を書くことを諦めきれていない。言葉を連ねるほどの発想、妄想はたまにしか生まれない。想像が発展しない時に書き連ねる文章は無味乾燥だ。それでも生み出せた時の、評価された時の喜びが忘れられず、今も書くことに執着している。書くことが思いつかなくても、上手く書けなくても、あの時偶然生まれた産物をまた生み出したいと願い続ける。多分、私は二次創作を書く才能がないのだろう。だけど、自分の中に芽吹いた発想を、関係性を、表現する行為を諦めることができない。一種の執着かもしれない。
私は二次創作を愛している。同時にそれを生み出せる創作者に嫉妬している。それはもう仕方がないし、自分はそういう人間なのだと諦める他ない。
萌えという名の愛で世界を作り出す。関係性を紡ぐ。それを表現する、できる二次創作というものを、結局のところ深く愛しているのだ。

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