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夫婦あるある?

母が観ていたのでいっしょに鑑賞「恋妻家宮本」。
いや、うちの母映画が終わるまでずっと「恐妻家宮本」って間違えてましたから。中盤、どう考えても恐妻の要素が無いな…と思って、終わってタイトルみたら…「恋妻家」じゃん!重松清じゃん!どおりでいい話なわけだよ。

※Filmarksより

授かったことがきっかけで学生結婚をした宮本夫妻。息子が社会人になり家を出てから、夫婦の間に初めて訪れた「二人だけの時間」に戸惑う日々が始まった。ある日宮本は、妻の署名が入った離婚届を発見。それはどうやら妻が隠していたものらしく…


というお話。

夫婦って、いちばん近くにいていちばん分からない存在なのではないかな、と思ってしまう。近づけば近づくほど分からない、そういうものでもあるんじゃないかな。

夫婦だから知ってて当たり前、家族だから分かってて当然。「夫婦」とか「家族」という言葉に「だから何もしなくても通じてる」っていう勘違いが伴いやすいけど、同じ空間に、別人格の人間が共同生活していくんだもの、お互いの努力や譲り合いがあってこそ、家庭も成立するものなんだと思う。

二人が夫婦になって、子どもが産まれて家族になって。仕事も育児もと忙しくなったりすると、どうしても伝え合う時間がなくなってしまう。それが習慣化してすれ違いが日常的になる。

なんとなく夫婦の時間を後回しにして、その結果最終的には「隣にいるのにまったく解らない人」という夫婦関係が出来上がってしまうような気がするな。

そして本作で特に印象的なのは、自分勝手に解釈する宮本の姿。妄想とか被害妄想とかで、勝手に変な方向に行っちゃう。(ま、妻もそうだったんだけど)誤解や思い込みやすれ違いで。

いつのまにかお互い、一番近くにいて一番遠い存在になっちゃう。夫婦にはよくあることなのではないかな〜。と思ったりしたのでした。



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