推しすぎて「推し」って呼べない超特急ユーキくんのこと。
いつかは書くだろうと思っていた。ユーキくんのこと。
その「いつか」はどうやら今日だったらしい。
超特急やユーキくんだけを書くのは別の媒体に、と今まで決めていた。8号車(超特急のファンの呼称)である自分と、8号車という属性を取っ払って創作する自分を分けたかった。また、ユーキくんへの思いをぶつける文章がこのnoteの場に需要はあるのか、疑問に思っていた。
だが、8号車の自分と創作する自分の境界線は、予想以上にあやふやだった。超特急やユーキくんのことを書いていても、純度100%に彼らの魅力を紹介できるわけじゃなく、自分の人生観と結びつけて書いてしまう。逆に、超特急以外の話題を書いている時、どこかで必ず彼らのことを考え、自分にしかわからないような超特急要素を文章に付け足してしまう。
それほどまでに、超特急が大きな大きな存在なのだ。特にユーキくんは、何にも例えられないほど鮮烈で、格別な存在なのだ。私にとって。
「超特急抜きに私の生活や創作は語れないけれど、果たしてnoteで呼んでくれる人はいるだろうか?」ずっと疑問だったが、今日こんなハッシュタグを見つけた。
とうとう来たかと思った。今日を逃して、いつnoteでユーキくんを語れるというのだろう。今日だ、今日しかない。
はてなブログではめちゃくちゃオタク的なことを書いていますが、noteはnote仕様で書いていきます。ではしばし、お付き合いくださいませ。
ユーキくんを「推し」って呼べない。
いきなり「いい推しの日」と真っ向から対立することを言っている。ここしばらくの間、私はユーキくんのことを「推し」とほとんど呼んでいない。
もう超が5つ付く面倒臭いファンであることを百も承知で言う。
「推し」と呼べないのだ。その呼び名が少し、怖いから。「推し」と呼んでしまった時の、あの大衆性というか匿名性というか…この世界に溢れかえっている、ありとあらゆるジャンルの「推し」たちに紛れてしまう感じ。それをなんだか勿体無く感じてしまうのだ。
よその人が私を見れば、超特急のユーキくんという人を推している20代の女でしかない。たっくさんの5推し(彼は“5号車”なので、ユーキくんのファンはこう呼ばれている)の中のひとりだ。
でも私にとっては、ユーキくんはユーキくんだ(当たり前)。推しである前にユーキくんで(当たり前すぎ)、ユーキくんじゃなければいけなかったのだ(犯罪の匂いがしてきた)。星の数ほどいる中から選ばなきゃいけなかったのは、他の誰でもないたったひとり、ユーキくんだったのだ(通報を恐れないで書こう)。
こんな支離滅裂な言葉の並びから伝わるだろう。出会わなかった人生が考えられないほど、かけがえのない存在ーー彼のことをそう感じている。
だから容易く、「推し」と呼べないでいる。「推し」という言葉に当てはめるよりも、そのままにユーキくんと呼びたくなってしまうのだ。
ユーキくんを推している理由、1つ挙げるとしたら。
では、そんなにも推してしまうのはなぜだろう。つり上がってキツいようにも見えるのにクリクリとした可愛い瞳、意志の強い眉毛、億単位でオークションにかけられる名画を残した画家が描くよりも美しい鼻筋…いよいよ気持ち悪さの真骨頂を見せて大変申し訳ないのだが、ユーキくんの顔はギャンブルだ。一度魅力に気づいてしまうと中毒になる。小がつかない悪魔である。
推している一番の理由は、そんな彼のルックスだろう。ここで潔く白状します。
じゃあルックスがユーキくんで、中身がユーキくんじゃない人を推すかというと、きっとそうではない。元気が欲しい時、即効性があるのはルックスだけれど、ずっと心に残って、辛くなるたびに思い出すのは、彼の立ち振る舞いや生き方、言葉だ。
ユーキくんはいつも、貫いている。仕事でも、人付き合いでも、自分自身に対しても。何かずっと一貫しているのだ。
どんな場面でも、超特急の先陣を切るのはいつも彼だ。毎回演出に携わっているライブも、いつも挑戦の姿勢を崩さない。一貫して鬼のセトリを作る。メンバーの意見も聞きながら、「超特急にとって大事なことは何か」という視点で、ライブを作り上げる。
他人への前向きさを貫いている。元々人見知りなはずなのに、その痒いところに手が届くような人柄が、他人を惹きつける。色々な人と話して、自分ひとりじゃできないことをやりたい、という意欲がいつも感じられる。
いつも自分に素直で、謙遜はするけれど自己否定はしない。「ドジっ子担当」らしく、どんなにドジをしてもありのままでいる。いやきっと、本人は直そうと努力している感じがするが、努力だけでは抑えきれない天性のドジなのだ。だから私たちは何かミスすると「今私はユーキくんだったのね、しょうがない」と開き直れる。
その時その時でユーキくんは色々なユーキくんを見せてくれるけれど、自分という基礎がしっかり出来上がり、貫けているのだ。だから私は、彼を推している。
きっとユーキくんは、信じることができる人なのだろう。
あの日の地面を覚えていますか。
この記事を書くにあたって思い出したことがある。それは、ユーキくんがおそらくまだ中学生で、大勢で路上ライブしていた時のこと。20人くらいの男の子たちがずらりと並び、歌い、踊っている。正直、学校祭の発表と言われそうなクオリティで、遊びの発展でその場にいる、という子もいる雰囲気だった。
その中に、端の方だがひときわダンスの上手い、キレッキレの少年がいた。それがユーキくんだった。けして目立つポジションではないけれど、わずかなチャンスを物にしようと体を目一杯動かし、貪欲に踊っていたのだ。
そして、ライブが終わる。みんな一斉にお辞儀し、撤収しようと動き始める。そんな中でもユーキくんは、頭を上げることなく、お辞儀し続けていた(のちに超特急のメンバーとなるリョウガくんとは幼馴染で、この日のライブでも隣で踊っている。生真面目に頭を下げ続ける彼に「え…ちょっ、おま、笑」と感じつつも一緒にお辞儀してくれる、優しいリョウガくんなのであった)。
最近、ユーキくんは昔の自分について「ダンスが得意なのに中々発揮できず、燻っていた」と話している。
幼い頃から事務所に入れるのは恵まれた人と言えるけど、恵まれた人にもその人なりの苦しみがある。
それでも腐らず頑張っていたから、今のユーキくんがいるのでしょう。私もユーキくんに出会えたのでしょう。よかったね、ありがとう。
ユーキくんの108の煩悩。
ライブでユーキくんは必ず、「夢」を語ります。現状に満足することなく、喉から手が出るほど欲深く、ぐんぐん進み続ける彼が、私は大好きです。悟りを開くのは年を取ってからでいい。若い頃は欲にまみれていきましょう。除夜の鐘を叩き終えたら、また新しい欲望を見つける、それくらいの勢いで。
ユーキくんがいるから、私は進み続けることができるのです。
※11月14日追記ーー「大勢での路上ライブ」、ユーキくんは中学生ではなく高校生でした。端っこではなく割と目立つところにいました。でも、誰よりも長く最後まで一礼しているのは本当でした。
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