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【短編小説】一方通行【愛は犬】


   一方通行


 愛は犬の名前だ。当時の私は愛に飢えていたのだろう。いや、今もそうなのかもしれない。ともかく私は自分より弱い存在に愛という名前をつけて、かわいがることで自尊心を保っていたのだ。手取り十万ちょっとの底辺アルバイターに犬を飼育するだけの財力はなく、私は愛のために仕事を増やした。当然、愛とかかわる時間が少なくなる。それでも愛は私によくしてくれていた。いつも通りにご飯を食べて、お水を飲んで、私と夜の街を散歩した。私は愛のために光る首輪を買ってやった。夜の散歩は危ない。人の存在は見えても足元を歩く愛の存在にまで気が付かない。ぴかぴか光る首輪をつけていても愛はかわいかった。短い尻尾をふんふん振って、私と道を歩くのだ。
 ……世の中の情勢は愛に冷たかった。私にも。
 上昇した物価は私たちの生活を容赦なく抉る。日に日に貯金が減っていく。お金が足りない。仕事も。
「このご時世だから、シフトをちょっと減らさせてもらうね」
 という店長の言葉に私は逆らえなかった。どこだって大変なんだ。私も。店長も。愛も。
 生活が回らなくなってペットを手放す人がいる。無責任だと怒る人がいる。よく決断してくれましたとほめてくれる人もいるけれど、結局その人だってはらわたの中では同じことを考えているのだ。
 ――最後まで責任をもって飼えないかもしれないのに、どうしてペットを飼ったのですか。
 知らない。そんなの知らない。私には愛が必要だった。ただそれだけ。
 愛はしっぽを振っている。短い尻尾がふんふんと揺れている。何かうれしいことがあるのだろう。ご飯がおいしいとか、散歩がたのしみだとか。私はどうだろう。尻尾をふんふんと振ってしまうくらいに喜びを感じたのはいつだっただろうか。
 今日も私は半額のお弁当を食べる。愛はいつものドッグフードを。そして私は狭いベッドで丸くなって眠る。明日もバイトだ。休みなんてない。どうせやることなんてないし、息をするだけで金がかかる世の中で道楽にうつつを抜かす余裕などない。
 微睡みの中、愛が私の布団にやってくる。私の腹の辺りで丸まって眠る。私は身体をくの字にして、大嫌いな朝の到来を待つ。
 愛。私のほしかったもの。なんの見返りもなしに、誰かに与えたかったはずのもの。もう手放さない。もうなくさない。
 ――もう、誰にも渡さない。




 シロクマ文芸部「愛は犬」より




気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)