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【超短編小説】背伸び

 手帳を一冊買った。使い道のない文房具に役割を与えるためだった。僕は職場と自宅の往復以外のイベントがない人生に手帳を買ったのだ。もしも人生のRTAが開催されるとしたら、僕の辿る物語は理想通りのチャートなのかもしれない。
 僕は滑らかにボールペンを奔らせて、有給休暇の予定をひとついれた。しかし他の予定がない。日曜日にスーパーに買い物に行くとか、そういったことしか書くことがないのだ。僕は本当に些細なことを書いていった。
 手帳の終盤のページには、世界の出来事を記載する欄があって、僕はそこに最近見たニュースのタイトルを書いた。有名人の訃報や応援していたチームの準々決勝敗退のことを書いた。他にも今年見た映画や読んだ本について記載する欄があって、僕は街の映画館のことを考えた。アメリカで作られた映画が丁度上映中だったので僕は手帳のネタのためにそれを見に行った。が、それはどうやら続き物だったらしく、僕は登場人物のことをあまり理解できないまま、意識をゆっくりと失っていった。目が覚めたとき、世界の危機は既に終わっていて、ヒロインと主人公が熱烈なキスをしていた。僕はエンドクレジットが流れる映画館を後にした。「今年見た映画」の欄に僕はその映画のタイトルを記載したが、感想の欄には寝てしまったと書いた。
 手帳を使えば使うほど、僕の人生は空っぽだと思い知る。本を読んでも映画を見ても慣れないカフェに出向いても人生の空白が埋まることはなかった。僕は趣味を探すべきだと思った。しかし趣味にしていた水彩画は「お前よりこっちの人が上手いよ」と友人が見せつけてきた高校生ユーチューバーの動画を見てから一切描けなくなってしまった。描くどころか水彩画を見ることにも抵抗がある。水彩画に一切罪はないというのに、だ。
 僕は書店に行くとき、必ず美術関連の書籍が並ぶ場所を確認する。その本を見てしまうと僕は僕の価値を完全に見失い、正真正銘の迷子になってしまうからだ。僕が人間の姿を留めていられるのは、水彩画と一切の縁を切ったからに他ならない。
 結局、僕は興味の無いカフェに入り並びたくもない列に並び飲みたくもないコーヒーを買ってMacBookを開く男の隣の席についた。
 僕はこれでよいのだろうかと考える。
 今日も僕の人生は空欄だ。
 ぽっかりと穴が空いている。

 ――文房具は暇そうに筆箱の中で眠り続けている。

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)