見出し画像

【超短編小説】ぼくのミニカー【走らない】

   ぼくのミニカー

 走らない車を大事にとっておいてある。車、といってもホンモノではなくて、子供が遊ぶミニカーだ。本当であれば、ぜんまいをカリカリ回してあげればタイヤがくるくる回って勢いよく走っていくはずだった。だが、僕の車は走らなかった。ぜんまいとタイヤの間にある装置かなにかがうまくかみ合っていないらしかった。
 お母さんはすぐに返品しようとしてくれたけど、僕は走らない車で大事に遊んでいた。
「ツトムが気に入っているなら、いいじゃないか」
 お父さんがそう言ったので、走らない車は僕の手元に残っていた。
 ただ、しいて言うなら僕はこの車を気に入っているわけではなかった。
「あら、うまく動かないの?」
 お母さんがそう言ったとき、僕はおもちゃの車に僕を重ねたのだ。僕はいわゆる落ちこぼれだった。勉強ができなかった。みんなが九九をすらすら言える頃になっても、僕はまだ七の段が上手く言えなかった。
「普通の子だったらできるのにねぇ」
 おばあちゃんが僕を心配そうにのぞき込んだ時、お父さんが烈火のごとくおばあちゃんを怒った。お父さんがあんなに怒るのを僕は初めて見た。お母さんが「二階に上がって遊んでて」と言ったので、僕はおとなしく従った。ドキドキしていた。見てはいけないものを見たときの高揚の中で「普通の子」という言葉が僕の胸をチクチクと傷つけていた。
 僕は普通ではないのかもしれない。悪い意味で。
 だから、ミニカーが走らなかったときに僕は思ったのだ。このミニカーも僕のように、「普通の車だったら走れるのに」って怒られていたのだろうか、と。

 ミニカーは僕の机に今も飾られている。走らないどころかついに塗装も剥げてしまって、見るも無残なありさまだ。だけど僕はあれから算数を克服してなんとか授業についていけたし、結果として大学だって卒業できた。普通というよりただの平凡な人間かもしれないが、あのときの胸の痛みはもうどこにも残っていない。
 ミニカーは相変わらず走らない。
 走らないけれど、まぁ、それでもいいじゃないか。



 シロクマ文芸部
 「走らない」より。

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)