見出し画像

【短編小説】踏み台のいのち

   踏み台のいのち

 金魚鉢にネコが居た。友人の家でのことだった。開けっぱなしの窓から入ってきた野良猫が、金魚鉢の中で泳いでいた金魚を食うために飛び込んだのだ。先日のお祭りで、友人は金魚を五匹も掬った。友人のお母さんは「こんなにいっぱいもらってきて……」と困り顔だったが、友人は自分のお小遣いで道具一式をそろえて、五匹の金魚を飼い始めた。そのうちの二匹は一週間後に死んでしまったので、今は三匹の金魚を飼っているはずだった。
 私も唖然としたが、友人は悲鳴を上げた。それもそうだ。この野良猫――いや、バカネコと言うべきかもしれない。バカネコは金魚鉢の中に頭を突っ込んで、半分溺れていたのだから。
 友人は慌てて金魚鉢を割った。まだ無事だった一匹が部屋に投げ出されて、ぴちぴちと自らの危機を飼い主に伝えた。階段を上ってくる音がして、友人のお母さんがやってきた。彼女も悲鳴を上げた。友人にそっくりな悲鳴だった。親子というのはこういうところでも似るものらしい。ネコはぐったりとして動かなかったが、金魚はまだぴちぴちと動いている。水の入ったバケツか洗面器を持ってくれば助かるかもしれない。
「ねぇ、金魚……」 
 私が口を開くと、友人は鋭く叫んだ。
「そんなのどうだっていいでしょ!」
 そこに友人のお母さんが、タオルと洗面器を持ってやってきた。悲鳴を上げてびっくりしていたわりには冷静だった。洗面器の中には水がある。私は慌てて金魚を拾って、水の中へと放してやった。
「ちょっと、何してるのよ!」
 友人が怒鳴る。
「それはネコちゃんを看病するためのものでしょ!」
 私は無視した。水の温度は冷たかったし、友人のお母さんが友人のことを叱ったのでやはりこの水は金魚用なのだ。金魚はしばらく弱々しい動きで洗面器の底を泳いでいたが、腹を見せることなく泳ぎ始めた。私はほっとした。一方のネコも息を吹き返したらしい。洗濯物用のネットに入れて、これから動物病院らしい。
 私は「レントゲンを撮るのかな」と思った。レントゲンを撮ったら、あのネコのお腹の中に金魚の骨が写るのだ。まるでネコの胃の中を泳ぐかのようにして、金魚が二匹。友人はネコを飼うつもりでいるらしい。元々動物好きで、とりわけ彼女はネコが好きだった。
 ……いくら好きだからって、自分の大事な金魚を食ったネコを飼う気になるものなのだろうか。私には分からない。

 結局金魚は数日で死んでしまった。あのネコは友人の家で飼われている。私が遊びに行くと、まるで何の罪もないような顔をして「にゃあん」と腹を見せてくる。友人は友人で「私とエカチェ(ネコの名前だ。正式にはエカチェリーナと言うらしい。百科事典を適当に捲って出てきた人の名前から取ったそうだ)を、あの金魚たちが引き合わせてくれたんだね」と言って笑っている。その度に友人の母が「渚、」と友人の名前を呼ぶ。友人を咎めるニュアンスがあるが、友人は鈍感なのか、それとも気づいていないのかは分からないが「はぁい」と呑気な返事をする。
「ねぇ、良かったら撫でてあげてよ」
 友人に言われて、私は渋々エカチェの腹を撫でた。エカチェは「にゃぁん」と鳴いて、身体をうねうねと動かした。媚びる、という文字が私の脳裏で嫌な焼き付き方をする。私はエカチェが気持ち悪くて仕方なかった。そして友人のことも。金魚鉢が割れた場所に寝転ぶネコを、鷹か何かが狙ってこないかなとも思った。子猫だったらカラスが食ってくれてたかもね。そうしたら友人はカラスを飼うのだろう。「私とカラスを、エカチェが引き合わせてくれたんだね」とか、そんなおぞましいセリフをもう一度吐いたりして。



シロクマ文芸部
「金魚鉢」より

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)