見出し画像

【短編小説】二十代目のXXXX

 よくやれるなぁ、というのが正直なところである。
 世はソシャゲ戦国時代。黎明期に運よく生き残ったゲームもちょっとした仕様変更であっけなく沈み、後出のソシャゲに飲まれていく。E子の好きなソシャゲも斜陽がギラギラ輝いている。残ったユーザーは盲目的な信者か拗らせたアンチ。そんな中、そのどちらにも属さないのが友人のYである。
「あー、クソゲー! でもXXXXよりはマシ! XXXXよりはマシ!!」
 ……ソシャゲ戦国時代に生き残れなかった他ゲーと比較して、「まだマシ」という催眠を自分にかけるのである。そのために配信開始したソシャゲを片っ端から触って、推しゲーよりも酷い、だから推しゲーがマシだという悲しい思い込みをするファンなのだ。
「楽しい?」というE子の問いに、Yは「んなわけないじゃん!」とげらげら笑いながら答えた。
「E子だってやめてるじゃん。そういうことだよ」
 E子は「年に一回はログインしてるけど」という反論を投げようとしてやめた。課金もプレイもやめてる顧客など最早顧客でもなんでもないのだ。復帰ボーナスでもらった課金石の貯蓄は既に二千を超えている。昨今のソシャゲはガチャ一回で消費する石の量が二百とか三百とからしいが、黎明期ソシャゲのこちらはガチャ一回につき五個の石、十回回すなら四十五個に割引、という形である。E子の貯蓄が如何にすさまじいかお分かりいただけることかと思う。そういう意味ではクソクソ言いながらもきちんと遊んで金を投げているYの方が優良顧客だろう。
「でもやっぱり、かつて一世を風靡した名残はあるんだよね。実際XXXXよりはマシだし」
 そう言って彼女はクソゲーに片脚をねじ込んでしまった元・覇権ゲーに向き合う。E子はYの情熱をあまり理解できない。そもそも、初手で大コケしたソシャゲとご丁寧な比較をしたところでむなしくなるだけではなかろうか。一度玉座に腰かけたソシャゲの末路としてはあまりにも散々な状況である。
 Yは情熱を注いでいた。推しソシャゲを貶すためのソシャゲ発掘に余念がなかった。彼女の賢いところは初動を観察するところにある。ネットで明らかにクソだと言われているものにだけ手を出す。バナナクレープにバナナが入っているのが当たり前なように、クソなソシャゲはクソなのである。彼女の「XXXX」に入る文字があれこれ変化する中、E子はそのソシャゲを調べるだけに留めた。イラストがキレイだったり、PVで使われている音楽が美しかったり、決して手は抜いていない。みんなに愛されてほしいという念で作られたはずの作品は、どれもこれもゲーム性がクソだのUIがクソだの絵がクソだの言われてこき下ろされる。かわいそうだなぁと思いつつ、E子だって大好きなソシャゲを「大型更新後の運営方針がクソ」とか言って見捨てたクチだ。

 ほどなくして、Yは二十代目の「XXXX」のアンチになっていた。
 二十代目のXXXXは正直E子もハマっていた。かつて好きだった推しソシャゲと近しい雰囲気の世界観に、シンプルで奥が深いゲーム性。初動は躓いていたのだが、アップデートで一気に遊びやすくなった。それがYにとってはダメだった。なぜならYにとってのXXXXは推しソシャゲとの比較対象で、推しソシャゲを上げるための踏み台でしかなかった。
 しかし現実は残酷である。周りで推しソシャゲを遊んでいた人々が、みんな二十代目のXXXXに流れていく。「XXXXよりはマシ」が「XXXXの方がマシ」になった瞬間である。
 そもそも、比較するまでもないが。
 Yは今日も二十代目のXXXXを叩いている。とっとと二十一代目のXXXXを見つけて「XXXXよりはマシ」と言いながら時間を無駄に過ごしてくれないだろうか、とE子は思う。しかしそれを言うことはしない。価値観など人によって違うのだから、それにどうこう言うのは野暮だ。かつての推しソシャゲは復刻イベントを連発し始めた。もうじき決算の時期がやってくる。サービス終了の告知が来るならこのあたりだろう。
 E子は少しだけ心の準備を始めた。でも、今ならきっと晴れ晴れとした気持ちでかつての推しソシャゲとお別れできる気がしている。

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)