ボク、頭良いから

 重そうなパンパンのTUMIバッグを抱えてSさんが現れた。あのバッグには何が入っているのだろう?看板屋の営業だから材料のサンプル集とか、既製品のカタログとか入れてるのかと思ったら、そういうのはわからないから持っていないらしい。たまに英語で電話をしている時に辞書を出すことがある。中学入学時に買ってもらうような分厚いA5版のコンサイスだ。あんなもの持ち歩いてるのか?

 私は幼い頃からなぜか無線通信に興味があり、叔父から譲り受けた通信型受信機で外国のラジオ放送や短波の業務通信を聞くのが好きだった。物干し台や敷地内に建てられた電話線の電柱を活用してロングワイヤーのアンテナ線を張り、行ってこともない海の向こうの国の声を聞くことにたまらない興奮を覚えた。小学2年頃からそんなものを聞いていたおかげで、ある程度の英会話を聞き取ることができるようになった。ちなみにモールスもかなりのスピードまで解読できる。変わり者に見られるのが嫌なので、あまりこの辺のことを他人に話したことはないが。

 なんとなしにSさんの英語を聞いていると、ものすごくブロークンなアメリカ英語を話していることに気がついた。相手によって使い分けているのかと思ったが、どうもそうではないようだ。日本語で言えばべらんめえ口調に近い。それと鼻にかけた母音を長く伸ばす、ちょっと南部寄りの訛りがあるみたいだ。学生時代に留学し、そのまま居ついてソーシャルナンバーを取得したと言っていたけど、どこに行っていたのだろう?

 このSさんと話をしていると唐突に英単語が飛び出してくる。A.S.A.PとかETAとか省略形の単語が多い。「これやっといて、ASAPで!」なんて言われるとギョッとする。

 そんなSさんの口癖、というか決めセリフは「ボク、頭良いから」だ。頭が良いからこのくらいのことはなんでもないよっていうのが真意の様だけど、言われた方は違う印象を持ってしまう。

 その日現れたSさんは事務所内の内勤者を集め、新事業について熱弁をふるって帰って行った。社長に何か言われたのだろうか?信頼しているのか、それとも義弟だからなのか知れないが、奥さんが割とSさんの肩を持つことが多い。この日も熱弁をふるってまだ赤い顔をしているSさんに「そんな大きな仕事を取ってくるなんてSさんすごいね。」と持ち上げる奥さん。対してSさんは「ボク、頭良いから」と決めセリフを残して去って行った。