なぁまぁたぁまぁご(研ナオコ風)

 Sさんから受ける電話はいつもこんな感じだ。

電話を取るといきなり「撮影の準備して」

自分が誰であるかとか前置きは一切ない。いきなり要件。なんの撮影か問うと「卵。割った卵」

どんな風に撮りますか?なんに使いますか?「卵が落ちるところ。ポスターに使う」

こんな感じで少しづつ聞き出したら、どうも生卵を割り、中身が落ちる様子を、割った手と殻を入れて写真に撮りたい様だ。背景は真っ黒で、手、殻、卵だけに光が当たった写真にしたいらしい。

「ところでM君のカメラのシャッタースピードいくつまである?」

ポスターに使うならフィルムの大きなブローニーサイズのカメラを使いたいが、これだと最高で1/400秒だ。

「それで落ちる卵を止められる?もっと速いの無い?」

35mm版のカメラなら確か1/12000秒くらいだったはず。でも35mmではポスターに使う画質には足りない。そのことを伝えると

「じゃあ小さいポスターにしよう。A4くらいなら大丈夫かな?」

ポスターサイズ変えていいの?そもそも速いシャッターで落ちる卵を止めて撮るというの?設定次第で閃光時間をコントロールできる、ストロボの閃光で止めた方がやりすいと思うんだけど。ストロボの光でも問題無い絵柄の様だし、発色や質感を出すにもその方が都合がいい。ただシャッターを切るタイミングが難しいから、赤外線センサーの通過スイッチでもあるいいな。できれば大光量で連続高速発光できる高価なストロボがあればもっといいけど。

「M君が撮るんだからM君のやりやすい方法でいいよ。そこは任せる」

そう言ってはもらえたけど、どうも話がうまく噛み合っていない。いまいち不安なので、簡単なラフでいいから送って欲しいと伝えると、こっちでラフを起こして送って欲しいとのこと。紙にザザっと絵を描く。殻とそれを持つ手、そこから水滴の様な形をした生卵が落ちる様子を描き、光の方向とかハイライトとかの補足事項を書き込み、スキャンして携帯にメールで送る。

 しばらくしたら、プリントアウトした画像に幾つか書き込みを加え、携帯電話のカメラで複写した画像が送られてきた。と同時にSさんが会社に現れた。訂正箇所は落ちる卵の形。水滴の様な生卵が、縦になった目玉焼きの様な姿をした生卵に変わっていた。皿に乗った目玉焼きを、教室で先生に指名されて教科書を朗読する姿勢で目の前に上げている、そんな様子を想像して欲しい。手は皿を持ち、親指を伸ばして目玉焼きを皿に押し付けてホールドする。そして卵を押さえる指を離す、すると目玉焼きが落下する。ちょうどそんな風に落下する姿に変わっていた。

 生卵はそんな風に落ちないし、その形が重要ならある程度火を通すとかして硬さを出さないと実現できそうに無いことをSさんに伝える。メールで送ってきた画像の原紙を持ちながら聞いていたSさんは不服な様子だ。そして最初に訊いて返答のなかった、なんのポスターなのかを改めて訊くと

「僕の知り合いの息子さんが音楽家デビューする。そのオープニングコンサートのポスターだ。世に生まれ出る芸術家を表現するには卵のイメージが、それも綺麗な形をした卵が一番だと思う」とのこと。

手で割っちゃダメでしょ。生まれてないよ、それ。卵を使うなら、せめて内側からヒナが割った様な穴を作るとか。ありがちだけど。それに子供ならまだしも芸大を出てデビューするなら、卵やヒナではなくせめて若鳥くらいの方が信頼感あると思うんだけど。有料の公演なんだし。

 そんな意味のことを上司に向けた言葉に直して言ったら

「君が撮れないって言うならそれでいい。僕が撮るからいい」と言っておもむろに携帯電話を取り出し、どこかにかけ始めた。

「今日何人いる?これから行くから卵買っておいて。3パックもあれば充分じゃないかな。それじゃ1時間後に」

とみんなの前で大声で話し、後ろも見ないで事務所から出て行った。怒らせてしまったようだ。どうやら自分のスタジオにかけていた様だ。それにしてもこのご時世に、スタッフが常駐するスタジオを持っているなんてすごい。他にも2つあるとも言っていた。レンタルスタジオでも経営しているのだろうかと思ったら、自分専用らしい。

失礼な対応をしてしまったのか?生意気なことを言ってしまったのかと自問しつつ、騒動の間に溜まってしまったカストリとリタック貼りをしてその日は終わった。