新天地へ向けて

 もらった電話で即答してしまい、まだ家族には何の相談もしていない。既に決めてしまった事とはいえ、大いに影響を受けるであろう妻に事後報告というのはなんとも話しにくい。恐れながらと報告し、どんな事態になるかと恐縮しきりだったが、妻はあっさり「そう。いつから?」の一言で済ませてくれた。妻は妻の姉と従業員10名ほどの広告代理店を営んでいる。やはり経営者は肝の座り方が違うのだろうか?

 これまで仕事を出してくれていたクライアントに報告とお詫びとお礼を一緒くたにしたような挨拶を済ませ、ちょうど契約更改前だった結婚式場にも事情を話して次回の契約を辞退させていただいた。そしていちばん話しにくい人たち、式場の撮影スタッフにお別れの挨拶をしてまわった。

 その式場の仕事には苦労を強いられ、その分思い入れも強かった。

 既に他の地方都市で式場を開設していた企業が、私の地元にも施設を置く事になった。そしてその企業に写真担当として入っていたF社が、新設される式場の常駐撮影スタッフを募集する事になった。ただし募集するのは写真撮影の経験がない人だ。そのF社好みの写真を撮れるスタッフをイチから育成して配置しようという、F社としては初めての試みだった。既にF社から委託を受けて撮影をしていた仕事仲間からの紹介で、私がその新人の教育と、施設がオープンした後の現地での監督兼責任者を依頼されたのだ。

 半年ちょっとの教育期間を終え、4つある会場のうち3つが3人の新人達に任された。残り一つは別の地元カメラマン姉妹が専任で入り、会場外でのロケーション撮影をもう一人のカメラマンY氏と私が受け持つ事になった。私たち全員がF社に雇われている形だ。

 式場がオープンして半年間が過ぎ、新人たちが仕事に慣れた頃、ちょっとした騒動が起こった。F社を介して仕事を請け負っていた私たちを、式場を経営する企業が直接契約で雇いたいと言ってきたのだ。


 実は記念写真における粗利はかなり大きい。何しろ仕入れが他の業種に比べて圧倒的に少ない。当時であれば撮影用のフィルムとアルバム、後は原像やプリントなどのコストがかかるだけで、高価に設定されている結婚式場の写真商品価格からすれば材料費の割合は驚くほど少ない。そして撮影代も決して高くはない。間に入っているF社を除くことで更に利益率を上げたいのが目的のようだ。それどころか経営する企業の社員にカメラマン教育を施して欲しいとまで言ってきた。次の排除候補は契約カメラマンのようだ。

 私たちはあくまでF社に雇われている身分であるし、まずF社と経営企業の間で話し合ってもらわないと困る。そしてその話し合い如何によっては、道義上新たな契約形態をお受けできかねることも考えられる。他の式場の仕事がある以上、F社が経営企業とケンカすることはあり得ないとは思うが。


 予想通りというか、やはりF社は私たちの移籍に同意した。新人達は、仕事に対してまだ心細い思いがあるのに個人として契約しなければならなくなったこと、経営企業や式場との折衝も各個人でしなければならないことが非常に不安だという。これまで商品に関わっていた範囲も大きく変わる。これまで使うカットを選ぶまでで済んでいたが、今後は制作を担当していたF社が抜けることでデータ処理からアルバムのレイアウトまでが業務範囲になる。教育期間を終え、やっと思うように自信を持って撮影できるようになったのに、今度はパソコンの操作から覚えなければいけなくもなった。画像処理に耐えるスペックを持つパソコンの購入も必要だし、それ用のソフトも高価だ。カメラは新品ではなく、今まで貸与されていた複数のカメラやレンズ、ストロボなどの機材を安価に買い取れることにはなったが、それでも大きな出費になる。その出費を承諾し、新人全員が残ってくれたことに私は安堵した。


 また教育期間が始まった。パソコンの選定から始まり初歩のパソコン教室のようなことからデータの扱い、画像処理、レイアウトまで、覚えることは山ほどある。なにしろ今度は式場が稼働している。つまり毎週撮影し、平日に作業を覚えながら商品を作らなければいけないわけだ。売り物にならないレベルの稚拙な商品を作るのではないかと危惧したが、思いの外きちんとしたデータを作っている。これまでの各自仕上がった商品を見てきた経験が生きているようだ。ケロっとした顔をしているが、深夜まで講習ノートを見ながら悪戦苦闘していることをご家族から聞いた。


 そんなスタッフ達からあっさり離れるとは、我ながら人情味が薄いと思う。毎年作品をあしらった年賀状をくださるY氏、それぞれ結婚し、母親となった元新人達、双子のカメラマン姉妹みんなで開いてくれた送別会は今でも大切な思い出だ。

そして新天地へ。