げ、限界だ....あぁぁぁぁぁ

 この日は夕方から看板の搬入の手伝いだ。昼間のうちにカットと貼り込みを済ませた内照式の看板に、蛍光灯を取り付け配線をして作業車に積む。長さ2.5mくらいのさほど大きくない看板だが、金属製の枠にいろいろ部品を付けてあるのでけっこう重い。K部長と車に乗って出発だ。

 自動車修理工場の建物正面、大きなシャッターの上に今回の看板をかけることになっている。今日は看板の搬入だけで、明日の朝から鳶職人と一緒に取り付け工事が始まるそうだ。車から降ろした看板を設置場所の下まで運ぶ。丸っこくデザインされた看板なので持ちにくい。重量もそれなりにある。看板の片側を持ちながらK部長が

「Mちゃんさぁ、昔社長とこんな風に看板を運んでたんだよ」

と話し始めた。K部長は私のことをちゃん付けで呼ぶ。職人さんもちゃん付けで呼ぶ。付けないのは社長、Sさん、奥さんぐらいだろうか。のちに入社してくる弟子のN君のことはあだ名で呼んでいた。

「高さ7mくらいのところまで仮設のスロープがあって、そのまま上がって運んでたのね。看板は5mくらいかなぁ。コレよりもっと細くてもうちょっと重かったんだ。」

鉄製の幅広の枠があって、両面に整形されたポリカーボネートのパネルがついた内照式の看板らしい。個人のバイク屋にかかっているHONDAとかYAMAHAとか書いてあるあんなやつだ。

「もう少しで上がりきるって時に社長がさぁ、『け、Kくん、限界だ!』って言うのよ。重くて持ってられないって。限界だって言われてもこっちも持ってるし、仮設の足場だから下ろして置く場所なんてないしさぁ、一人で持てる大きさでもないし、どうしようか焦ってたらえらく甲高い声で『けぇ、Kくん、げ、限界だぁ.....あぁぁぁぁ』って言って手ェ離しちゃったのよ。」

もともと声の高い社長の口真似をしつつ、さらに切羽詰まった悲鳴を再現するK部長。思わず笑いがこみ上げ、手の力が抜けそうになる。こちらとしても結構切羽詰まった状況になりかけている時に、このネタはきつい。指先だけで結構な重さを支えているのだ。それでも「どうなったんですか?」としか聞けない。

「もう大変よ。そのまま手を離すから看板壊れちゃって使えないし、その日はもう現場仕事できないし、デカイ音出すから注目浴びちゃうし。」

工事現場では事故や怪我に非常に敏感だ。事故が発生したり何か怪我でもすれば『災害』となり、元請け企業がコンプライアンス意識が高いと結構な騒ぎに発展する。そうなると今後の取引継続にも響きかねない。何より工事の遅れを非常に嫌うから、その日の仕事が明日以降になるのは信用上のダメージになる。よりによってその原因が経営者とか笑えない。可笑しいんだけど。

 看板を所定の位置に下ろすまで、頭の中で社長の悲鳴が繰り返し聞こえて、どうにかこらえるのに必死だった。おまけにその場の状況をリアルに想像してしまい、ムンクの叫び状態の社長の映像が頭から離れない。その日帰宅して食後のコーヒーを一緒に楽しむ妻に、身振り手振りを交えてこの話をした。これまで会社の愉快な人々の話を妻には伝えてあったので、社員全員に対する人物像を妻とは共有できている。どうにかコーヒーを吹き出さずに耐えた妻は、その後しばらく笑い転げていた。そして今でも『けぇ、Kくん、げ、限界だぁ.....あぁぁぁぁ』は我が家の忘れた頃の必笑の一撃ネタだ。