「要領が良くない」って、無意識に出来ることが少ない、という意味だと思う。周りの人は難なく出来るのに、自分は考えて苦労してやっと出来る。昔はそれがすごく嫌だった。だけれど、最近は「それも悪くない」と感じている。一つひとつに意識を向けて、丁寧に取り組んでいる証拠だから。
できる限り、境界を作らないで生きていきたい。それは、「良いこと」と「悪いこと」の境界だったり、「自分」と「他者」の境界だったりする。何事もはっきりさせないで、保留できることは保留して、ファジィに生きたい僕です。
多分、食べ過ぎが原因だわ。カレーせん、一袋も食べてしまった。
自分としては、ちょっと不思議なのだが、ここ1週間ほど孤独感?のようなものに沈んでいる。 ただ、僕は昔から一人が好きだった。なので、正直、あんまり孤独感を感じた経験がない。 従って、この気持ちの落ち込みが本当に孤独感なのか、よく分からない。単純に、退職による生活リズムの乱れのような気もするし、食べ過ぎが原因かもしれない。 高校生の時の死にたいという気持ち(もちろん、本気ではなく思春期特有のアレです)は、孤独感に起因するものではなかった。むしろ孤独を求めていたような気がする
今までの人生で、入学試験とか入社選考会とかの場面で、僕は周囲の人を見下す傾向があった。原因について、ずっと考えてきたけど、単純に、『自分が選ばれるのか不安→でも、その不安を直視したくない→とりあえず、周りの人を貶めよう』と言うサイクルにハマっていることに気づいた。
当たり前なのだけど、無職でも生活は続く。今から、米を炊く。
挫折して、試行錯誤して、ちょっと調子に乗って、少し頭を冷やして...というのを繰り返している。別に否定的な意味合いはないけど。
個人差はあると思うのだが、僕の場合は、沈黙は金で、変顔が銀、雄弁は銅である。
不安な時、というのはあって、それはある意味で、とても正常なのだと思う。
ちょっとしんどいことがあっても、暴飲暴食しないのが、大人というものさ。
達成できなくても、途中が面白くなる。 間違っていた、ということが分かった楽しさがある。
原作を読んでいたこともあり、主人公の「華子」にめちゃくそ感情移入してしまった。 育った環境や常識(とされているもの)に流されるのは、とても楽なのだ。 だけど、たまにそういったものを受け止めきれない人がいて...そういう人たちは、用意されたレールを外れていく。 一生懸命に周囲の期待に応えようとしたりするのだが、最後には、やっぱりそこから外れて、別の生き方を模索したり、迷ったりする。 これ自体は良いことでも悪いことでもない。 ただそのような現象がある、というだけだと思う
できる限り、根源的なものにまで、遡って考えたいものである。せっかく無職でもあるので...
閃光のハサウェイで、ガンダム初体験した。なんかよく分からなかったが、面白いって、すげえな。「身構えてる時には死神は来ないものだ」が特に好き。
まじてNHKの受信料を払いたくなかったが(念の為、今まで全部払ってます)、よくよく気がつくと、NHKとテレ東以外、テレビを見ていないことに気づいた。気分よく払ってやろう。
なんだかんだで、職業訓練開始まで暇である。大学に入りたての頃もそうだったけど、僕は、暇が苦手なのだろうか、と自問自答。