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廃業寸前のアロマ講師が苦手なSNSにチャレンジで手に入れたもの

こんにちは。

ぽんかんです。

私は、福岡在住でアロマとハーブの教室を始めてからもう15年以上になります。

年齢もアラフィフを過ぎてアラカンへと向かい途中。

現在は、細々と教室運営も続けながら、講師や施術者のようにオンライン化しづらい方へ、集客のための発信ではなく、仕組みとしての資産になるような発信や媒体づくりのアドバイスしています。

きっかけは、私自身が本業とは別に、2ヶ月半でオンラインに特化した仕組みから報酬が発生したことでした。

その結果、生徒さんたちも次々と成果を上げてくださっています。

・0から初めて10日あまりで初報酬
・1ヶ月で高額商品を2件成約


みなさん、今までの仕事を続けながら、オンラインの仕組みから新しい収入を得ることができているんです。

ずっとアナログな業界でやっていたのに、私が仕事の軸をオンライン化の方向に切り替えていった経緯をもう少し詳しくお話させていただきますね。

起業のきっかけ

私は、学校を卒業してからずっと長いこと、土木関連の会社でアシスタントとして設計に携わる仕事をしていました。

当時は、手書きで図面を清書する「トレース」という仕事がメインだったのですが、今のようにメールで書類を送信するような時代ではなく、急ぎの図面を直接届けに行ったり、お茶出しや掃除も女性社員の仕事だったので、1日の大半は雑用に追われて終わっていたような時代でした。

仕事を通して、ワープロで書類を作ったり、CADで図面を書いたりと機械オンチだった私が、「業務上、仕方なく」覚えた技術は、ちょうどバブル期にさしかかっていたこともあり、転職時の大きな武器になりました。

転職するたびに給料がどんどん上がっていくという、まさに夢のような時代を過ごしていました。

若かったしすべてが楽しくて、夏はダイビング、冬はスキーと、働いたお金は全部遊びに使っても、またちゃんと(というか当たり前に)入ってくる時代だったんです。

ところが、流石にそんな時代は長くは続くわけもなく・・・

あっという間にバブルは弾け、気がつけば、仕事ができるはずだった私は、年をとって仕事ができないお局様へと変わってしまっていたのです。

居心地が悪くなって転職しようにも、以前のような給料をもらえる会社もありませんでした。

ただ、CADが使えたことにより派遣やバイトで食いつないで行けたことは幸いでした。

そんな時に、やっと見つかった正社員での雇用は、小さな会社ながら経歴を考慮してもらっての高待遇。

肝心の仕事は、図面のちょっとした修正だけ、プラス電話番みたいな、殆ど仕事はないけど、事務所に誰かいなくちゃいけないから、暇な時間は何をしていてもいいよ、という状態。

言ってみれば、「出勤するのが仕事」みたいな働き方だったので、日中は雑誌を見たりインターネットを見たりして過ごしていました。

ところが。

会社ってどんなに待遇が良くても、働いてみないとわからないことが沢山あります。

小さいながらに、家庭的で働きやすいと思っていた会社の社長は、職人気質でやり手の土木技術者。

面倒見もいいけど、典型的なワンマン社長でした。

わたしたち女性社員が大声で怒鳴られることはなかったのですが、出来ない男性社員に対して、ものすごく厳しく大声で怒鳴りつけ、職場は常に緊張した空気に包まれていました。

今だったら、確実にパワハラです。


子供の頃の私は、いつも父親に怒鳴られたり手を挙げられたりしていました。

✔ 勉強をしない

✔ 部屋を片付けない

✔ お母さんのお手伝いをしない などなど

それが理由で、大人になってからもずっと、男性の大声にはものすごく敏感で、子供が父親から怒られているのが聞こえてくるだけで、体が萎縮してしまっていたのです。

さすがに今は、当時の父親の年をすっかり超えていて、父親も子育てで一生懸命だったんだな、っと思えるようになっていますけどね。

海水浴に連れて行ってもらったり、とそれなりに遊んでもらっていたりかわいがってもらってはいたんでしょうけど、

それより何より
身体も小さかった私にとっての父は、「怖いもの」という存在でしかなく、おとなになってからもずっとそれを引きずっていたようです。


そんな、昔の父に似た社長のもとで働きながら、辞めようか、でも辞めたら生活できないし、と、そんな葛藤を続けているうちに、

社長が出社してくる時間になると、動悸がしたり無意識に涙が溢れてきて止まらなくなってきたんです。

かなりまずい状態です。

今だったら大急ぎで心療内科にでも駆け込むところなんでしょうけど、当時の私は、

「そんなところに行っては負け」だとか、
「働けなくなったら生活できない」とか、

そんな強気と恐怖の入り混じった思いで、なんとか自分で自分を整える方法を探してたどり着いたのがアロマでした。

ちょうどアロマが注目されていた時期でもあり、最初は気分転換にと、週末の単発講座を受けに行きました。

1番最初は、アロマを組み合わせて作るルームスプレーでした。

すると、なんとも言えない香りで癒やされたと同時に、アロマで化粧品やクリームが作れる事も知り週末ごとに通うことに。

毎週の講座がすごく楽しみで、週末のアロマ講座のために嫌な会社での1週間を乗り切っていたような毎日でした。

そうこうしているうちに、いつの間にか動機がしたり涙が溢れたりと言うこともなくなって、すっかり元気になっていたんです。

それ以来、アロマやハーブにどんどん魅了されていきました。

この先生のように仕事としてアロマやハーブに関わる事ができたら、どんなに生活が豊かになるだろうっと、年に2回のボーナスを学びの費用にあてて、仕事にすることを目標に資格を取得していきました。

それと同時に、自宅の一室で週末には簡単な教室もはじめました。

本格的に週末起業スタート

それから1年経たないくらいで、近所に「かおり荘」という古いアパートを見つけ、ボーナス時期に契約したのが起業の本格的なスタートでした。

会社づとめをしながらの週末起業はとっても楽しくて、家賃が払えるか?っていう不安もすぐに払拭しました。

というのは。

古いアパートは住人の方に混じって、私を含めカフェや教室が4店舗。

年に2回、みんなで学園祭的なイベントなんかも開催していたので、市内では、ちょっとした話題のスポットになりました。

地元の新聞やローカルテレビで何度も取り上げられて、集客しなくてもお客様が来てくださる状況だったのです。

そんな時に、勤めていた会社の業績が急に悪化して、お給料が遅れだし、

とある月末の最終日、朝出勤すると、会議室に呼ばれ「今月の給料はいつになるかわからないから」と、その場で正社員が全員解雇に。。。

その場には社労士さんもきてくださっていて、その時は、すでに給料日を過ぎた月末で、家のローンや水道光熱費に加え、「かおり荘」の家賃や水道光熱費を支払わなくてはなりませんでした。

今月はギリギリ支払えたけど、来月分は足りません。

大急ぎで職安に行って、失業手当の手続きをしても、手元にお金が振り込まれるのは1ヶ月半後です。

苦渋の策で、もう少しで満期になるはずだった生命保険を解約しました。

それからは毎日、これで好きなことだけをやっていける!という思いと、本当に大丈夫だろうか?という不安が交錯する中、

とにかく頑張れるだけ頑張って、駄目になったらアパートも解約してまた仕事を探せばいいし、とガムシャラにやれることを全部やってみました。

「かおり荘」で起業したメンバーは、みんな0からのスタートです。

みんなで協力しあって、アパートに入居する住人の方々も応援してくださって。

10年以上経った今でも、当時のお客様や生徒さんが来てくださるほど、その時の経験やお客様は、大切な存在になっています。

もし、初めて借りたアパートが「かおり荘」ではなかったら、きっと、とっくに廃業していたんじゃないかと思います。

「かおり荘」の取り壊しで風向きが変わる


7年ちょっとを過ごした「かおり荘」が老朽化のだめに取り壊されることになり、みんなバラバラになって移転した頃から、どんどん風向きが変わっていきました。

気がつけば、アロマブームも下火になっていました。

そして、私自身も本格的な更年期にさしかかっていました。

特に夏場。

ちょっと動くだけで吹き出す汗は、激しい運動をしたあとのような疲労感に襲われ、食欲もなく動けなくなってしまうんです。

一休みして片付けよう、っと横になって目覚めると深夜。

帰宅すると、玄関を開けた途端に廊下で眠って気がつくと朝。

そんな事が続くようになっていました。

もう、今までのようなペースで頑張ることができなくなってしまっていたんです。

振り返ってみると、自分の仕事と生活を守るために、ゆっくりと休みもとっていませんでした。

1日休めば売上は0。

そう思うと休む事もできず、思い切って休んでも気持ちが落ち着かないのです。

この時に1番怖かったのは、月末のキャンセル電話でした。

支払いが出来る最低限のギリギリしか仕事ができなくなっていたからです。

アロマは好きで、ずっと何かしらの形で関わり続けていたいと思っていたので、なんとか継続する方法を考えました。

パートとの掛け持ちも考えましたが、とてもそんな体力もありません。

長期間かけて、アロマをもっと深く学べるような高額の講座を作ることも検討しました。

でもそれだと、多くの人にアロマを知ってもらいにくくなります。

それに、結局は自分が動かなければ仕事にはなりません。

動くことが辛くなっているというのに、そういった講座をきちんと提供出来るとも思えませんでした。

そこでまず、アフィリエイトに取り組むことにしました。

ブログだったら、お客さまや生徒さんに迷惑をかけることもなく、自分のペースで空いた時間に続けられるかもしれない。

そう思って独学でやってみたけれど、頑張っても8000円が精一杯。

独学では完全に無理だと思って、初めて本業以外で大きな自己投資をすることにしたのですが、生活できるギリギリまで仕事のペースを落としていたので、貯金なんてわずかなものでした。

ただ、更年期で動けないながら、

「今までやってきたことを全部失うかもしれない」という恐怖は、私の原動力になりました。

そうしてアフィリエイトを初めて2年目。

フログだけで1ヶ月で90万円を超えたのと同じ2019年頃、なんとか辛い更年期も山を超えたようでした。

思うように動けない時期がはじまってから、5年くらい経っていたでしょうか?

その間に、私が学んだアロマやハーブのスクールは業界の低迷により、福岡校は閉鎖したり、規模を縮小したりして、私が起業した頃とは業界自体もガラリと変わってしまっていました。

それでも、ちょっと元気になった私はまだまだやる気だったし、動けるようになっていたので、自分を奮い立たせる意味で、大阪や沖縄にセミナーを受けに行ったりしていました。

軸足を変えたきっかけは2020年のコロナでした。

大きな変化に直面したのは、2020年のコロナでした。

やっと動きだせるようになって、やりたいと思っていたアロマ占星術の勉強もはじめていた矢先です。

早い時期から緊急事態宣言が言い渡された福岡の中心部は、百貨店も飲食店もシャッターを下ろし街から人がほとんどいなくなってしまったのです。

当然、毎年開催されている3月のハーブの検定、5月のアロマ検定と次々に中止になり、予定していたアロマの講座もキャンセルや延期です。

再び、わずかな蓄えが今にも底を付きそうな状況になってしまいました。

もともと生徒さんやお客様に来店していただく仕事のスタイルでは時間と体力に限界があります。

今の私の状況でできること、そして未来に繋がることはないのか?

そんなことを毎日毎晩、必死に探していて見つけたのがSNSを使ったオンライン化の仕組みづくりでした。

オンライン化の仕組みに出会う


今まで集客のためだけにしか使っていなかったSNSを使って、オンラインに特化した収入の柱を作る。

辛かった更年期の時期に、アフィリエイトに取り組んだことで、すっかり老眼が加速していて、長時間PCを見ていることが出来ず、スマホとなればもっと大変な状態。

でも、世の中は確実にオンライン化が進み、みんながスマホを手にしている時代です。

私はスマホが上手く使えないけど、生徒さんたちはスマホで予約をしたり買い物しています。

アロマの検定もオンライン試験に変わり、出来ないからやらないのでは、それこそ仕事にはならないし、世の中から完全においていかれてしまいます。

全国のアロマ教室も次々にオンライン授業に切り替えていく中、今までは、通いやすいという理由で選ばれていた私の教室は、役に立たなくなってしまうのです。

アロマやハーブの授業のオンライン化と併せ、別の収入源にもなるようにと、ビジネスプロジェクトに参加しました。

そもそもSNSを集客に使っていたとはいえ、たまに気に入った写真をUPしたりつぶやいていた程度。

実際にやってみると、当たり前ですが、自分の代わりに収入源になる仕組みを作ろうとしているわけなので、そんなに簡単ではありません。

マンツーマンでのコンサルがついていない分、参加しやすい価格だったのですが、どんなに詳しい解説があっても、自分ごとに置き換えることが出来ないのです。

SNSの使い方だけ覚えればなんとかなるかも?と、単発の安い講座もいくつか受講てみました。

でもやっぱり、表面上の使い方だけを覚えても、根本的なオンライン化のしくみが理解できていないと、自己満足な趣味の発信で終わってしまうのです。

日常の趣味発信は、これからもっと先でいいのです。

私がやりたいのは、

・好きで始めた仕事を安心して続けること
・時間や体力の制限なく仕事としても成り立つもの
・今後も通用するような仕組みづくり

同じ業種の先輩や先生方が、業界の低迷や体力の限界で、好きだった仕事を手放して廃業したり、掛け持ちしていたパートがいつの間にか本業に変わっていたり。

そんな先輩や先生方は、すっかり自信をなくしてなんだか寂しそうでした。

そう思って、悶々としていた時に出会ったのがSNSのオンラインに特化したスクールです。

コロナの第2波が目の前に迫っている2020年11月末でした。

それまでに、アロマやハーブの学びにもかなりのお金を使って来ましたが、それに加え、ブログを学ぶためのアフィリエイト塾や起業塾への投資額を含めると、軽く500万円は越えているはずです。

もう、貯金も殆どない状態で、更に今回は、「自分史上最も高額な自己投資になる」っと思うと身震いするくらい怖かったです。

でも、先のばしにすればするだけ、世の中の流れからおいていかれて、何も出来ない惨めな自分になってしまいます。

長い間の自営業でもらえる国民年金は、僅かなもので食費と水道光熱費で精一杯の額でしかありません。

『世の中の退職年齢が、65歳に引き上げられてみんな頑張っているんだから私もまだまだ頑張れるはず!

ちゃんと投資額以上の売上を上げれば大丈夫だから!!』

と呪文のように自分自身に言い聞かせ、最後の勉強のつもりで思い切って参加して学ぶことにしました。

ここまでで、投資額はあっと今に600万円を軽く越えてしまいました😅

しつこいけれど、もう、本当に怖かったです。

ところが、質問できる環境での学びの中には、一緒に学ぶ仲間や沢山の成功事例が詰まっています。

最初にちょっとアドバイスを貰ってインスタの投稿方法を教えてもらっただけで、一気に売上が上がりました。

2020年の12月からスタートしたスクールでの学びを、1ヶ月実践しただけで、あっという間に23万円を売上げることが出来たんです!

さらに、自分が上手く言った方法をアドバイスした人も、高額商品の契約が決まり始めました。

みんな、新しくオンライン収益化の仕組みに取り組んだ人ばかりです。

きちんとした今の時代のやり方を取り入れた、スクールで学ぶことの大切さに改めて気が付き、今ではそれを沢山の方へお伝えすることで大変喜ばれています。

今とこれからの私の思い

私は子供の頃から植物や自然そして動物が大好きです。

仕事としてアロマやハーブに携わり、今はアロマ占星術に夢中で、これから先、生活を支えるだけの仕事にはならないとしても、ずっと関わって行きたい分野です。

そして、猫の保護活動のお手伝いもしており、それを通じて知り合った仲間ともずっと活動をつづけていきたいと思っています。

幸せの形は、人によって違います。

私くらいの年令になると、老眼も加速してPCもスマホも操作がものすごく大変です。

それでもこうやって、売上ベースで見てみるとあまり仕事とは言えないアロマの教室を続けられているのも、オンラインで新しい仕事と新しい収入の柱を築く事ができたからです。

あんなに子供の頃に大きくて怖かった父は、今ではすっかり小さくなって、耳も聞こえなくなっています。

長年続けていたアロマやハーブの教室も、中断せざるをえない時期が目の前に迫っています。

自分の収入がないまま親の介護に追われ、気がつくと何も出来ない自分になっていた。

そんな自分の老後だけは、絶対に避けたいと心底感じるようになっていました。

あなたがもし、無理なく新しいオンライン化の仕組みで自動収益化を目指したいという思いがあるのなら、お手伝い出来ることがあります!

まずは、これからの時代に併せて、新しい仕事のやり方と新しい収入の柱をもう1つ作る。

あなた自身が、いくつになっても好きなことを続けながら、時間やお金に縛られない生活を手に入れて、家族との時間や好きなことを楽しむ時間と心の余裕を手に入れてほしいと思います。

そして、余裕を手に入れたあなたの存在が、あなたの周りにいる人たちにどんどん伝わって広がっていくことを願います。

私が苦手なSNSにチャレンジして手に入れたもの。
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