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働けない(働かない)ということが、何故こんなにこわいのか。

失業する、無職になるというのは当然恐怖だ。稼げない、お金は生活はどうする。

勿論これが第一であるし、これに尽きるとも思う。

私はこれまで沢山の職場に入り、仕事をして、沢山辞めてきた。

理由はどれも後ろ向きなもので、鬱の悪化もあれば、経営者から辞めろと言われる、もうこの業界が嫌など様々。

勿論、最初から辞めるつもりで入ってる訳でもないからその度挫折の連続だ。

今日、副業の方から「契約の話」が突然あった。
「お話する時間ありますか?」
あ、クビになる?

意識が一気に遠のいた。

結論は、契約は打ち切りじゃなく内容の変更。

それだけ。

なのに、わたしはその後も動揺し続け、サイゼリヤで泣き、車の中で久しぶりに大声で泣いた。

今、私は契約変更より自分にショックを受けてる。

「仕事が無くなるのが、公衆で号泣する程怖いのか」

恵まれた事に、今仕事をしなくても私はすぐに死なない。
そもそも扶養内での仕事だし、差し迫った介護問題などもないからだ。

子供もいないので、学費の心配すらない。

なのに何で???

仕事の、金以外での価値。
それが無くなるのが、とても怖い。

社会的地位?
「はたらいてるえらいひと」という立場。

昔、勤務先の精神科医が「働いてるからって偉い訳じゃないんだからさ」と言っていて、絶句した事があった。

「はたらいてるえらいひと」じゃなきゃいけないんじゃないの?

働く事は尊く立派だと思う。
働いたら負けだと思ってるだなんて、考えた事もない。
でも、それは自分のアイデンティティを担保してくれるものじゃないんだ。

それが無くなるのが怖くて、ファミレスや道端で声を上げて泣き出しそうになる私は、やっぱり何か行き過ぎてるし、辛くてしょうがない。

色んなものを削ぎ落とし、削ぎ落としていって、最後に裸一貫でも、これがと思えるものがあれば?

まだまだ探し続けていきたい。
いきるためにも。

🐰私じゃないの?
そうだね、そう思うよ。

もらう、認められる、じゃなくて、自分が与える事に価値を置いたほうが楽で幸せなのかもね。
与えるのは待たなくても自分から動けるもんね。






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