見出し画像

A氏について

エッセイ書いてみたら、と勧めてくれたA氏について書いてみる。

A氏との出会いは◯十年前、私が15歳のまだ何も知らない純真な高校生時代にまで遡る。
当時私は地元の神奈川県茅ヶ崎市から離れ、島根県江津市にある全寮制の高校へ入学したばかりで厨二病から抜け出せない痛々しいモサい系女子高生だった。

携帯電話の持ち込み、雑誌、テレビ、漫画の持ち込みは禁止。部活動はなく、週に2回放課後に作業という時間が設けられ、内容は日々の生活に必要な菜園、修繕、水田山林管理、製パン等と多岐にわたり半年のサイクルで自らが希望する作業班に所属する。
学校、寮の肥汲みも生徒たちで行い、食事も当番制で調理し、自らの衣類の洗濯も脱水時のみ洗濯機を使用するような手間を経て生きる力の根源を太く育てる方針の高校であった。


そんな高校に入学して確か半月ほど経った時に、当時3年生の先輩だったA氏と初めて接触をしたのが始まりだ。

A氏と同じく3年生の先輩であるI君が不思議なテンションで体を動かしてなんぞパフォーマンスをしているのを入学して間もない私と同級生で見守っていた時のことだ。
I君がどのような人物なのかまだ分からなかった私たちはどんな反応をするべきかよく分からず、只々その不思議な動きを生ぬるく見守っていた。
たまたま居合わせたA氏が
「どことなく馬鹿っぽい腕の角度」
とバリトンボイスで放ったそのコメントに背中がソワリと粟立った。

(まさか…いやまさか…アレの存在を知っている、と…?)

「どことなく馬鹿っぽくて良い感じだ」
「とても投げやりな感じがとても素敵だ」

当時テキストサイトで爆発的な人気を誇ったあのサイトを知っている人を初めて地元の友人以外で見つけた瞬間だった。

「それ…せんこうしゃ…?」

私の問いかけに振り返ったA氏の顔は未だに覚えている。

ネットで爆発的な人気とその後のテキストサイトに多大な影響を与えた「先行者」の記事を覚えている人は多いだろう。
当時私は友人達とGifアニメで激しく動く先行者を見ては「フグンヌッフフウwww」と涙を流して笑い、顔を真っ赤にさせてヒーヒー笑う厨二病罹患者でもあった。
しかしまだまだインターネット黎明期、ピーーーーーガリガリガリガリ…とダイヤルアップの音を響かせながらPCが稼働していた時代である。
学年でも先行者の話題で盛り上がるのは私たち根暗なオタクグループくらいで、実際の知名度の高さを感じないままに山奥の高校へ入学したのだ。

それが、まさか、俗世と離れてここで生活している先達者の口から先行者を意識したコメントが放たれるとは思いもよらず、私は非常に混乱した。
そして先行者の知名度というものを痛感した出来事でもあった。

確かあまりの衝撃に私は黙ってその場から逃げ出し、ヒイェエエと学校の廊下を走り抜けて冷静になったところでまたA氏と相変わらず不思議な動きをしているI君のもとへ戻ったはずだ。オタク特有の早口で「先行者!?」「先行者!!」「知ってるの!?」「あっあっ知って、る」的なやりとりをしたように覚えている。

この出来事をきっかけに、A氏と私の縁は高校を卒業した今も細々と続いている。
延べ◯十年以上の付き合いだ。時の流れは恐ろしい。

A氏は現在全国各地を飛び回るフォトグラファーとして活躍している。
A氏の写真はとにかく輪郭がやわらかい。陰影の中に潜む陽だまりを的確に掬い取って映し出すその様は見事としか言いようがない。
性根から根腐れしているような生活を送っている私でさえA氏にかかれば日々をきちんと生きているような真人間に見えるのだからもう魔法とでも言った方が良いかもしれない。

着付けをしてくださったお店で
七五三終わりにA氏にかけっこを強要


上の写真も娘の七五三を着付けの段階からA氏に撮ってもらった。
着物をお貸しくださった呉服屋の店主が着付けするやさしい手つきや父、母が笑顔で付き添う様子など、スタジオでは決して撮れない素晴らしい瞬間をいくつも切り取ってもらえ、大変良い一日となった。

60になったら数年おきに遺影用の写真を撮ってもらう予定なのでまだまだこの先もA氏との縁は細々と、それでもしっかりと続いていくだろう。

先行者がきっかけで得難い人を得られた私は間違いなく幸せな人生を送っている。


A氏
atacamaki
Instagram:@atacamaki_photography


----

どうしよう、先行者のこととかヒャーッホーーーwwwなノリで書く予定がなんかちょっといい話みたいになっちゃった…笑
回を重ねるにつれて文体も変わっていくと思うのでそこも楽しみつつ書いていけたらと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?