英検と、中国語と、広東語と最近始めたアルバイトの話。

私は翻訳業をなりわいにしたいと思ったが、10回くらいトライアルに落ち、生活費もままならないため、やめた。ただし「英検1級は取りたい」ので、道を模索している。

なお、私の語学好きは小学校からで、家中のローマ字をメモしたり、漢字辞典一冊で一日中退屈しなかった。中国語と韓国語は意味がわからなくてもラジオで聞いていた。

現在、私は小学校で支援員をしながら、中国系企業でアルバイトをしている。 ただし中国語は話せない。聞けない。書けもしない。だがいつも「ああ香港で働きたいなー」と思っている。

支援員とは、自閉傾向にある生徒のサポート役だ。教員ではないが、異様に疲れる。たぶん自分も傾向アリで、集団生活が苦手であることと、集中力が切れやすい、話が飛ぶ、人の話は聞いてない、などの点において課題があるせいだ。だが、この仕事は自己観察にとてもいいことに気がついてきた。

それで、である。

最近の中国船の入港で、深圳からのお客様がよく来る。表題で広東語にふれたのは、英語よりも中国語、さらに中国南部は広東語が主流であり、少しでも覚えたいと思ったからだ。

(ついでに私自身の「よく話が飛ぶ」という特性が、マルチリンガルに活かせるはずと信じて。信じてはいる。)

人は、感情、つまり本音の部分で商品を買う。南中国の方々は、中国標準語より広東語でしゃべるほうが楽で、その時もし、私が彼らの本音の言葉を少しでも理解できれば、よりよく商品が売れるのではないかと。

そして私は、今、語学の本質とは何かを考えている。いったい上の3か国語はどうやってモノにすればいいか?

私の周りにネイティブの英語、中国語(方言も含む)の話者はいない。NHKの中国語テキストや、初級中国語アプリで学習するのは有効であるのは、わかる。教わるお金も、不足している。時間はひねり出すとして、だ。

取っ掛かりを、どうするか。発音とお金と数字の表現を覚えるとしてー。。。

ざっくりといえば、日本語と中国語の、あるいは広東語の「母音」の口の作りかたを探り当てるのがまずスタートとして適切ではないか。どんな言葉でも「子音」はそれほど変わらないのではないか。むしろ「母音」が「日本語」から測ってどれくらい違うのか、をつかむのだ。

また多くの言語は「動詞」中心に動いている。またこの構成は、英語式に考えると中国語の理解は早い。そして特に、中国語にオリジナルなものが「声調」だ。中国語は4つ、広東語は6つもある。これを間違えると話が通じない。(あとは短文暗唱の千本ノックを行う。実際は300回でいい。楽でしょ?)

今のところ、お客様には英語で話している。通じれば、である。中国の大学生には英語が通じる。ここいらとそっくりなおじさんには通じないが、錯覚かもしれない。

(なお英語の分からない単語はPC上で調べる。その際、「英辞郎」を使う。英検1級テキストを3、4周して、それがいいと思った。英辞郎がシンプルな文で、暗唱も容易。あとからの再現性もある。かつ、忘れにくい。)

すぐ忘れる文章は繰り返すことができず、記憶が定着できない。狙ったイケメンの用事はすぐ思い出せても、嫌な上司の用事は宇宙に忘れる。忘れたいのである。英単語は人だ。


...さて、場面は、バイト先でのこと。若い大学生ではなく、おばさまが英語を急に話した。京唄子にそっくりのおばさまが「シューズ?」といって尋ねてきたのだ。

私は、”Sorry, we have no shoes, ma'am.” といったが、中国人スタッフに通訳してもらったところ、唄子おばさまがほしいのはなんと「雨ガッパ!」であった。

中国南部地方にはスコールが多く、100円位で使い捨て雨ガッパがあるらしい。「それが『靴』までカバーする、という優れたタイプの中国式で」

それが「ここには売ってへんのん?」ということらしい。「靴ーっ!」って?

「対不起、現在没有」(すみません、ありません。)といったが「ここは電化製品中心なのでここにははじめからおいてはいないのです。」ということを長々とスタッフは、説明した。

私は、説明する側、される側もどちらも、なぜか中国的な可愛さを感じていた。語気は強い、のだが、彼らはめったに怒らない。

確かにある意味、中国女性も強い。またさっぱりしている一方、随所で受ける日本的なサービスを、かなり新鮮に感じているようだ。例えば私が、雨で濡れた傘を「ココに立てていいですよー」と案内したときの、彼女らのちょっと驚いた表情は、まるではじめて童話の世界をのぞいた子供だった。それからは彼らも、列に整然と並び、買った品々の精算を待った。 

(たしかに声は、大きかったが。)

私が、すっと袋をたたむ、紙バッグのはしっこをピッ、と折ってテープをはるという動作は日本国内でも常識だが、若く端正な顔立ちの中国女性は、なぜかテープにじっと、じーっと注目していた。

唄子おばちゃんも負けずに「あんなあ、ここも。」といらないところまでテープで留めてほしいという。どうぞーと手渡したら、にっこりと「シェーシェー」と返してくるのだ。かすれた声が、ちょっと照れていた。

きっと家に帰って、唄子おばさまはみんなに言うのだろう。

「ウチは日本で、こんなん買うてんで。ええやろ?ついでに袋もたたんでくれてん。ただの袋やで? でもなあー、なんかびっくりしたわー。せえへんやんそんなの、ここらではー。えらいでホンマにー。そこはあんた、ニッポンやがな。」

以前私は鶴橋でごはんを食べ、おみやげも買った。そこのおばちゃんは「うちきょうな、デエトやねん。」と人を爆笑させた。唄子おばさまは、やはり演芸ショーばりに話すのだろうか。


でも、彼女の広東語は、きっと雨の日も美しいに違いない。自分がこれから出会う人達は、こういう愛らしい人々ばかりであることを願う。語学が楽しいのは、出会いがそのまま美しいからだ。自分は語学の難しい話は、分からない。


だが、喜んでくれた人が、また日本に来てくれるなら。


こんなに嬉しいことはない。





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