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オリジナルホラー短編『VHSの背面ラベル』

 その日は出張で、会社から遠く離れた田舎にいた。
 数日に亘る工程が確定している現場、1日で終わるわけがないからこその出張であり、当然ちゃんと現地でホテルを予約してある。しかし、この田舎には俺の母方の実家があり、泊まるつもるはなくとも一度は立ち寄りたいと思っていた。
 やがて夕方になり、その日の分の仕事が終わった。俺はホテルにチェックインするより前に、早速母の実家へと寄っていこうと、山奥へと車を走らせた。
 10年以上ぶりに訪れたであろう母の実家は、戦後すぐに建てられた年代を感じる家で、子供の頃に母に連れられて訪れた時と何も変わっていない……いや、いざ目の前にしてみたその外観は、夕陽に照らされているせいか少し寂しげにも見えた。
 田舎すぎて、どうせ鍵などかかってはいない……俺は引き戸に手をかけるとガラガラと音を立てて開いた。一歩敷居を跨ぐとそこは昔ながらの土間で、独特の土の匂いとひんやりとした湿気を感じる。
「ごめんください」
自分の声が、家の奥へと響いていく。
「おばあちゃん」
 次は少し大きめに声をあげても、家の持ち主からは返事がない。どこかへ出かけているのだろう。祖父は既に他界しており、今は祖母が単身で余生を過ごしているはずだ。
 少し立ち寄るだけのつもりだったから、変に歓迎の準備をされると面倒だと思い、事前に訪れることは連絡していなかった。まぁそのうち帰ってくるだろう。俺は靴を脱いで奥へと進んだ。
 居間に進んでもやはり誰もおらず、古びたブラウン管テレビ、こたつ、棚、大きな掛け時計があるだけだった。やはり何も変わっていない。夕陽が強く差し込んできていて電気を点けていなくても居間は明るかった。こたつの上には、一本のVHSのカセットテープ。手に取り背面ラベルを見るとそこには、『呪いのビデオ』とタイトルが大きく踊り、その周りには『ジャンル:ホラー』とか『'98年7月12日』とか細かい情報がタイトルを囲むように書かれていた。
 珍しい、と思った。祖母はこういうの特に好きではないし、小さい頃にここへ訪れた時に何か面白そうなビデオがないかどうかビデオカセットの収納ボックス漁りまくった時にも、こんなものは見た覚えがなかった。
 誰もいなくて、夕方なのに外からは何の音も聞こえて来ず、耳が痛いくらいに静かなこの空間に少し飲まれてしまってなんだかこのビデオテープを不気味に感じてしまう。元に戻してさっさとおいとましようと、思って、いたのだが、何故だろう、その時の俺は、何を思ったのか、気がつけばそれをビデオデッキに放り込み、再生を始めていた。
 映った映像は井戸とかも無いし、というかホラー映画の冒頭のシーン、まだ何も恐怖演出のない若い男女が街の中でやり取りをしているシーンが映っていて、このビデオが素人の自主制作映画ではなく『呪いのビデオ』という名前の、ちゃんとした制作会社によって作られて街で売られているもしくはレンタルビデオ屋で借りて観られるホラー映画作品だということがわかった。ある意味ほっとした。この場所でこの雰囲気の中で自主制作映画やホームビデオだったら流石に不気味すぎる。映っているのがちゃんと美男美女の男優女優で、どこからどう見てもフィクションだ。タイトルは直接的過ぎて聞いたことがないし、俳優も見たことがないし名前も知らないけれど。
 観ていると作中でも登場人物たちがビデオテープを拾った。手に取ったやつがビデオテープの背面を見ていると、そこには『呪いのビデオ』とだけ書いてあった。現実世界の商品ではないから、俺がさっき手に取ってビデオデッキに放り込んだやつと違ってタイトル以外の作品情報は書かれておらず、シンプルにタイトルだけだ。彼らもまた、近くのビデオデッキへと放り込み、再生する。するとしばらくのノイズの後、シーンが切り替わって呪いのビデオの映像が流れ始めた。
 流石にこれ以上はもういいやと思い、俺は映像を止める。け、決してこの先を観るのが怖いわけではないからな?これ以上のめり込むと出張先のホテルのチェックインが遅れるし、この後同僚とホテルの近くにある飲み屋を巡ることになっているからな?少し寄り道がすぎたというものだ。気がつけばかなり暗くなってきていて、居間に差し込む夕陽はもう既に心許なく、部屋の隅や隣の仏間は黒く染まっている。
俺は勝手に観てしまったカセットを元に戻す為にビデオデッキから取り出し、改めてその背面を見てみると、違和感を覚えた。もう一度、よく見てみる。呪いのビデオと大きく書かれたタイトル。それ以外の細かく書かれた情報は、全部油性ペンでの手書きだった。タイトル以外は全て後で足された手書きであり、つまり、このカセットは、もし手書きの部分を全て除くと、作品の中で登場していた呪いのビデオと、全く同じ背面をしているわけで。
全身が総毛立ち、寒気が襲った。こたつの上へと汚いものを放るかのように乱暴に置き、代わりにこたつの上に置いていた社用車の鍵を急いで手に取り、他に持ち込んだ荷物がなかったか周りを見まわし、革靴に爪先だけつっかけて家から出た。外へ出るとまだ暑い秋の夜が頭の中を現実に戻させ、少し安心した。
 結局祖母とは会わなかった。別にきた時と何も変わらない状態だし、特に問題はないだろうから、もうホテルへ向かおう。と歩き出そうとした矢先、家の敷地の奥の藪の中から祖母がこちらへ戻ってきているのを見つけた。遠くにしか見えないけれど、明らかに祖母だ。俺はせっかく来たのだから一言声をかけようと思った。それと、あんな悪趣味なビデオをどうしたのかということも問いただしたい。大声で呼び気付かせようと思って大きく息を吸った時、気付いた。祖母は、手に鎌を持っていた。藪の中にいたのだ、草を刈っていたのだろう。何のことはない。何のことはないが……鎌を持ってこちらに向かってきている。特に何もおかしくはない……はずだが、俺は声をかけるのをやめ、一歩後ずさり、踵を返して車へと急いだ。あんなビデオのせいだ。あれを観てしまったせいで、なぜか祖母をも怖く感じてしまった。俺は車を走らせ、ホテルへ向かった。後で、訪れたけど会えなかったことを祖母に電話しようと思っていたけれど、なんかもうそれをすることさえ憚られた。
 幽霊にも会わず、超常現象すらも起きていないが、俺のリアルな恐怖体験というと、こんなものだ。

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