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若気の至りをやりたかった

若気の至りをやりたかった。
『若気の至り』と調べると、”若さにまかせて無分別な行ないをしてしまうこと”と書いてある。自分の人生を振り返ってみても、若さにまかせて無分別な行いをすることが少ない人生だった。今も若いっちゃ若いが、若さにまかせるほどにはもう若くない。それに比較的起き上がることが楽な10代から20代後半くらいまでにいや~さっきのは完全に若気の至りでしたわ~と思える行動をしときゃ良かったなあと思う。
「大人は分かってくれない」とバイクを盗んで走り出すほど憤りたかったし、自己中でワガママな男性と一度くらい付き合って、女友達から「あんな最低な人やめときなよ〜傷付くだけだよ」とか言われて「でも私は好きだからいーのー」みたいな不毛なやりとりをしてみたかった。実際私の周りには理解のある大人のほうが多かったし、温厚で優しい人としかこれまで(多分)付き合ってない。あと無分別な行いにより穴に入りたくなるほど徹底的に恥ずかしい思いもしてみたかった。

そう言えば以前、撮影現場で役者さんに「演技をするために普段から意識していることはありますか?」と聞いたことがあった。すると「芝居で色んな感情が出せるように、日頃から喜怒哀楽の感情を記憶して、心の引き出しに大事にしまっておくんです。そして芝居をする時に、引き出しからそっと取り出すようにして演じる」みたいなお話をされていた。私は何故だかそのお話が凄く好きで。日々感じる「気持ち」を自分の中にある引き出しに大事にしまっておく、という行為が尊くて凄く素敵だなあと思った。私もしまっておこうと思った。

ちなみに深く傷付いた時とか、恥ずかしくて直視したくない時、気持ちに蓋をしたいくらいトラウマになった時はどうするんですか?と私が聞いたら、凄く苦しくて辛いけど、それも大事にしまうのだそうだ。へえ凄いなあ……!と間抜な声が出た。役者というのは本当にすごい職業だ。

よしもとばななさんが著書『小説家としての生き方 100箇条』の中でこんなことを書かれていた。

書くのは複雑な作業だから、自分自身はシンプルに生きることを心がける。

さらにその本に関するインタビュー動画で、インタビュアーの方に「笑ったり、泣いたりと、感情を解放する方法はありますか?」と尋ねられたばななさんは、
「やっぱり心とか状況をシンプルに保つことなんじゃないですかね。書くっていうのは分厚い革を重ねてこうやって縫うような作業だから、結局他が複雑だとそれどころじゃなくなっちゃう」
とお話されていたのも印象深かった。同意。首がもげるほど同意。
友人恋人問わず私は比較的温厚な人や理性的な人達とよく一緒にいることが多い気がする。その方が自分もさっぱりとした感情でシンプルでいられるから。無意識にそういう人達を好きになっていたのかもしれない。心が穏やかでいられる人達に囲まれて過ごせる毎日はとても良い。生活をシンプルにすることで、心と感情がより研ぎ澄まされていくのかなあと。

私にはもう若気の至りをやる体力も気力も残っていないけれど、物を書く間だけは、読んでる人が恥ずかしくなるような、アイタタタタこいつめちゃくちゃ若気の至ってんじゃん…!と思われるような、そんな剥き出しものを書いていけたらいいなあと思った。