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ネットの人気者はなぜ狂うのか?

筆者は1990年代後半のインターネット黎明期からネット社会の海に浸かって生きてきた。あめぞう、カルトブックマーク、東風荘、2ちゃんねる、テキストサイト、mixiなどから始まった日本のインターネット村は、スマートフォンとSNSの登場によって巨大なインターネット大都会に発展した。

ツイッター(現X)やインスタグラム、フェイスブックやTiktokなどSNSには常に人が溢れ大賑わいである。しかし今も昔も変わらないものがある。それが”人間”だ。

急激な進化と発展を遂げるIT社会と比較し、そこに集まる人間は25年前からなんら変わっていない。ネットリテラシーに関してはむしろ低下している可能性まで感じてしまう。

ネットに人が集まれば必ず現れる存在がある。それが”ネットの人気者”である。今風に言えばインフルエンサーだ。彼らは人より優れた文章力やコミュ力、外見やコンテンツ力、無限の時間などによってネットで特定の界隈で有名になり、信者を増やして発言力を高めていく。

昔はネットの人気者なんかになって何になる、と笑いものにされた時代が長かった。人気Youtuberが長者番付に載る今からは想像も使いないかもしれないが、日本のネット社会は長きにわたる”嫌儲”つまり儲けることへの非常に強いネガティブな意見が多数派だった。そのためネットで人気者になっても金にならなかったのである。

それでもネットの有名人を目指す人間は多かった。彼らが求めていたものは”承認”や”賞賛”である。現実社会で沢山の人間から拍手喝采を受けられる人間は、才能に恵まれ努力が出来るほんの一握りの人間だけである。しかしインターネットであれば、現実社会よりも低いハードルを飛ぶだけで多くの人間から承認シャワーを浴びることが出来たのである。ネットは全国民をコンテンツ発信者へと変身させたのだ。

そして今は承認に加えて、ネットで人気者になれば様々な手段でマネタイズ、つまりお金を儲けまでできるようになった。お金と承認、令和はネットで有名になる事へのインセンティブがかつてないほど大きくなっているのである。

そのため、昔以上に老若男女問わず多くの人々がSNSでインフルエンサーになることを目指し、様々な手法で発信をしている。そんな中から実力や運に恵まれた一握りの人間たちがネットの人気者、界隈の有名人のポジションに上り詰めていくのだ。しかし、多くの人が目指すネットの人気者になることは良いことばかりとは言えない。ネット上で人気者になることは、光と影の両面を持つのである。ネットで有名人は一攫千金のチャンスがある反面、大きなリスクも潜んでいるのだ。

ネットで有名人になるリスクはズバリ”狂うこと”である。インフルエンサーまで上り詰めた報酬として手に入る致死量の承認シャワーや目を疑うような大金は、その人間が心の底に眠らせていた欲望を表に引きずり出してしまうのである。

檻から解き放たれた欲望が暴れまわり、操縦不能となった時にインフルエンサーは狂気に飲み込まれる。筆者はネットがまだ小さな村落であったころから、ネット村の人気者たちの多くが、暴走して消えていった姿を目の当たりにしてきた。ネットから有名人が消えていくときのパターンは大きく分類して3パターンある。

一つ目が……

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