見出し画像

社会の建前と本音

社会や人々は建前ばかりで本音をなかなか言いたがらない。

お金持ちは庶民に「お金が全てじゃないよ」、既婚者は単身者に「結婚は人生の墓場。独身貴族が一番気楽だよ」、子持ちは子無しに「子育てって本当に大変。無理に作らなない方が人生幸せかもよ」と言う。

これら持てる者たちの自虐はほとんどの場合が建前である。世の中で一番恐ろしいのは妬み嫉みである。なので上手くいってる人ほど大変大変ああ大変、と自虐して不幸アピールする。幸せ自慢をして持たざる者に怒りを感じさせてはマイナスである。社交性があり世渡りの上手い成功者たちはそれを良く理解している。また相手が持たざる者と分かっている場合は、優しさから相手を傷つけないように自虐していることも多い。

自分は最高に幸せだわ!お前も俺みたいに生きた方がいいぞ!」なんてことを本当に幸福は人ほど大きな声で言わないのである。幸福で満たされている人々はいつも静かに暮らしている。

そんな彼らの防衛のための自虐風建前を真に受けて「ほら必死に働いて稼いだり、結婚したり子供を育てたりしても人は幸せになれない。だから自分は最初からやらないんだ!」と考えてしまうのはあまりに幼い。

もし上記のように持てる者たちの余裕から来る自虐交じりの建前を信じ、本当に全ての経験や苦役を避け、学び舎忍耐とは無縁の生活を送った場合、老いという避けがたい苦しみに耐えなければならない人生の後半戦は非常に厳しいものになってしまう。そうなったときに救いを求めても、持てる者たちは誰も助けてはくれない。最後まで建前で優しい言葉をかけるだけである。真に見るべきは人の言葉ではなく行動だと早く気がつくべきだ。

優しい建前とは裏腹に世間の目は非常に厳しいのが現実である。世間はその人の細やかな所作にまで目を光らせ、劣った部分を見つければ容赦なく格下として見下してくる。自分に向けられた優しさが本当のものなのか、それとも格下に対する憐憫や余裕から来るものなのかを見抜く力が社会生活には必要なのだ。

ポリコレが叫ばれる令和社会、これまでの時代以上に人々は本音を隠すようになり、それを見抜いたり懐に入り込んで聞き出したりすることの難易度は高まっている。コミュ力や社交性が何よりも重要視されるのは、このようなポリコレ時代において建前を上手く使いつつも本音をそこへ忍ばせたり、組織の中にマイクロコミュニティを作り出し情報を交換共有できる人材が求められているからだ。

このような本音と建前を使い分け上下関係や横のつながりを作っていかなければならない時代、学生は勉学だけでなく社交性も身に着けることが求められる。そんな立場の学生からコミュ力や社会のしきたり、ホモソのルールブックを学ぶ機会を奪ったのが終わりの見えないコロナ禍の自粛政策だ。

コロナ禍による3年以上続く自粛のため、サークル活動や部活、バイトや飲み会、イベントなどを制限された大学生がコミュ力や社会のしきたりを学ぶ機会を得られず、社会性が未熟なまま新社会人デビューすることになったマイナスがツイッターで盛んに議論されていている。

しかし筆者はそれはさほど長期的な問題になるとは思っていない。それは何故か?コロナ禍においても運動系サークルや部活、陽キャはほぼ平常運転だったからである。

ここから先は

1,025字

¥ 250

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

サポート頂けるとnote更新の励みになります!いつもサポートしてくださっている皆様には大変感謝しています。頑張っていきますので、どうかよろしくお願いいたします!