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なぜ人は東京に引き寄せられるのか?

年収1000万がいかに凄いかのnoteを書こうとするも、自身が年収1000万に遠く及ばないために中々筆が進まずに悪戦苦闘している時、マシュマロにこのようなメッセージが届いた。

以前に無尽蔵に成長し続ける東京と、東京に流れる人を少しでも引き留めようと悪戦苦闘する大阪に関するnoteを書いたが、筆者の友人たちの中にも就職を機に大阪から東京へ旅立った者も多かった。彼らは年々大阪へ戻る機会が減り、子供が産まれて以降は年末年始ぐらいしか帰阪することがなくなっている。

昭和の時代は遠くの人と繋がるすべがなく、趣味や性格が一致する仲間に出会うことは難しかった。そして平成に入りインターネットが登場し、遠くの気の合う仲間と気軽につながることが出来る時代が到来した。それでもネット人口は限られていたし、あくまでネットでの人間関係はサブに過ぎなかった。しかしスマートフォンとSNSが全てを変えてしまった。

スマートフォンはパソコンと言うハードルを取り去り、インターネットを全世界の人々に開放した。そしてSNSの隆盛によってネットでの人間関係は日に日に実生活を侵食している。

限られた人間関係の中では苦手な人との付き合っていくことが求められる。しかし日本中の人々と繋がれるSNSの世界であれば無限に取捨選択が可能であり、スマホとSNSが人々を”苦手なアイツ”と嫌々付き合う苦行から解放した。ついに人は人間関係においても限りない自由を手に入れた、かに思えた。

しかしSNSとスマホだけではまだ足りなかった。我々を人間関係から完全に開放するために必要なもの、そう”どこでもドア”である。

SNSで知り合った最高に気の合う仲間たちとネットで駄弁ったりゲームをしたり麻雀をやったりすることは今でも可能だ。しかし、たまにできた暇な時間にちょっと飲みに行こうぜ、となると話は変わってくる。自分が沖縄に住んでおり相手は北海道の場合、ちょっと飲みに行くために必要な移動距離は膨大である。どこでもドアはまだ残念ながら開発されていない。SNSは精神的距離を限りなく縮めてはくれたが、物理的距離まで縮めることはできなかった。

せっかくSNSで出会えた同じ船に乗る仲間と顔を合わせて食事し、飲みに行くことが出来ない。もし相手が異性であれば距離さえ近ければデートに行き、上手くいけば結婚できたかもしれない。しかしお互いの住む場所が遠ければそれは叶わない。全ての捨ててそれだけのために地元を飛び出すのはかなり勇気がいる行為である。

やはりSNSとスマホをもってしても人を人間関係の不自由から解放することは無理なのか?しかし人々はこれを解決する方法を思いついた。そうだ、全ての人間が”同じ場所”に住めばよいのだ。

SNSの検索ボックスに出てくる人々が全員同じ地域に住んでいれば、その中から友達になっても良いと感じる人とリアルでも会い交流することが出来る。では皆どこに集まるのが良いだろう?そんなことは決まっている。そうだ、日本の首都、東京に集まろう。

画して人々は続々と理想の解放された人間関係を求めて東京と言う”エルドラド”を目指すこととなった。東京へ行けば無限に気の合う人々と関係を持つことが出来る。人が多ければ当然仕事の機会も増え、結婚相手も選びたい放題。若者が次々と地方から集まってくる。人はできる限り多くの人々とつながれる機会を求めて東京を目指すのである。

しかし諺に「過ぎたるは猶及ばざるが如し」というものがある。全ての自由を求め東京に人々が結集することは大きなメリットだけでなく、様々なデメリットも生み出すこととなった。

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