突然壊れた話

 「このところとても調子が良かったけれど、急にガクンときてしまい、電車に乗れず、次のにも乗れず、また次のにも乗ってはみたけれど、やっぱり無理だと、降りてしまい、乗りたいはずの電車を何本も見送っていると、自分が情けなくなってただただ涙が出てきました。いつまで続くかわからないこの苦しみはきっと良くなるはずです」と、心の不調を訴えた。さらに「ある日突然襲ってきたこの感覚は、日々よくなっているけれど、いつやって来るかわからない。私は一生地面の上を歩けない気がしてなりません」とつづり、「歩いているところは常に潮が引いている砂浜で、それは膝まで上がってきて、気づくと腰下まで上がって、いつ顔まで覆われるか、分からないそんな怖さです。それでも、ある日襲った大きな波は完全に落ち着いてはきてます」と、状況を明かした。

私はこの田村芽実さんの言葉を、そうかそれは大変だななんて、素直には受け止められなかった。1月中旬から2月上旬の自分がまさにこうで、突然襲ってきた感覚に、一体自分がどうしてしまったのか訳がわからなくて、毎日いつこの波にのまれてしまうのか、困惑し続けた。

発端は12月の初めに、新型コロナウイルスに感染したことだった。
症状自体はインフルエンザと同じくらいで自宅療養で済む程度だった。それ以上に自分にとって大きかったのは、大学を1週間程度休んだことだった。
高校までと異なり、大学は全て自己責任でである。事務に休みますと言えばいいものではなく、担当の先生それぞれにこういう事情で休みます、といちいち連絡をしないといけない。そんな手間の多さから、私は大学を「休む」ことがずっと怖かった。平気で「サボったわ」と話す他の学生が信じられなかった。休むことは悪だった。
そんな私に突如訪れた、1週間の休み。コロナという理由はあるけれど、それは自分に想像以上にダメージを与えた。いざ教授に欠席メールを送って休んでみると、休むこと自体はいとも簡単なことだったのだ。そのことに私は酷く驚いた。こんなにも簡単だったんだ。
ただもちろん休みと言っても、外出はできない。それに加えて私は寮に住んでいて、感染防止のため宿泊施設に移らなければならず、普段の生活からはかなり乖離した生活を強いられた。世間から隔絶された気分だった。

そんなこんなで学校に復帰。途端、授業が全く分からない。いやいやでも、まだ本調子じゃないから、を言い訳にしていると、次週からは冬休み。私は冬休みになるとすぐに実家に帰省し、成人式に出席する都合上2週間程度一人暮らしの家を離れた。
この休みの間は、休んだ分を取り返さないと!と一丁前に教科書は持ってきたものの、まだ帰るまで暫くあるし、とだらだらしていた。

成人式が終わって帰ってくると、最初からチェックテスト。ちょうど私がコロナになったときに教えられたところらしく、全くわからなかった。その後も立て続けに、「分からない」ことがあらゆる授業で続いた。英語で開講されている専門科目を2科目とっていたせいもある。それもディスカッションありの。もう本当に毎日ついていくのが必死、というよりついていくことを途中で諦めて、いかに左から右へと音声を流すかというだけの時間になってしまった。楽しさも何もなかった。無の時間が続いた。
でも無のままではいられない。やはり毎週ある小テストに、自分の現実を思い知らされる。自分ってこんなにだめなんだ、何とかしないと、でも明日の科目のテストを優先しなきゃ、あ、でも今からバイトじゃん!…何かに追いかけられている気分だった。そのくせいざ勉強しようとしても身が入らなかった。次第に、パソコンや教科書を見ること自体に怖さを感じた。

でもまだ、いけるはず。悠長に構えていたとき、急に何でもない時にまで動悸がするようになった。朝目覚めた瞬間から心臓がバックバク。リラックスも何もなかった。何に焦っているのかも分からず、動悸は止まらず、やらなければいけないことが何もできない。
それはゆっくり生活を蝕んできた。朝ご飯を食べてシャワーを浴びるだけでくたくたになった。服を着替える気力がなくなった。パソコンを充電するだけの気力もなかった。とにかく布団にこもって、自分の動悸がおさまるのを期待した。でも無理だと分かって、どんどん授業時間が近づいて、体をなんとか起こし、なんとかリュックを背負って、なんとか自転車をこいで学校に行った。けれど教室に入る前にまた動悸がして、ドアを開けて席に座った後も落ち着かなかった。授業を聞こうとしても、自分が当てられている場面でも何でもないのに、急に涙が出てきた。学食に行こうにも、長蛇の列を見ただけで怖くなってしまって、逃げるように売店に行って、誰にも捕まらないようにそそくさと商品を取ってセルフレジで購入し、隠れるように食べた。美味しいのか美味しくないのか、よく分からなかったけれど、とにかくお腹に何か詰め込まなきゃ、の一心だった。家に帰ってもそうで、何もできない自分にいらいらして、口に何かを入れることに夢中になった。ケチャップやマヨネーズをそれ単体で食べるようになった。1本のケチャップが、2週間程度でなくなっても、買い足して同じことを続けた。
夜になると意味もなく涙が出てきて、わんわん泣いた。隣の部屋に迷惑かななんて考える余裕もなかった。何に泣いているのかも分からずに、ただただ涙ばかりが出てきた。

自分がおかしいという感覚だけはあるけど、何が原因でどこを取り除いたらいいか全く分からなくて、掴もうとしてもサラサラ溢れていく砂を投げようとして、全部下に落ちていく感じがした。

こんな毎日が約1ヶ月続いた。

完全にピタッとある日突然終わったわけではなくて、今学期の授業が全て終わると、次第にこの症状がなくなってきた。動悸は今でもするけれど、あのときみたいに急に何でもないのに涙が出てくるような頻度が減ってきた。

今でも、明日から、なんなら1時間後にまた同じことが起きるのでは、と不安に思っている。先の見えない不安。明日自分がまともに外を歩けるかわからない不安。

そんな感じで過ごした1ヶ月だったので、はっきり言って授業の単位があるか分からない。テスト勉強なんてこんな状況でできるわけがなかった。
自慢ではないけれど入学して今までのGPAの平均は約3.7で、秀が欲しくてバイトがある日以外は毎日図書館にこもって課題をした。閉館までずっと。
だからそれがまるでできなくなった自分が理解できなくて、情けなかった。でもとりあえず、生きて、呼吸をしていて、なんとか出席した、なんとかテスト用紙に文字を書いた、それだけで自分にとっては合格だと言わないと、じゃないと本当に息ができなかった。

残念ながらこんな状況に陥った今の私には、向上心がない。「足るを知る」、がモットーになってしまった。欲をはって頑張ろうとしないこと。他者評価を気にしないこと。できなくても無理をしないこと。もしかしたらちゃんと前を向ける日がいつかは来るのかもしれないけど、でも、そのいつか、に期待できるほど強い人間ではない。残念ながら。
昨日の私は今日もやっぱり私でしかないし、それはたぶん明日もそうで、急に動けるようになるわけではない。生きているだけで充分。そう考えないと、しんどいから。

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