心地よい立地ってなんだろう

最近なんでこんなストレス続きなんだろう?と思ってふと12月まで住んでた家の前まで行ってみたら、ここ3ヶ月感じなかった心の安らぎを感じた。

それは、前の家の方が、通勤路の自然環境が豊かだったから。
商店も公共施設も何もない地区だけど、広い道と、一面の田園風景があって、「なにもない」を心の底から楽しめる空間の広がり。
こういう場所が私は好きだったんだ、と思った。

前の3ヶ月もしんどいこと、泣きたくなること、自分に合わないことはいっぱいあったけど、それでもこの景色があったから救われてたんだ!本土に帰りたいなんて1ミリも思わなかったんだ!と気づいた。

私は結局、人とかモノとか、色んなものから離れたかっただけなのかもしれない。

今の家は立地的には便利で、役場まで徒歩15分、商店やパン屋もすぐそば、周りには家がたくさんあって街灯も多くて…と、かなり恵まれている。

恵まれている、のだけど、その分あらゆるものに囲まれすぎて、それがしんどかった。いつのまにか、情報量の多さに疲れてしまっていたんだと思う。
だから部屋にこもることを選び続けたんだろう、情報量を限りなく減らしたくて。

ただでさえ1〜3月は仕事で新規プロジェクトに関わらせてもらうことになって、人との関わりがそれまでの何倍にも増えて、交渉事も増えて。
ようやく「仕事をしている」感を得られて、「充実」はしていたのだけれど、そんな環境が毎日休みなく続くことに疲れてしまっていた。

私はストレスがかなり体に出るので、そのせいで従来からの不眠症がさらに悪化した。
毎日早朝3〜4時、下手すると2時半くらいには目が覚めて、それから眠れず、スマホでテキトーな動画を見て、疲れてきたら目を瞑って6時半まで待って、…。
寝ることが憂鬱になった。高校生までは「眠り姫」と家族に揶揄されていたレベルだったのに。

今日、前の家がある地区を久々に自転車で走って、「息ができる」って、こういうことなんだ、私が求めていたのはこんな「なにもない」「人からもモノからも遠ざかった空間」なんだな、と分かった。

島に来たからもう本土のような息苦しさはない!…と10〜12月はそれはそれは嬉しかったのだけど、この3ヶ月を通してその考え方が間違っていることに気づいた。
同じ島なのに、住む地区や家の場所によって、こんなにも感じるものが違うんだから。

「都会、本州の暮らしに耐えられない」と言って飛び出してきた私。
あの思いは正しくなかった。大事なのは、同じ自治体でも住む場所を選ぶことだった。

自分を他のものから切り離せる場所こそが、自分に心地よい空間。

図書館に休日こもり続けることや、旅行と称して知らない町を目的なく歩き続けることが好きなのは、そういう理由からなんじゃないか。

でも、人と全く関わりを持てないことで精神を病んでしまった大学時代の自分を思い返すと、結局バランスが大事なんだろうとは思う。
仕事で人と関わりまくるなら、プライベートは切り離す。あるいはその逆。

島での生活も残り2週間。
まだまだ大きな業務が残っているので、それは最低限こなしつつ、できる限り自分をしんどいところから切り離したい。
息がちゃんとできるようにしたい。

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