格差の優劣

松本杏奈さんが叩かれている件について少し思うことがあったので書きます。

松本さんは、徳島からスタンフォードに進学したことで、最近注目を集めてる人。海外大に進学する人なんてそうそういない四国。そんな地方格差がある中で自分で情報を収集して、やっと自分がいられる環境が見つかったと、これまでTwitterをはじめとして様々な媒体で発信をしてこられた。

愛媛県の中でも人口減少が著しい南予地方出身の私にとって、そんな松本さんは、四国からそんな人材が出せるんだ、と驚かされる存在だった。
本州に住んでいる人には四国がどんな場所か想像がつかないかもしれない。自然豊か?不便?こぢんまりとしてる?まあ、どれも正解だと思う。
本州からのアクセスの悪さは言うまでもない。交通機関が発達していないのは勿論。だって新幹線がないし、無人駅は多いし、ICカードが使えない区間も多い。(というか愛媛県のJRではICカードなんて使えない。自動改札が存在すらしない。)

でも、四国の最大の問題は、情報格差だと思う。インターネットが使える現代で情報格差なんて言うな、個人の問題だろ、と思うかもしれない。それは間違いではない。
けれど。情報を入手するには、その情報のもととなる部分に接触したことがあるかどうかが鍵になる。例えば私は民族楽器をYouTubeで聴くのが好きだ。バンスリ、ネイ、ティンホイッスル、バグパイプ。好きなものはネット上に沢山溢れている。でも、それを見つけるまでに(民族楽器という世界に飛び込む前に)、本当に誰の手助けも何もなかったと言えるのか。本当に自分1人でその情報に辿り着けるのか。生まれながらに所与の情報として、民族楽器だの、海外留学だの、そんな選択を知っているのか。
勿論そんなわけはない。周りの人間がたまたまそういうことをしていたなど、原因は近くにある。環境要因はとてつもなく大きい。そして、その環境が四国は弱い。外の世界を知っている人間が少ないともいえる。

令和の今、日本には大量の外国の方が来日している。そして住んでもいる。四国にも当然、外国の方はたくさんいる。けれど、日常で接触する機会は、都会に比べて圧倒的に少ない。情報源が本当に限られてくるから、周りにどんな人がいるかによって、得られる情報量が左右されてしまう。
私が中高一貫校の4年生(高校1年生)だったとき、進路指導をしてくださった教頭先生は言った。「都会に比べて、ここは格段に情報格差がある。東大進学のためにどういうことをすればいいのか、受験に向けてどう動いているのか、知っている人があまりにも少なすぎる。受験は情報戦だ」
受験は情報戦。この先生はそういったけど、これは受験に関する問題だけではない。人生そのものが情報戦になってはいないだろうか。

例えば就活がそうだ。業界研究、OB訪問。知らなければ何も始まらない。
昨年、大学の講義で、国家公務員の人がどういう働き方をしているのか学ぶ授業を受講した。そのときに担当の先生がおっしゃったのは、「関東圏の大学生に比べて、こっちの学生は全く就活に向けて動いていない。自分用の名刺をつくるとか、来てくださった方に積極的に話をしにいって少しでもパイプ・コネクションをつくるとか、そういう姿勢がほとんどない」。
これを聞いたとき、少なからず衝撃を受けた。ここは四国ではない。本州だ。本州なのに、関東圏よりも劣っていると言われた。本州なのに?自分の今までの本州信仰が崩れた瞬間だった。
…本州でこれなら、四国はどうなの?もっと、もっとずっと足りないものがあるんじゃないか?
そう思ってかなりの危機感を覚えた。

話がかなり逸れてしまったけれど、要は、四国にはとんでもない情報格差がある。
それを乗り越えようとして、松本さんは必死に戦って、結果今、スタンフォードにいる。そして、この情報格差をなくそうとして、発信を続けていた。

ところが今、松本さんのお父様が東大理三出身で、徳島大医学部の名誉教授らしい、とネット上で話題になっている。そして、「やはり恵まれた環境だった」とか、「徳島出身で格差がありました!と悲劇のヒロインみたいなストーリーをでっちあげていたが、実はそんなことはなくて恵まれていた」とか言われて、かなり炎上している。
そして、とうとう松本さん自身はTwitterのアカウントを消してしまった。

こうやって松本さんを叩く人たちは、どこまでこの情報戦の社会格差を知っているんだろうか。

正直なことを言うと、私自身も経済的に裕福ではない家庭で浪人を諦めたので、裕福な家庭に対する妬みはかなりある。こいつはそんな後ろ盾があったんだから成功して当然だとか、金さえあれば私も浪人してもう一度京大を目指せたとか。
でも、今回、松本さんのお父様のことを知っても、嫌悪感は湧かなかった。というより、「海外大に行くという選択肢を少しでも持てる人なら、そんな家庭環境なのはある意味当然では?」と思った。
たぶんそれは、経済格差云々の前に、四国が情報戦において圧倒的に不利な立場であることを、同じ四国出身の者として知っていたからだと思う。

松本さんを叩く人によく考えてほしい。
松本さんが強調していたのは、「徳島出身」の部分。
そこに都会と比べて格差があったことは、紛れもない事実なわけで。

ましてや松本さんの場合、奨学金が貰えなければ合格しても進学できないという状況に合ったことを自身で発信している。なら、そこまで経済格差のことを指摘して炎上するのは筋違いではないか。
お金持ちで海外に行きやすいからいくらでも海外に行けるんでしょ、なら分かるのだが、彼女の場合親がその選択に反対して、自力でお金を入手するしかなかったのだ。なぜここで裕福なことが叩かれる必要があるのだろう。

私はここに、経済格差>地方格差、という格差の優劣のようなものがある気がしてならない。
当然ながら、都会に住んでいようと、裕福でなければ選択の幅は狭まる。選択を広げようと思えば、なおお金があった方がいい。それは当然のことだ。
けれど、そこに優劣は本来存在しないのではないか。
経済格差がある。地方格差がある。それは個別に、並列の関係で存在するものではないのか。序列はあるのか。

何が上で、何が下だから、下の格差は無視していい。
そんな理屈がいつから通るようになったのか。

結論。
四国という狭い世界では、間違いなく情報格差は存在する。
その中で、海外大進学という選択肢を見つけるのは、見つけることですら本当に難しい。そしていざしてみようと思っても、その説明会の開催場所は都市部にほぼ限定される。その中で勝ち取ったのは、本人の努力の賜物だ。

家庭環境の影響は、間違いなくある。でも、家庭環境が貧弱でないと、苦境から這い上がりました、と発信してはいけないのか。弱いものでないと頑張りました、と言ってはいけないのか。
強者の中にも努力は存在する。そして、「強者」の定義も、色々な側面がある。

少なくとも今回、松本さんの土台は「徳島出身」、ただそこにあるのだ。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?