「人生の主役じゃない」という言い訳

前のnoteでもちょっと書いたけど、今までの色んな出来事の結果、自分には「人生の主役じゃない」から、私は他の人みたいな贅沢なことはできない、という思いがある。

そんな風にして生きてきたから、今まで自分の将来に対して「誰かの脇役でいたい」「縁の下の力持ちでありたい」などと考えてきた。
それはそれで大切な役目で、華々しいことをしている裏で動いている人も必要。だから自分はそうなればいいと思ってきた。

でもこの人生の主役じゃないという言葉に、変に締め付けられてきたようにも思う。
それで就活をぼちぼち始めなきゃ、と思う今になって、私の人生の主人公って私以外の人間じゃないじゃん、と気づいてしまったわけである。

脇役になりたい。でも、誰の脇役になるかを選択するのは自分じゃないのか。
そんなに自分を他人に委ねていいのか、そもそもそんな都合のいい他人がおまえにいるのか?

これまでは将来、自分は地元に残って働くんだろうなと思ってきた。人生の依存先が地元だったから。
けれど大学の先輩方が県外で就職すると聞いて、あれ、違うんじゃないか、と思った。脇役とか言っても、どこかで自分で選択しなきゃいけないときは来る。
で、それって、今じゃん。

脇役であることを理由に選択を避けてきた結果、道が選べなくなっている。
お金が欲しいわけじゃない、自分が安心して息ができる場所なら、本当はどこだっていい。
大学の公務員講座を受けているけど、本当に公務員になりたいのか??地元で働くなら公務員が一番まともに見えるから、それが最善だと思い込んでないか?

それでいいのか?


人生の主役じゃない、
この言葉は今まで何もしてこなかった自分にはあまりにも都合が良すぎた。
でも、そろそろ、重い腰をあげて動かなきゃいけない。なら、主人公になるために、心持ちを変えないといけないのでは?

私の中に長いこと染み付いてしまった価値観だから、そう簡単には変えられないことは分かってる。
でも、過去に蓄積されたからどうしようもないんです、なんて放棄するのが一番ださくない?

欠点も欠落もたくさんあって、その度に絶望して、それでも立たなきゃいけないときがあるんじゃないの?

言い訳してばかりいる自分が、ださい。恥ずかしい。情けない。
何か動こうとしてる人のことを陰で笑って、足を引っ張ってやりたくて、自分と同じ位置に置いておきたくて。
何だこれ、何をしてるんだ、そんなことをしたいわけじゃないでしょ?

自分の人生が他人から逸れてるなんて、他人からしてみればどうでもいいんだよ。
他人から逸れてようが何だろうが、誰も聞いてないから、だからいつまでも自分に陶酔してないで、主体性持ちなって。

これからどう生きていくのか。
他人に主導権なんてない。どうなろうが自分次第。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?