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AI時代のライター、今後のキャリアを考える。

 今、生成AIがやばい。数年前から「AIはやばい」「ライターの仕事がなくなる」と言われてきたけど、この1年の変化は本気でやばい。Chat GPT4、そしてClaude3。特に個性が求められない平均的な文章であれば、AIの方が下手なライターよりずっと上手く書ける。

 目端の効くライターは、すでに文章生成AIを積極的に活用し始めている。クライアントが文章制作を内製化する動きもある。

 イラストレーター業界と違い、ライター業界(特にWeb)にはAIに対する忌避感があまりない。

 小説やエッセイといった文学作品でもない限り、文章そのものの個性にあまり価値はない。基本的には書いてある「情報の中身」に価値があるのであって、その意味では技術的な要素に自らの価値を見出すイラストレーターとは少し事情が違うのだと思う。

 文字に関わる職種の中で唯一強い抵抗感を示しているのは新聞業界だが、それはAIに記事内容を学習された場合、AIの学習先が限られるせいで結果的に元記事と似た文章・中身が出力される、すなわち苦労して得た一次情報をあっさり横取りされてしまうからではないだろうか。一応記事の盗用という形で問題になってはいえるけれど、ここでも、やはりキーワードは「情報」である。

 文章はあくまでも情報を伝達するための1つの手段でしかない。そして、「手段」として使われる技術というものはおよそ自動化が可能であって、しかも「そこそこの品質」のものを作るのであれば機械の方がずっと上手くできる。産業革命によって繊維産業が(一部の高級製品の製造を除いて)機械化されたのと同じことが、AIの登場によって「文章を書く作業」にも起こっているだけだ。

 筆者は、ライター歴9年。業界の末端で働くしょぼいライターではあるが、キャリアだけ見れば立派な中堅である。今春からロースクールに進学し、少し離れたところから「書く仕事」を眺められる立場になったので、これまでの振り返りも兼ねて「AI時代のライター」としてのキャリアについて思うところを書いておきたい。

3年前からWebライターはすでにオワコンだった

「Webライターはオワコンである」という説を、筆者は3年ほど前から一貫して唱え続けてきた。

 ここでは、その理由を2つ紹介したい。

 1つはSEOトレンドが「コンテンツの質や独自性、権威性を重視するもの」に変化したことである。

 検索エンジン対策(SEO)やコンテンツマーケティングなるものが登場した黎明期、2010年代前半はとりあえず「なんでもいいからコンテンツがあればいい」「記事を作れば検索エンジン経由で集客ができる」という時代だった。牧歌的な時代で、とりあえず誰でも文字が書ければライターを名乗れた。Webでコンテンツマーケティング用のコンテンツを書きまくるWebライターなる仕事も生まれた。かくいう筆者がライターになったのもこの時期である。

 Webライティングの登場により、ライター人口は爆発的に増えた。この時期のコンテンツ制作は大量生産が基本である。ネットで調べた情報をもとにチャチャっと書いた「こたつ記事」なるものも登場し、結果的にネット上には粗製濫造された信頼性の低いコンテンツがあふれた。その結果2016年に起きたのが、悪名高きWELQ事件である。

 「肩こりの原因は幽霊」をはじめとしたトンデモ健康記事は、ネット情報のヤバさ(とWebライターやメディアのいい加減な仕事ぶり)を世の中に知らしめるとともに、当時Web記事制作の現場にいた人間に改革を迫ることになった。

 情報の出処や参考文献に気を遣うクライアントも増えたのも、WELQ事件があってこそである。

 さらに、この辺りから検索エンジン側も信頼度の低い情報の氾濫を危惧し、コンテンツの評価基準を見直しはじめた。検索の結果において「コンテンツの質」が重視されるようになり、特に「YMYL」と呼ばれるお金や医療、法律といった話題については情報の信頼性が非常に重要になってきた。「単価を上げたい」と考えるライターの間で「生き残るためには専門性が必要である」という認識が広まり始めたのも、この時期だったように思う。
 現在では信頼性に加え、コンテンツの独自性も評価されるようになり、取材記事の価値が上がっているといわれている。取材もまた専門スキルの一種ではあるので、これもまたライターの専門化の流れといえそうだ。とりあえず文章を書ければいい、という時代は数年前に終わっているのである。

 もう1つはライター人材の供給過多である。

 ライター(特にWeb)に求められる文章力は大学受験小論文レベルであり、そんなにものすごいものが求められているわけではない。「まともに受験勉強をしてきた、比較的言語能力高めの人間」であれば、わりと簡単にライターになれてしまうのである。そこそこの大学を出た「ちょっと文章書ける奴」が全員ライバルになっちゃうのがライターという仕事であり、その時点でライバルがものすごく多い。そこに、天性の文章センスをもった才能ある人たちが加わるわけで、もうカオスである。競争倍率が高すぎるがゆえに、「きれいな文章が書けること」は全く差別化要素にならない。

 そうなると、「何を書くか」で勝負がつくことになる。専門性との関係でいえば、教科書的な知識があり、業界特有のノウハウや暗黙知を持っている人が強い。その条件を満たす人たちがいる。金融、不動産、医療……専門性の求められる業界で働き、実務の現場を知る優秀なビジネスパーソンたちである。いくら机上で専門知識を身につけても、この人たちには勝てない。

 メガバンなどの一流企業で副業が解禁されつつある今、「生きた知識を持つ優秀な人材」がライター業界に供給される環境が出来上がっている。この状況で、専門ライターとして勝ち残れる自信は……正直、筆者にはない。

 専門人材が副業ライターとして界隈に参入してきた場合、ライターに残された最後の専門性は「書くこと」そのもの、具体的には取材や企画出しのスキルである。優れた企画に基づく取材記事の執筆はライターの王道であり、昔からライターにしかできない仕事として高い価値を持っていた。

 しかし、こうした「書くこと」のスキルについては出版社や新聞社、編プロで基本を叩き込まれた「紙媒体」出身の人が強い。さらに、最近ではAIの登場などによって稼げなくなったWebライターが取材記事に流入する流れも出てきているようである。「ライターが生き残れる最後のジャンル」と呼ばれた取材も、一部の才能をある人を除いて生き残りは厳しくなりそうだ。

最後のトドメは生成AI 

 以上の理由より、「ライターはオワコンである」という結論に至った筆者は、ポジションを取りながら逃げ切りを図るのが得策だと考えるようになった。

 まずはポジション取りである。それには取材ができるようになること、そして専門知識を身につけること。しかも、一般のライターがあまりやりたがらず、次のキャリアにつながるようなジャンルの。

 筆者は「法律」の分野で書くことを選んだ。幸い、法律関係のライティングや取材の仕事は筆者にはとても合っていた。「ライターはオワコンだ」と冷笑していたのに、「やっぱり一生書く仕事がしたいな」と思ったのも、法律ジャンルに出会ったおかげである。ライター業界から脱出することしか考えていなかったのに、かえってライターという仕事が好きになってしまった。望外の、でも、嬉しい副産物である。

 そんなわけで、筆者の戦略はだいたいうまくいった。しかし、最後まで逃げ切る前に予想外にヤバいものがやってきた。ChatGPT4である

2022〜2023年にかけての生成AIの進化は凄まじかった。みるみるうちに自然な日本語で長文を操れるようになっていったAIはライターの仕事をダイレクトに脅かし始めた。

 特に、ChatGPT4の登場は革命的だった。セミナーなどの要約作成も、文字起こし原稿からの記事作成も一瞬でやってくれる。Web情報を参照しながら、それなりの記事を書くこともできる。コストを安く抑えて「そこそこのもの」を作りたいなら、人間のライターなんていらない。実際、筆者も何件か案件を失注している。

 ChatGPT4登場以降、AI関連の動きは本当に速い。2024年3月に発表されたAnthropic社のClaude3は、ChatGPT4よりも自然で、人間らしい文章が書けるようになっているという。筆者もこれから試そうと思っているが、「人間のライターにとっては絶望的な結果になるのでは」と今から予想している。

 真面目に、「文章が書けるだけのライター」はいらない時代になってしまった。いよいよライターオワコン説が現実味を持ち始めた感じである。あと数年もすれば、特にWebを中心に廃業するライターが大量に発生するのではないだろうか。

ライター業のこれからを考える

 オワコン、オワコンと叫びながらも、筆者はやっぱり「書く仕事」が好きだ。一銭にもならないのにこんなくだらないnoteを書いているくらいには文章を書く作業が好きで、自分の書いた文章でお金がもらえるほど素敵なことはないと思っている。

 ライターの中には、「AIの書いたものを人間が編集する形になる」と踏んで、すでにAIを使って執筆することを前提に作業フローを組んでいる人もいるみたいだ。

 実際、それは正しい認識だと思う。筆者自身SEO記事ではChatGPT4で下書きを作っているし、AI時代を見据えて編集の通信講座を取ってもいる(多忙で溜めてしまっているが……)。ただ、それはあくまでもコンテンツマーケティング的に使いやすい「無個性な文章コンテンツ」を量産するためのテクニック的な話であって、本来文章を書くという作業ってそういうものじゃないんだよなあ、という気がしている。

 AIが書いたものをいじって仕上げる作業って、「お金の発生する仕事」として割り切るならいいけど、物書きとして楽しいんですか?

 筆者はもともと文章を書くのが好きで、それが高じてたまたまライターになったような人間だ。だから、「AIに書かせて、人間が編集して……」という機械的な工程には、どうしても乗り切れない部分がある。いや、もちろん仕事だったらやるんだけど、やっぱり「AIには書けないものを書きたいよね」という気概はある。

 じゃあ、どうすればいいのか。

 まず、「AI様が知らない話を書けばいいよね」というのはある。

 Chat GPTに使われている大規模言語モデルは、Webページや書籍といったソースから文章を大量学習した上で、「Aという単語の次にはBが来る可能性が高い」という確率論にしたがって文章を生成している。したがって、現場の人間の生の声や専門家の実体験に基づく知見であるといった、どこにも出回っていない情報についてはAI様は書けないわけだ。人間のライターが狙うなら、まずはその部分だと思う。

 AIが発展しても、カウンセラーなどの人間に向き合う職業はなくならないという話がある。したがって、人間のリアルな感情や経験を取材によって深く掘り下げていくもの。そういったコンテンツは人間の書き手の強みが出るのではないかと思っている。

 次に、自分自身の深い知識と知見を活かしてオリジナルの意見や思想を書くもの。AIには感情も倫理観もなく、出力できるのはデータを継ぎ接ぎした「もっともらしい何か」だけである。AIの生成した文章のファクトチェックができるレベルの知識がある人間が、きちんと考えてオリジナリティのある物を書いたら、それはもうAIには真似ができないものになると思う。そこでモノをいうのが書き手のインプット量、勉強量である。芸術作品でも専門書でも小説、漫画でもそれこそ浴びるように体内に取り入れないと使い物にならないんじゃないかという気がする。

 地道な取材と大量の勉強。それはものすごくアナログな話で、一見デジタル化の時代には逆行する。しかし、一流の書き手が昔からやってきたことだ。情熱と狂気と知性を兼ね備えた根っからのモノカキにしかできない仕事だ。

 生成AIの登場により、ライター業界は今激動の時代にある。書く仕事の多くはAIに代替され、おそらく今ライターを名乗っている人間の大半が廃業するだろう。

 個人的には、これからライター業界は「世の中に紙媒体しか存在せず、一握りの人間しかライターになれなかった時代」に近い形になっていくのではないかと考えている。ある意味、回帰である。

 本来、ライターは知的専門職であり、一部の変態的な人間にしかなれないものであった。「とりあえずマトモな日本語が書ければライターになれる」という、この10数年のトレンドがそもそもおかしかったのだ。

 Webライティングの影響で増えすぎたライターがAIによって淘汰され、業界が「あるべき姿」に戻る。ただ、それだけの話であって、それで業界から消えてしまうライターなら、それは単純に書き手としての力不足である。

 この先、筆者のような凡庸なライターが生き残れるのかどうかはわからない。諦めて、業界から去るときが来るかもしれない。でも、それはそれで正しいことではないかと思うのだ。


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