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【セクシー田中さん事件】報告書を読んで感じたこと

「セクシー田中さん」の原作者・芦原妃名子さんに、哀悼の意を表するとともに、謹んでお悔やみ申し上げます。

日テレから報告書が公開され、個人的にとても気になっていた事件だったので、かなり丁寧に内容を確認しました。

重たい内容ではありましたが、色々考えさせられたことも多く、忘れないうちに自分の思考を残しておこうと思い記事を書きました。

あくまでも報告書に目を通して、僕が感じたことなので、実際は違うかもしれません。また、事件の詳細については書いていませんので、事件の経緯そのものが知りたい場合にはWikipediaや上記のプレスリリースを読んでいただければと思います。

氏名を記載するのは、はばかられたので、原作者、脚本家、日テレ、小学館と書かせていただきます。日テレ、小学館は複数人関係者が出てきますが、とりあえず、総称で書かせていただきました。


【ポイント】

(1) 報告書を見ても分からなかったこと
・原作の改変に、日テレがどの程度関与したのか分からない
・原作の改変の程度について、原作者の言い分の妥当性が分からない

(2) 際立つ日テレサイドの無能さ

・日テレサイドはひたすら情報を横流しして調整しているだけ
・その無能っぷりが揉め事を大きくしてしまった感じもある

(3) 怒りがエスカレートする原作者
・原作者は最初はできるだけ穏便な姿勢を見せている
・後半は、怒りすぎて、脚本家が何をしても受け入れることができないレベル

(4) クレジット問題の揉め事の難しさ
・クレジットの問題は脚本家が流石に気の毒である
・日テレは脚本家の権利を守らず、泣いてもらうことで押し進めようとした

報告書を見ても分からなかったこと

最初に報告書をみても分からなかったことをいくつか書いて、その後で実際に読んで気になったことなどを書いていきます。

脚本にどこまで日テレが関与していたのか分からない

まず、この問題の根幹は脚本家による原作の度重なる改変です。改変自体はドラマの尺の問題などを考えると致し方ないと原作者も認めています。

でも、「そのセリフをカットしたら流石にダメでしょう」とか、「この順番を入れ替えたら整合性が合わないでしょう」・・・みたいな話はどうしたって出てくるわけで、どうも序盤から原作者は日テレ・脚本家サイドとの相性が悪いように感じます。

回が進むごとに、原作者と脚本家の間にどんどん壁ができていき、最後は修復不能になっていきました。

ですが、脚本の製作過程は、プロットづくりと台本起こしに別れ、プロットづくりは日テレと脚本家の制作チームが一緒に実施し、それを脚本家が台本に落とし込む流れで進められています。また、脚本の最終責任は日テレでした。

これを考慮すると、原作者を怒らせた改変の首謀者は、脚本家ではなく日テレなんじゃないかと思うのです。でも、なぜか原作者の怒りの矛先は一貫して脚本家なんですよね。これは違和感しかありませんでした。

個人的には、角が立たないように、日テレが脚本家をうまく悪者にしながら、小学館と交渉をしていたんじゃないかと勘繰ってしまいます(もちろん憶測です)。僕は、これ自体はそこまで悪いことではなく、よくあることなのかなと思っています。ただ、そうだとしたら、本件の報告書には記載があるべきだと思います。

脚本の改変の首謀者は日テレだったが、業務を円滑ん進めるためにも、脚本家には悪者になってもらっていた。その結果、原作者と脚本家の間の溝は不必要に大きくなったと言うのが僕の憶測ですが、本当のところは報告がないので分かりません。

改変の程度が一般的に納得できるものなのか分からない

もう一つ分からなかったことは、原作の改変の程度です。一言で改変と言っても、グラデーションがあると思うんです。もちろん、原作者の著作物である以上は、原作者が納得できるかどうかが全てだとは思いますが、一般的な視点では容認できる程度の改変だったのか、どう考えても魔改造と感じるくらいに醜い改変だったのかは知りたいですよね。

原作者も改変があること自体は致し方ないこととして理解しているんです。それなのにここまで揉めてしまったと言うのは結構醜いレベルの魔改変があったんだろうと普通は想像すると思います。

ところが、報告書にはひたすら、致し方ない程度の軽微な改変をしたら、原作者が納得せず、揉めたと言う雰囲気で書かれており、ここは明らかに日テレ側の意見しか入っていなかったところだと思います。

本当に軽微な改変だったのか?ここは具体的な改変内容まで報告がないと生々しいところが見えないなと思いました。

小学館の報告書を見ると改変というよりも、原作者が造った哲学、世界観、キャラクターの内面など表面的な話の流れではなく、作品の深い理解が足りていないと感じたんだと思います。

それを考慮すると、脚本家に悪意があったというよりは、力量が足りなかったという方が近いのかなとは思いました。

また、SNSでは色々な漫画家の先生方がドラマ化などで、制作サイドの改変により原作者側が泣くことが業界の悪習として投稿されていましたが、その辺の検証まで突っ込んだ報告がありませんでした。

でも、これだと今後の対策が甘くなりますよね。

事実、最後に書かれていた今後の対策は、時間の余裕を持って進めますみたいな「作文」がとって付けられていただけだったので、改善の見込みは薄いな〜と感じました。

では、次からは、実際に報告書を読んだ感想になります。


際立つ日テレサイドの無能さ

いきなりトゲのある言い方をしてしまいますが、報告書を読んでいてイライラするのは日テレがすごく中途半端なんです。

原作者がこだわりが強く、過去に映像化などで揉めたこともある先生だということを承知の上でドラマ化を進めているので、日テレ側が、とても気を使っていたことはよく伝わります。でも、残念ながら原作者の世界観、登場人物の内面などをちゃんと理解していない感じがすごいんです。

その辺の微妙なニュアンスを判断するのは日テレの役割ではなく、小学館あるいは原作者サイドで判断してくれって感じで、脚本家が出した脚本をそのまま投げている感じなんです。実際はどうなのか分かりません。ただ、脚本を書くのは僕たちの専門じゃないし、細かい解釈は小学館サイドに任せるからみたいな雰囲気がかなり強いです。

時間がないなど、色々な問題はあると思うんですが、日テレは脚本家が出した案を小学館サイドに流す前に、脚本家と日テレのチーム内でもっと丁寧にチェックをしていれば、ここまで原作者を怒らせることはなかったんじゃないかと勘繰らずにはいられませんでした。

日テレは報告書に、最終的には原作者の要望には全て叶う形で対応したと強調していますが、これはその通りなんですが、誠意は全く感じません。ただ単に、妥協で原作者の要望に合わせましたみたいな雰囲気がすごいんです。そして、こののらりくらりとしたスタンスが後のクレジット問題の原因にもなっていて、なんだかな〜という気持ちを禁じ得ませんでした。

怒りがエスカレートする原作者

この問題の根幹は結局ここなんですよね。一度、悪い印象を持ってしまうと、人はなかなか良い目で見ることができなくなります。

もうね、報告書を読んで行くと、原作者の不信感がエスカレートするのがはっきりわかるんです。一度、信用を失ったパートナーはどんなに一生懸命信用を取り戻そうと頑張っても、欠点しか見えないんですよね。途中からは、おそらく致し方無い改変でさえも、原作者は許せなくなっていたと思います。これは、正直なところどっちが悪いのかよく分からないです。

でも脚本家や日テレにとっては些細な変更、ドラマ化するにあたりやむを得ない改変だったとしても、原作者にとっては、作品に対する愛が深ければ深いほど受け入れ難かったりするじゃないですか?

話がちょっとずれますが、漫画で読んでいたものがアニメ化されて、あれ?、声が思っていたのと違うな〜と違和感を感じることってありますよね?それを許容できる塩梅は人によって全く違うと思うんですが、原作愛が深い人ほど許せない傾向はありますよね。

そして、本件のドラマ化にあたっては、その塩梅は全て原作者が納得するかどうかという、その物差しに委ねられているんです。原作者の創作物という視点では、あるべき姿だとは思うんですが、時間や予算などの制約が多い状況では、かなり難しい課題になっていたと思います。

ちなみに過度に原作者寄りなところは小学館のスタンスがかなり影響していると思います。

出版社にとって作者ってコンテンツのゼロイチを作る神様のような存在なんですよね。だから、プライベートが最低だろうが、パワハラ気質だろうが、原作者に嫌われてしまったら出版社はおしまいなので、絶対に守るというのを聞いたことがあります。(本件の原作者がプライベートは最低とか、パワハラ気質と言ってるわけではないです)

だから、脚本家に対してちょっと言い過ぎじゃない?という空気があったとしても小学館は徹底して原作者を守っている感じです。これは小学館として正しいスタンスではあると思いますが、本件全体を俯瞰してみると、原作者と脚本家の溝を大きくし、悪い方向に働いたのではないかと思います。

特に、作品の内容についてはそれも致し方ないとは思いますが、後述するクレジットの部分は、コンプライアンスを守ることよりも原作者に肩入れすることを優先させてしまった感が強く、個人的にはこれは脚本家が気の毒だと思いました。

クレジット問題の揉め事の難しさ

最後に、実際に今回の騒動のトリガーになってしまったクレジット問題です。原作者が脚本を書いた最後の2話から脚本家を外したのは承知の通りですが、実際には、それだけでなく、クレジットまで抹殺してしまった件。これは僕から見ると氏名表示権を違反していると思いましたし、日テレの中ではコンプラ違反にならないのかな?と不思議に思いました。

原作者が脚本を書いているのに、なんで脚本家の名前が残っているんだ?と主張するのは当然ですが、その一方で、業務として途中まで関わったことを考慮すると、一切のクレジットを認めないというのは、脚本家が納得しない限りはコンプラ違反だと思います。

ここに関しては日テレは小学館・原作者に対して、毅然とした態度で脚本家の名前を納得できる形で残すべきだったと思います。また、小学館もこの件に関しては、脚本家にクレジットを承諾することが、コンプラ面も含め、最終的には原作者を守ることに繋がると原作者に毅然と伝えるべきところだったと思います。

また、この辺りでも、やっぱり日テレの無能さを感じるのは、「こっちの意見に従わないなら、海外販売とかは許可しません!」という原作者の主張が“伝家の宝刀“のような切れ味を出しているんです。

その一言で、日テレは原作者に従い、脚本家のクレジットを消す方向に動き始めます。そりゃあ揉めるに決まっとるわ!と突っ込みたくなりました。

報告書などには、原作者の意向には全て従い、調整を計るよう努力しましたみたいな書き方をしていますが、調整しているんじゃないんです。両方の言い分をちゃんと聞いて、適切に落とし込むのが調整なんです。

まあ、この後の脚本家のSNSでの暴走は醜いのですが、その原因をしっかりと日テレが作っちゃってると言うのはもっと醜いなと思いました。


さいごに

報告書を読んでみて感じたのは、こういった揉め事自体はよくあることなのかな?と言うところです。

でも、それを結局SNSで暴露したことで、関係者全員に対して一気に心理的ストレスがかかってしまったことがこのような不幸な結末に至った直接の原因だと思いました。

そして、そこには原作者が若干パワハラとも取れる脚本家外しと、それはちょっと違うんじゃないかと分かっていながら従ってしまった日テレ・小学館のコンプラ意識があるかな〜と言うところです。

同じような問題が繰り返されないように願っていますが、日テレの報告書からはあまり誠意は感じられないので、本件をきっかけに急激に改善されることはないと思います。

ですが本件も一つの大きなきっかけですし、ワンピースやシティハンターなどの人気コンテンツの実写化を海外に奪われるなど、テレビ局としては痛い流れもあります。こういった変化によって、時間をかけながら少しずつ改善されていくのかなと期待したいです。

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