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『日本民謡おさらい教本』フジオ企画編

ダイアンリーブスやジャズメイアホーンを聴きながら、やはり土着的なものがいちばんしっくりくるなと俄かに思い立ち、民謡に立ち返ることにした。

十数年前、私は徳島市に住んでいた。学校とバイト先を行ったり来たりする生活をしていたのだが、ある年の三月に、とくに理由もなくアパートに引きこもった。学校は春休みだし、アルバイトもしていなかったのをこれ幸いと、1か月くらいほとんど誰とも話さず引きこもって過ごした。友人らしい友人もいなかったので、心配した誰かが訪れることのもなく、つつがなく引きこもり生活を過ごすことができた。その間何をしていたかは、今となってはまったく覚えていないのだが、とにかく誰とも話さない日を一か月ほど続けたのだ。
四月に入っていよいよ学校が始まることになって、特に理由のない引きこもりだったので、特に理由もなく引きこもりを解消したのだが、一つだけ困ったことがあった。それは、うまく喋ることができないのである。私は昔から大きな声を出すことができたし、まあまあ滑舌よく話すこともできた。内容はともかく、音にするうえで困ったことは一度もなかったのだ。しかし、どうしたことか、このとき私はまともに喋ることができなかったのだ。舌がもつれ、口がうまく動かない。音は出るが何やらもったりしているし、言葉になっている気がしない。
なんのことはない。一か月の引きこもり期間中に、口の筋肉がすっかり衰えてしまったのだ。このままだとまずいと思った私は、どういう流れでそうなったかは忘れたが、とにかく口を動かさねばならないという一心から、市民文化センターだか市民会館だかで開かれている、民謡教室に通いはじめることにしたのだ。
阿波踊りの聖地である徳島ゆえ、「よしこの」はもちろん、「祖谷の粉曳きうた」「三朝小唄」などを、人生の大先輩である方々に混ざって練習した。当時の私はお教室のなかではだんとつに若かったので、それはもう親切にしていただいた。一時間半から二時間ほどのお稽古時間に、持ち寄りおやつタイムがあったのも素敵だった。先生からすすめられてほかの皆さんと一緒に民謡コンクールに出たのもいい思い出だ。着物を着せてもらって花飾りもつけてもらった。それなりに練習を頑張ったし、なにより楽しかった。
学校を卒業して徳島を離れた後はもう、民謡教室に通うことはなかった。仕事があったし、教室もそもそもなかったから、なんとなくそれきり途切れてしまったのだ。しかし、たった一年半だったけれど、教えてもらって歌った民謡はなんとも風情があって心地よく、散歩しながら口ずさむと実におおらかな気持ちになれるのだ。思いがけず通った民謡教室だったけれど、それが十数年……いやもう数十年たった今も自分の大事な遺産だ。

とまあそんな過去の体験を思い出しながら、古本屋で手に取ったのがこの『日本民謡おさらい教本 解説 譜付』(フジオ企画編)だ。秋田市にあったこのフジオ企画という出版社はどうやら民謡のカセットテープや教本読本などを専門に製作販売しているらしく、1枚2000円で愛好家の民謡レコードも製作してくれるらしい。
教本の冒頭56頁は民謡を歌ううえでの心構えや練習法、民謡とは何であるかが書かれており、編集者であり著者である藤尾隆造という人がいかに民謡に心を傾けていたかよく伝わってくる。引用されている民謡碑文の一説にはこう書いてある。「民謡は郷土の生活の中に生れた自然の声である。その美わしさとともにいつ迄も伝承されるであろう。」と。

ダイアンリーブスやジャズメイアホーン、ディーディーブリッジウォーターは、彼らの土台となっているアフリカ的な音楽をその個性としている。ならば、日本人である私にとってもっとも自然な音とリズムと言葉が詰まった民謡こそが、私の歌の個性となりうるのだ。
民謡を土台として新しい音楽を作りあげている人々は、戦前から今までいる。数年前から話題を集めているのは民謡クルセイダーズだろうか。彼らの音楽を楽しみつつ、私も私なりの表現を見つけていこう。

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