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わたしが頑張れる理由がわかった気がする。

ふと、noteを書きたくなった。
から殴り書く。

わたしの原動力は人のサポートとか支えたい気持ちももちろん大きいけれど、そこに存在場所がある限り、必要としてくれる限り、動くということに最近気づいた。もはやそれでしかないようにも思う。  
ある人との会話で、「休みの人の代理だったとしても、自分を必要としてくれてるなら喜んで働くし、それすらも嬉しい。」と言うことにすごく共感した。

今の自分の生き方もそう。
あれやりたい、これやりたいがある訳ではないから、わたしは業種、職種じゃなくて人で選んでる。子どもに特別強い興味がある訳でもなければ、教育に特別な想いがある訳でもない。アウトドアやインストラクターとはもはや無縁のような性格。
ただ、わたしが魅力を感じ、引き込まれた人が携わってるのがこの業界だったって話。
だからこそ、業界そのもの、やっていく手段そのものに価値や目的を見出すのは難しくてハードルが高い気がしてる。
いざかじってみたら自分の知らない世界が広がっていて、その世界の奥深さ、難しさ、はたまた面白さも広がっている。
ただ、人で選ぶが故にぶつかる壁もたくさんあるし、出てくる言い訳もたくさんあってそこと常に戦っているように思う。

頼まれることが嬉しくて、時間さえ空いてればなんでも引き受けたいし、引き受けた先で全力でやってるのにそこを認めずに、迷惑かけてないかな足引っ張ってないかなってずっと気になるし、なんもできてない気にもなる。それでも、たとえ誰でもよくてもわたしを頼ってくれること、わたしに頼んでくれることがやっぱり嬉しくて引き受ける。
どんなに思うことがあっても悪く言えば自分の感情を押し殺して、我慢してやり遂げる。そもそも我慢してるとも思ってない。

そこに存在場所がある限り、わたしを必要としてくれる人がいる限りわたしは動き続けるんだろうなって思う。
最近はどれにおいてもその先での人としての成長、深さ、可能性を感じられてるからこそ、わたしからしたら必要とされてる上に人として成長できるだなんて万々歳🙌
だし、挑戦することに楽しさを感じられてる。成長意欲も強いし、もっとできるようになりたいとも思ってる。
今がいい感じなんだろうな〜ってなんとなく思うからこそ、来年度からが不安。
純粋に成長を求めてただがむしゃらに挑戦してみて振り返り。が許される今。
成長するにつれて求められるもの、自分が求めるものが高くなって、できて当たり前のプレッシャーに苦しむ予感。どんどん一般化されて自分にできるスタイル、アプローチ方法にベクトルを向けられず、唯一無二のものを見失いそう。(今もすでにそう)
必要とされる頼られるじゃなくて、居て当たり前、なんならそこで求められてるラインの能力に足りなくて苦しむ。結局自分なんて何もないじゃんってやさぐれ、弱気な未来の自分が見えてしまってる気がする。

わたしは常に承認欲求を外に求めまくってるんだなって最近感じることが多い。もはやそれがなくなったら精神的に生きていけなそう。
自分自身でも、自分にしかできない生き方を、自分だからできる生き方を。って毎日、何度も何度も言い聞かせてる。
本当はもっと愛されたいし、常に愛をくれて自分の存在を認めてくれて声をかけてくれる人が欲しいんだろうな。日常生活でその光景を割と目の前で垣間見るからこそ🤭

「必要とされる、頼られる」がもしなくなったら、わたしは何を原動力に頑張るのかな?そもそも頑張れるのかな?とちょっとだけ不安になった夜でした。

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