なぜ古参になりたいのか?

「古参」という言葉があります。その意味は下記で、今回扱うのは後者の「昔から特定の沼に深くはまり込んでいるファン」についてです。

古くからその地位、職業にいる人のこと。同人用語やアイドル用語では、主に昔から特定の沼に深くはまり込んでいるファンのことを指す。

世の中で何かが大ヒットすると「自分は昔からファンだった!」と言う人が必ず出てきます。これが「古参」です。最近の例だと鬼滅の刃の主題歌でヒットしたLiSAのファンはまさに同じような言っているのではないでしょうか。かく言う僕も、昔LiSAのライブに行ったことがあって、少なからずその気持ちは分かります。

では、なぜ「古参」でありたいと思うのか?

考えられることは色々あると思いますが、今考えた出来立てのホヤホヤの仮説を書いていこうと思います。時は資本主義成立前後まで遡ります。成立以前の社会は特定の共同体に生まれた以上、仕事や生活スタイルは固定されていました。つまり彼らの人生には決められた役割があり、決められたことをみんなと協力しながら淡々とこなすだけで、そこには何の疑いもありません。しかし資本主義が成立すると、経営者はなるべく多くの利益を出すために、労働者を全て合理的に管理する道具として扱い、単純労働をさせました。それに加え、資本主義は競争を強いるため人々は孤立しました。(言ってしまえば「競争社会ではみんな敵」だということ)

要するに、資本主義以前は共同体でみんな仲良くそれぞれの役割を明確にしながら働いていたのに、以後はそれぞれの役割がない単純労働をさせられる上に、競争が仲良くする相手がいない状況作りあげてしまいました。

すると、個人は社会という大きな歯車の一つでしかない単純労働の道具であることを疑問視し、個性を失うように感じます。これが肝です!

現代も同じような状況は続いています。目的なく死んだような顔で生きる人、つまりニヒリズムに陥っている人々が蔓延しています。「やりたいことを見つける」とか「好きなことを仕事に」みたいな言葉が大流行りしてしまうような、超絶ニヒリズム社会です。

では話を戻しましょう。「古参」は「みんなが知らなかったものを昔から知っていた!」ということに価値を置きます。言い換えれば、「みんなが知らないことを自分だけが知っていること」は個性と見なされているのではないでしょうか。

ところが、せっかく社会の中で自分の個性を見出したのに、それが大ヒットしてしまうと個性ではなくなってしまいます。
だから自分の個性を必死に保持し続けようとして、「古参」アピールしたくなってしまうのではないのでしょうか? おしまい。



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