チャイコフスキーを聴いてふと

チャイコフスキー交響曲6番を聴いていてふと。

この曲はチャイコフスキーが最後に書いた交響曲だが、同じくマーラーが最後に書いた9番にとても似ているなと。特に3楽章から4楽章への、人生の愉悦を味わい尽くした直後、死へと急降下する展開。徐々に灯火が消えて「無そのもの」へと向かって行くストーリーも酷似している(「無そのもの」へと向かっていく点では同じく死によって作曲が中断したブルックナー9番も同様か)。

これは偶然に過ぎないのだが、彼らが作曲中に死を直感したとしか思えない。そして、チャイコフスキーは53歳で、マーラーは50歳で死んでいて妙に享年も近い。

死についてマーラーは詩的に描く一方、チャイコフスキーは目を逸らさず直視して描くような違いこそあれ、ちょっとした関連性があったので書き留めておく。

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