ニワトリの皿が割れた


ニワトリの皿が割れた。お気に入りの皿だった。

私が大学生の時、留学先のフランスで買ったお皿だった。かわいいニワトリの絵が入った、シンプルな皿。よくある大きさの、安いお皿だった。

だけど私はそれが気に入って、わざわざ日本まで持ち帰ってきた。そして今日まで使い続けていた。

皿が割れるのは一瞬だった。使っていないタンブラーが落ちてきて、皿の真ん中を直撃したのだ。派手な音がした。音のした場所を見れば、皿は見事に割れてしまっていた。

最初は思ったよりもショックを受けていなかった。「聖夜、留学中に買って気に入って持ち帰ってきた皿が割れる」なんてツイートする余裕があったくらいだ。

なんなら「次にフランスに行ったらまたお皿を買おう」とも思った。

ふと、ネットに同じ皿はないかと思った。フランスの量販店で買った皿だ。ちょっとした輸入雑貨を扱う店が売っているかもしれない、と思ったのだ。だけどなかった。調べても調べても、私の大切にしていたお皿はなかった。

急に悲しさが襲ってきた。考えてみれば、このお皿を買ったのはもう5年も前のことだ。フランスでだってきっともう売っていないだろう。きっともう、同じお皿を買うことはできない。

いや、そもそも全く同じお皿がAmazonで売っていたからといって、そのお皿を買えば私は満足なのだろうか。古いお皿はビニール袋に詰めて捨てられるのだろうか。

いや、きっとアマゾンで同じお皿が売っていて、それが買えたとしても、この皿をなくした悲しさは癒えない気がする。

だとしたら、私は一体何を無くしたのだろう。留学中に買ったものなら、他にもたくさんある。フランスで買ったというだけで、なんとなく捨てがたくて色々なものが実家にたくさんある。なんなら、フランスで買ったお皿はまだ一枚別のものが残っている。

それでも、私はとにかくこのお皿が割れてしまったのがたまらなく寂しかった。

留学中に買って、日本に持ち帰ったものはたくさんある。お土産、本、洋服、化粧品、雑貨、などなど。だけど、留学中から今もずっと使っているものというのは、意外と少ない。そしてこのお皿は、数少ない「あの頃からずっと使っているもの」の1つだった。

月日は残酷だ。信じられないくらいの速度で、昨日から今日を引き剥がしていく。ついこの間フランスから帰ってきたような気がしていも、気がついたら5年も経っているのだ。そしてこの先も、私にとって一番特別だったあの日々から、遠ざかりながら生きていくことに変わりはない。

留学の何が特別か。例え短くとも、その街で暮らすということに他ならないだろう。留学は旅行じゃない。暮らしなのだ。

だから私は悲しかった。この先私がまた旅行でフランスを訪れても、きっと同じお皿は買えないだろうから。フランスの皿なんて、日本にいても簡単に買えるけれど。私がフランスで暮らしていたときに使っていたお皿は、きっともう二度と手に入ることはないだろうから。


留学していた時、あるいは留学に行く前から、ずっと思っていたことがある。

「いつか私にとって、フランスにいたことが夢のように遠くなってしまう日が来るのだろうな」と。

忘れたくない特別な日々は、どんどん遠ざかっていく。大切な思い出は段々と輪郭を失っていく。最初から私は知っていた。留学生活は、私にとって間違いなく特別な日々になるということを。

あれから5年。気がついたら、フランスにいた日から随分と遠くに来てしまっていた。私が1年もフランスにいたなんて、夢みたいだと確かに思う。それでも、あの日々と私は確かに地続きで繋がっている。だから私はニワトリの皿が大切だった。それを思い出させてくれるから。

ニワトリの皿が割れた。またひとつ、あの日々が遠くに行ってしまった。だから私は、寂しかった。

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