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いったいこのままいつまで1人でいるつもりだろう

こんばんは。ろくみょんです。今日も裸の心をnoteに叩きつけて行こうと思います。


今日も今日とて野外イベントへ行きました。DJを楽しみながらご飯を食べたり、服を見たりするやつ。フリーライブに好きなバンドが出るということを当日に知り、出番に間に合うことを喜びながらウキウキで出かけました。

会場は繁華街の大通りのど真ん中にある広場。広い会場での野外ライブは、秋晴れの広い空にバンドのアンサンブルが放射されていくような、それは素敵なライブでした。


ライブを知ったのが急遽のことだったのもあり、友人の誰にも声を掛けず出かけて、ライブの後も諸々見たいと思っていた店を巡って夜まで1人で過ごしました。オーディオ屋や多肉植物の販売店を数店舗まわった。

この無計画で自由な一日を過ごして21時ごろ、ようやく夜ご飯を食べる店を探し始めたときに、ふと、今までに感じたことのない気持ちがよぎりました。

もしかして私、1人でさみしい…?

1人で過ごす休日なんて学生の頃からよくあることで、それまではさみしさを感じたことが無かったんです。人と話さない分、自分の感覚を十分に使って、出先での体験を受け止めることができるし、計画を立てる煩雑さがないし、たくさんの用事を一度に済ませることができる。

でも、学生とは違って、働き始めてからは平日は業務のことを話すのがほとんどですよね。それに伴って、週末に同期たちと会って何時間も話していることがこの上なく楽しく感じられるようになってきました。


私は話すことがそれほど得意ではないし、エピソードトークで笑いを取れるようなおもしろ人間ではないと思う。そんなこじれたネガティブも、友人の前では些細なことになっていく。気の知れた人と話し込んで、頬が痛くなるくらい笑って過ごす時間のありがたみを、働き始めてからようやく実感することができました。

つまり、「友達と遊ぶの、たのし!」に、社会人になってから気づいたということだ。気の合う友達がよほど居なかったのかな。その頃の自分にとっては趣味の尊さがバリ高だったんだと思います。

趣味への熱意が仕事によって薄まり、さらに面白すぎる同期たちに出会えたことにより、趣味のために1人で過ごす休日が前より楽しくなくなってきてしまった。


学生の頃だったら「趣味の合う友人を探すより、1人飲みできるお洒落で美味しくて居心地のいいバーを探して常連になりたい」と考えていたと思います。今日も、1人で入っても平気そうなお店を今まで通りに探していて、それでハッとしました。

(来れそうな友達誘って2人で飲んだ方が楽しいんじゃない…?)って。


ただし、友人と楽しく遊ぶには越えなければならないハードルがある。前日までに予定を立てること。これは面倒くさがりのおひとりさま人間にはややハードル高め。LINE返すのって労力がいりません?その労力を使うくらいなら少しくらいさみしくたって1人で出掛けようか、となってしまう。ものぐさ太郎すぎるか。そうやって面倒くさがって、一体いつまで1人でいるつもりなんだろう。明日も1人。やっぱりさみしいかもしれない。




朗々とした歌声と、編み物のように交差するアンサンブル、気持ちよく抜けていくギターの音色が好き!

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