世界難民の日

『マイスモールランド』を見て、『FLEE』を見て、先日『東京クルド』を見た。後者二つはドキュメンタリー(『FLEE』はドキュメンタリーをアニメに描き直すことで、登場人物を保護する役割があり)で、それから最後者は自国が関わっているということで、突き刺さってしまった。

以前、『しわ』のエントリを書いたときに、「泣くのは違うと思う」と書いた。第三者が「泣く」という行為には同情が混じってしまうから、泣くことで傍観者としてその出来事を捉えることになる、と思った。当事者たちが複雑な感情を抱えながらも笑顔でいようとするなら、その感情にこそ寄り添うべきだと思ったりもする。

ということを考えていたのに、『東京クルド』ではブルブルと心が震え続けて、違うよな、ここに出てくる二人は今も生きているんだから、自分の涙は他人事として消費しようとしているんだよな、と思いながら見ていて、堪えていて、見た人の多くが言及するであろう、入管の人から掛けられる言葉、「自分の国に帰ってよ」という言葉はその口調と共に日本でこんなやりとりがある、という理不尽さやるせなさに震え、でもやっぱり違うやろ、自分の涙がなんぼの価値があるんじゃ、という気持ちで堪えた。

上映後、アフタートークが催され、監督と作品に登場しているメインの二人のうちの一人が登壇した。撮影は2015年から2019年まで行われてて、だから作中で見られる彼の姿は3年前のもので、目の前に2022年の彼が現れた。行政からの支援はなし、コロナ禍の支援金も受け取れない、そもそも住民票がないため保険証もないから医療費が10割負担になる。という中で、生きていて、今も生活している。いつ、入管に収容されるのかもわからない状態で、働いて生活している。日本で。という圧倒的な現実というか、目の前であっけらかんと話す姿に、その強さにたまらず目から汗が流れる。この涙は何、と思う。それは同情、じゃない。ただ、自分が彼らに対して無力であり、同時に彼らがとても強くて、というか強くあらざるを得ない状況にあって、自分の選択で生き続けていて、ということに、なぜだか「ありがとね」とか勝手に思って、それで流れていたものだった、と思う。

同情はしない。だけど、自分にできることはないかな、と思ったりする。それを探していきたいなと思った。誰かに期待するより、自分ができることを考える方が、きっといい。落胆しないですむし。どういう方法があるかわからないけど、そういうことを考えた。考えただけかもしれないけど、考えないよりはいいし、知らないよりは知った方がいいし、知ることができてよかった。しかし、きっと、何かを成すためには、今よりもっと「力」がいるのだろうなとも。どうかな。こういう気持ちを、誰かに伝えられるだけでもいいのかもしれないし。まあ、うん。自分のペースでやっていこうかなと。

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