つれづれのシン・エヴァやその周辺

間もなく深く潜る予定です。そのための準備を遅々としながら進めているのですが、うまく結実しますように。

当事者ではない人間がそれとどう距離をとっていくのか。どんな言葉を使うのかをちゃんと延々と考えたい日々です。

シン・エヴァを見るという行為は、自分の25年を振り返ることでもあり、庵野監督のイマに思いを馳せることでもあり、アニメの可能性、温故知新、さまざまなことを考えさせられた極上の時間でした。僕はこれを物語消費していいのかいまだに戸惑い、2回目に行く踏ん切りが付いていません。物語消費してしまうのでは、という危惧は個人的なものであり、複数回行くことで体験をネタ消費してしまうのではないかという、たぶん今頻発しているだろう面倒くさいオタクの1人です。

アニメのキャラクター性を担保しているのは声優である、ということを、はからずもエヴァは再証明したような気がします。自明のことでもあるのですが、アニメーターと声優、入れ替えの代償はどちらの方が大きいのだろうと考えたのでした。何より、担当声優のみなさんが健在であったことが僥倖です。かといってアニメーターが交換可能であると自分が思っているわけではもちろんなく、心を振るわせ涙を流した一挙一動を生み出したのは紛れもなくアニメーターはじめ、動画、撮影、仕上げ、CG、制作等々のみなさんです。最高でした。ありがとうございます。

かく言う僕も、ありがたいことに関わらせていただいております。

「EVANGELION FINALLY」

高橋洋子さん、林原めぐみさんによるヴォーカルセレクションアルバム内ブックレットで高橋洋子さんのインタビュー・構成を担当しました。

「新世紀エヴァンゲリオン」は、僕をオタクの道に引きずり戻してくれた作品でした。当時高校3年生。大好きな「ふしぎの海のナディア」の監督が新作を作るというのをラジオ(アニメスクランブルだっけな、緒方恵美さんが宣伝していたんです)で知った僕は、第1話から見て、貞本義行さんのキャラデザと塗りが大好きだったのもあり、あっという間にハマりました。サントラを買って、進路も大きく変更し、当時はもう1人でめちゃくちゃ混乱してました。

それから追いかけて25年。25年か……。まさか自分が少しでも関わることができるなんて思ってもいませんでした。キングレコードのTさん、カラーのSさんありがとうございました。

庵野監督と氷川竜介さんによる、特撮のOPだけを延々流すイベントがバルト9であり、それを見に行った時の幸せは忘れられません。「好き」という気持ちは尊く、いろんな角度での「好き」に触れられたあのほっこり。

ATAC(アニメ特撮アーカイブ機構)

おふたりと樋口真嗣監督が理事を務められているATACも、そういう好きと、かつては破棄されるような運命でもあった中間制作物・資料をアーカイブしようというさまざまな「願い」が込められています。特にめちゃくちゃお金を持っている方、ぜひ支援をお願いします。

「宇宙戦艦ヤマト」もそうですが、そうですが、というのは、つまり史実の上に創作を重ねて、そこに大きく心を動かされること。宮崎駿も戦闘機や戦車が好きで多くの絵を残していますが、それとは別の感情で戦争との距離の取り方があり、ふたつの相反する感情が同居している状態なわけです。それは庵野監督もそうで。いわゆる「兵器」をオブジェクトそのものとして好きになってしまうこと。それは手段として使われるのではなくて、すでに目的になる、使用の手前で完結するということかとも思うのですが、つまり何が言いたいかというと、戦争などのネガティヴな事象を想起されることも引き受けた上で、それを忌避しながら、オブジェクトを描くということは、やっぱりそれなりに覚悟のいることだということです。

好きであったり、描きたいと思うものの中に、受け容れられない要素が内包されていることの苦しさ。苦しさというか、それを加味しても描きたいもの。というもの。そういうことかなと最近言語化してみたりするのですが、要は僕がしようとしていることもそうなのかも知れません。うまく書けないけど、そういう、ぼんやりと、でも手応えのある、あっちに行ったりこっちに行ったりしながらの、道中の思考を続けながら、この先、僕も行けたらいいなと、行きたいなと思います。

いただいたサポートは、活動のために反映させていただきます。 どうぞよろしくお願いいたします。 ほそかわようへい/演劇カンパニー ほろびて 主宰/劇作、演出/俳優/アニメライター