『悪は存在しない』について(多少でもネタバレ気にするひとは鑑賞後に)

『悪は存在しない』を初日に見た。
映画はほとんど前情報なしに行くので都内での公開が2館だけというのを前日に知った。しかもBunkamuraル・シネマとシモキタ・K2のみだって。なんとミニシアターだろう。
ル・シネマは会員登録をしていたし、舞台挨拶の次の回はいい席も空いていた。上映尺も知らずに見に行った。映画がはじまってから、そういえば前回は尿意と戦ったんだと思い出した。2時間半もあるって知らなかった〜、と終映後にトイレでホッと一息つきながら思った。実際は3時間だった。『ドライブ・マイ・カー』。今回も長いんだっけ、って序盤に思った。実際はキレッキレの106分だった。

ぼくはセリフに存在する音をかなり聞くタイプだと思う。セリフにはコードがあり、そのコードとの距離を操作するのが演技や演出だと思っている。パンフレットを読むと読み合わせでは精緻に間を調整したと書かれていたので、(あえて本作でと書くが)濱口監督の重視している点を知ることができた。パンフレットがとてもいい。
 あと、とある俳優さんのインタビューが非常によかった。真摯で、誠実で。それは演技にも表れていた。濱口監督はきっと人を見る目も優れているんだと感じた。人、というのは、俳優という意味ではなく、それ以前のものだ。よいので、パンフレットぜひ買ってください。

自分の演出のことを考える。音を聞いていると書いたが、音を指定するわけではなくて、もちろんそういう場合もあるけど、大抵はその音や間になる状況が作れたらいいと思っていた。ここは過去形で書こうと思う。

閑話休題。こんなことを書くのは全然良くないかもしれないけど、『悪は存在しない』で感動したのは、ヒット映画やテレビドラマの主演級の俳優が出ていないということだ。広報戦略を考えると有名な俳優を起用することは命題とも考えられるけど、おそらく、石橋英子のMVを撮るためにはじまったという、プロジェクトの成り立ちが関係して現状のキャスティングになった。みんな素晴らしかった。フレームの前後にひとりひとりの時間が感じられて、生活感があった。誰もが自分がどんな人間であるのかをわかっている感じだった。

起用されている俳優の有名無名に関しては、優劣の話ではない。作品に寄与しているか、何がその作品の顔かを判断する一要素でしかない。予算があれば有名な俳優を起用するのだろうか。主演の大美賀均の起用経緯を知れば、予算に関わらずこの作品は今の俳優でしか作られなかったのだろうと思える。企画段階からそういうものは整えられていく。

この映画がいったい何であるかについては、パンフレットの濱口監督による序文、これに尽きるだろう。そしてその文章を読んだうえででも、観客はそれぞれに映画体験を深めることができる。

世界で評価を受けている著名な監督による作品なんだけど、ある種類の臭気の抜けた作品であり、それはぼくにとって、とても励まされるものだった。

いただいたサポートは、活動のために反映させていただきます。 どうぞよろしくお願いいたします。 ほそかわようへい/演劇カンパニー ほろびて 主宰/劇作、演出/俳優/アニメライター