いつまでもたどり着かない発話について
UMB2014の動画をR-指定戦ばかり何本も見て胸を熱くしている場合じゃない。言葉のやり取りという意味では演劇にも通じる。フリースタイルは人によっては膨大な言葉・文章のストックがあり、対戦相手とのやり取りの中で文脈を付け加えた上でストックのカードを次々と切っていく。画面越しに見ても感動するのはその場に生まれている”もの”があるからで、もし言う言葉全部が決まっていたらきっと違う感じ方をしている。
稽古をするときに発話のことを考えていて、最近も発話のことをふとした時に考えている。発話というのは舞台で演じるときに俳優が声を出すことをここでは言っていて、それはセリフを声に出せばいいかというとそれも違うし、演出家によっても違ってくると思う。僕は許容範囲がたぶん広いほうだと思うけど、それでも自分なりに気をつけていることはある。それをもう少し明確にしておきたいなと思っているんだけど、なかなかうまく行っていない。
劇的言語と肉体のあいだにある、思考のゆらぎみたいなもの。こうして文字にすると仰々しいが、実際はもっとシンプルだと思う。
僕はこれまで自分以外の台本を演出したことがないので、きっとそれをしたらもう少しつかめるようになるのかもしれない。楽しそうだなあ。
時々、”言葉”で伝えたいものは何だろうと長いこと立ち止まることがある。家族、友人、恋人、知り合い、見知らぬ人。届ける言葉や届けたい思いの深さ。それも言葉を口に出すだけじゃなくて、出したいけど出せなかったり、出さないようにしていたり、考えとは別のことを出してしまったり。
言葉かあ。上に書いたようなこと含めて、「当たり前」と思わないようにしたい。というのは表現でのことだ。日常生活はもっとややこしい。そもそも僕の中にも巨大な矛盾があるのだから出ていく言葉も矛盾だらけだ。その矛盾を感じないでいられるときだけは、充実した時間を過ごせているのかもしれない。
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