点、だんだん広がっていく

自分もそこそこにいい年しているが、まだまだ本当にまだまだ考えが及びもつかないと実感するばかり。『コンとロール』に関して指摘を受けたことをいくつも繰り返し考えて答えを探している。少しずつ見つかりそうでもある。問・答の必要性や可能性やおもしろさを噛み締めている日々。とはいえ、問いを立てるにも立脚点は必要だし、答えるにも確たる論拠は必要。まだ僕には即答できないものが多いが、制作中に言語化しないまでも意図していたことではあるので、自分の言葉で改めて形作られていくのはとてもたのしい作業でもある。

2年前に書いた『公園まであとすこし』という芝居で、

「こんなの、絵空事だ」
<ほろびて『公園まであとすこし』>

というセリフがあって、それを最近よく思い出す。先日、YouTubeを漂っている時にたまたま青葉市子の「サーカスナイト」を聞いたのが発端。七尾旅人の曲で、その時から大好きな曲だったが、青葉市子の歌声が別の角度からひたすらにすばらしい。

宵闇が僕らを包んで
テントの中みたい
僕は冴えないピエロで
あなたはFearless girl
サーカスナイト
どんなにそれが絵空事でも
飛ぶしかない夜
<サーカスナイト/作詞=七尾旅人>

この2番にあたるパートのメロディーがすばらしくって、僕はただ聞き入ってしまうんだけど、青葉市子のブレスやなめらかに移っていく高音までのカーブなんかにも感動する。と聞いていたら出てきた「絵空事」という歌詞。『公園まであとすこし』で既出のセリフを書いたとき、あえてこの言葉を使ったのは果てしない空想と、無邪気な願望と、だけどその上で、という感情を込めていた。サーカスナイトのここもほとんど同じ文脈が流れていて、つながった。当時インスピレーションをもらったわけでもないのだけど、どこか頭に残っていたのかな。思いも寄らない符合だなと最近思った。

続けて聞いていると、

君が欲しい 口付けてしまいたい
<サーカスナイト/作詞=七尾旅人>

という歌詞がある。
七尾旅人の歌声では、「萌の歯」とか「息をのんで」といった(初期の名曲)ものと近くて、思いを寄せる相手に対しての触れられないはかない恋慕を感じるのだけど、青葉市子の歌声ではまるで神話みたいな、隔世の感があってすこぶるよい。

七尾旅人は東日本大震災を受けて、福島に対する思いや憤りを言葉や歌にのせて発信した。僕は当時東京に住んでいたけど、その歌に助けられた一人だ。「リトルメロディ」(2012)はその結晶ともいえる。その前作AL「billion voices」も傑作だけど、「リトルメロディ」は温度感や手触りが全く違うものだった。そう考えると、今、チェルフィッチュと共演しているのもうなずけるし、必然という感じもする。

ハブがあって、いろんなものにつながっていく感覚。アーティストが共鳴しあってそれぞれに思考を深めていけるという環境はいいな。自分もそうであれるように。

いただいたサポートは、活動のために反映させていただきます。 どうぞよろしくお願いいたします。 ほそかわようへい/演劇カンパニー ほろびて 主宰/劇作、演出/俳優/アニメライター