顔の美醜について

CINRA.NETで、シンガーソングライター&TempalayのAAAMYYYがコラムを寄せていて、とてもよかったです。

なぜ正義のために攻撃的に? AAAMYYYが綴る「理想と自分」(CINRA.NETへリンクします)

ソロ曲もTempalayの時もすごいなあと思っていたのですが、文章にもテンション(緊張感)があってとてもいいです。

上のコラムでもAAAMYYY自身が書いているように、外見を磨くことは、そのことで本人が自信を持って人前に出られるようになるなら何よりだなと思うと同時に、たぶんコンプレックスと呼ぶものかも知れないし、コンプレックスとなるにいたった、「〜であらねばならぬ」という思考を植え付けた時代や環境や価値観。やっぱりそれは、AAAMYYY自身が自覚しているように、おかしいし、だけど今はそれが力を持っているから、そこに足を取られないように、努力で解決できるものは解決した方が早い、とも思うので、これはあれです。AAAMYYYのことはすごいと思っているからどんな姿でもすごいと思うけど、才能を持っている人であっても、そういう考えを持たざるをえない状況に立たされるような世界は、やっぱりおかしいです。

そうならないですむような世界に早くなりますように。

テッド・チャンの「顔の美醜について」という短編はルッキズムを人工的に排除する世界を描いています。美醜失認処置(カリーアグノシア)を施すことで、どんな容姿の人でもフラットに接することができるというのです。それを複数人によるインタビュー記事形式で描いていきます。

そうでもしない限り、美醜問題はなくならないのでは、と思う昨今。
でも、ネガティブに捉えられていると自分が感じている部分って、実際は他の人からしたらそここそが魅力になっていたりするんですよね。ということは、やっぱり美醜を気にするのは、究極は自分しかいない。(人の外見に対してとやかく言う人は、のちのち生きづらくなるでしょう)。だから究極は自分しかないのだから、自分が納得するならあれやこれや、処置をするのがいいと思いますが、処置をしなくても、もともとで魅力があるんだ誰にでもと、言いたいです。

かく言う自分も、なかなかに自分の欠点ばかり見えてしまいます。

何というか、女性がコンプレックスを抱く理由の大半が、男性社会に起因しているでのしょう。だから、男性は変わっていかないと。絶対に。そして、少し上に書いた僕の「自分の欠点ばかり見える」という話と、女性のコンプレックスの話は、似ているようで実は別問題だと言うことを自覚していかないといけないということです。

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