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クリスマス小説「十年越しのプレゼント」(後編)

※本章は一つの小説の<後編>にあたります。<中編>を未読の場合は前編からお読みください。

大昔に描いた、小さな女の子サンタの漫画(ネーム)のシリーズ「小さな配達人」(別投稿)の番外編となる小説です。
本編の主人公マシロと、小説の主人公である17歳のヒカリの、二人の視点を交互に描写して展開される切ない&ホッコリなクリスマス小説です。
本編とは違う、やや大人びた空気感も特徴の一つとなっています。



  *12

 マユキさんのバイクで先輩の会社、『ドットネットワークス』に着いて、路地で素早くマシロちゃんをバッグから出し、私たちは急いで散っていった。
 もう、先輩に会えるのは、ほぼ絶望的かもしれない。それでも、一縷《いちる》の望みにすがってみたかった。

 喫茶店で私は、長谷部さんにお願いした。保科先輩の行方を教えて、と。つい敬語を忘れて、当時の話し方が言葉に出てしまっていた事に、その時は気づかなかった。
 長谷部さんは、ゆっくりと椅子に座って、「どうして?」と、訊いた。あなたは会った事のない人でしょう、なぜ行方を知りたいの、と。私は答える事ができなかった。ただ、あの人に渡さなければいけない物があるんです、とだけ言った。
 彼女は少しの間、俯く私を見つめてから、それって叔母さんに預かっている何かなのかしら、と尋ねた。私が頷くと、彼女は首を横に振った。
 ――ごめんなさい、私は知らないの。
 そろそろ休憩も終わりだという事で、私と彼女は店を出た。別れ際に、私は最後の望みをかけて、彼女にお願いをしてみた。それが、亜瀬田大学に電話して、卒業後の先輩の進路を尋ねてもらう事だった。彼女は少し考えてから、大学に電話して、先輩の就職先を訊いてくれた。
 長谷部さんは、その後、私に何も聞かなかった。会えてよかったわ。そう言って、笑顔で去っていった。彼女には本当に、感謝でいっぱいだった。十年前の高校生だった頃から、ずっと、感謝していた。
 去り際に私は彼女を呼び止めた。
「長谷部さんは、その、彼女に悪い事をした、なんて言っていたけど……私は違うと思う。きっと、叔母さんは長谷部さんに、ありがとう、って思ってたと思う。絶対」
 その言葉を聞いて振り返った彼女は、見た事のない素敵な笑顔だった。
「……アリガト」
 去ってゆく彼女を見送りながら、私は彼女にもう会えない寂しさを感じた。小さく手を振りながら、心の中で彼女にずっと、感謝の言葉を繰り返していた。

 長谷部さんの思いも無駄にしたくない。サンタ条例違反まで犯して、マシロちゃんやマユキさんの協力まで借りて、ようやくここまで来れたのに。このまま、先輩に会えないままで終わりたくない!
 バイトのサンタのふりをして先輩にプレゼントを渡す計画を思いついてから、五年かかった。五年かけて、ようやく、十年前と同じプレゼントが手に入った。仕事に意義を感じずに、無気力なまま過ごして五年が経ち、計画を思いついてプレゼントを得るまでに五年。あの日から十年もの長い歳月が経った。十年なのだ。
 必ず、必ず先輩に会いたい……!
 会社から駅までのあらゆる道を走りながら、行き交う人々をつぶさに観察する。休日なので、ほとんどの人が私服姿だが、帰宅時間だからか、会社帰りと見られるサラリーマンの人もちらほら見えた。皆、コートを羽織っていて、襟をしっかり立てていて、首の見える人間は皆無に等しい。だが、私は先輩の顔を知っている。長谷部さんのように、先輩だって昔の面影が顔に残っているはずだ。私は、人々の顔を見ながら走っていた。
 すると、横から私を呼ぶ声が聞こえた。
「ヒカリー!」
 振り返ると、マユキさんがバイクで走って、近くまで来て止まった。
「まだ、見つからないか」
「はい……」
「くっそう、もう電車に乗っちまったのかな……。それか、通り過ぎても気づいていないのか。首が隠れてると、ヒカリ以外には、さっぱり確信が持てないからな……」
 マユキさんがケータイを呼び出して、時間を確認した。
「くそ、七時前か。本格的にもう時間がないな……。マシロの奴は、どうなってるんだ!?」

  *13

 わたしはセンパイをさがして走るんだけど、首にほくろがある人が見つからない。みんな、首が隠れちゃってて、分からないんだ。マユキちゃんは、「二十八歳の、スーツの奴だけ見ればいいから」って言ってたけど、スーツの人もコートの襟で見えないんだよね。
 だから、わたしはスーツの人を見かけたら、みんなに、首にほくろがあるか訊いて回るんだけど、みんな、ほくろがないんだ。
「ねえ、首にほくろ、ある?」
 わたしがまたスーツの人を見つけて、訊いてみた。スーツの人は黒い服を着た女の人と一緒に歩いてて、私の声にびっくりしたみたいに振り向いた。
「え、何?」
「あのね、首にほくろ、ある?」
「いや、ないけど……」
「そっか、分かった。じゃあね」
 手を振って、わたしは次のスーツの人を探した。正面にまたスーツの人を見つけて、わたしはきいてみた。コートを着てて、首のところに灰色のマフラーをしてた。
「ねえ、首にほくろ、ある?」
 そのスーツの人は、ぎょっとした顔をした。なんで、みんな驚くんだろう。
「あるけど……それが、どうしたの?」
「あるの! どこどこ? 見せて!」
「え、どこって……」
 スーツの人は驚いたままの顔で、マフラーに指を引っ掛けて、少し下ろして、首を見せてくれた。
「ここだけど……。これで、いいかい」
 スーツの人がおじぎするみたいに、体を斜めにして、わたしの方に首を近づけてくれた。わたしは背伸びして、スーツの人の首を見てみた。首のナナメ横に、小っちゃいほくろが、二つあった。センパイだ!
「もう、いいかい」
「うん」
 センパイはマフラーを上げて、体も元に戻した。
「あのね、わたしね、マシロっていうんだ。センパイの名前は?」
「センパイ……? 僕は、保科って名前だけど」
 やっぱり、センパイだ! 見つけた!
 ヒカリちゃんとマユキちゃんに知らせなきゃ!
「あのね、これあげる。クリスマスプレゼント」
 わたしはポケットから、ココア味のキャンディを一つ取って、センパイにあげた。センパイは少しだけ笑って、キャンディを取った。
「ありがとう、それじゃ」
 センパイが歩いていった。わたしもセンパイの後ろをついて歩きながら、呼び出したままポケットに入れてたケータイで、マユキちゃんに電話した。
「マユキちゃん、見つけたよ、センパイ」
『ホントか! 人違いじゃないんだな!?』
「うん。首にほくろが二つあるスーツの人で、ホシナって名前だった」
『オッケー、でかした! 今、どこにいるんだ!? ちょうど、ヒカリも一緒だから、バイクで急いでそっちまで運べば、時間も間に合いそうだ』
「場所はね、えっとね……」
 わたしは周りを見回してみた。
「ビルがいっぱいある」
『この辺、ビルだらけだろ! くそう、よりによって、見つけたのがマシロじゃ、場所が分からないか……。何か他に、その辺の特徴ないのか!?』
「トクチョウって何?」
『えーっと、ヒントって事だよ』
「うーん、でも、ビルしか見えないし……」
 その時、上にある線路に電車が走って、しばらくマユキちゃんの声が聞こえなくなった。電車が行ってから、マユキちゃんが慌てた声で話してきた。
『お前、線路沿いにいるのか!?』
「うん、上を電車が走ったりしてる」
『という事は、高架になってるって事だな。よし、だいぶ場所が絞れてきたぞ。あとは、その路線の、どっちの方向かが分かればいいんだけど……。くそ、もうあと十分しかない! マシロ、何かないか!?』
 どうしよう、時間がないって。せっかくセンパイを見つけたのに、ヒカリちゃんに会わせられないの?
 どうしよう、何とかならないかな。どうにかして、ここを伝えられないかな。
 目の前で歩くセンパイを見ながら考えてた時、センパイが通り過ぎたところに、銀色の風船を子供に配ってるサンタがいるのが見えた。
 あ、これだ!
 凄くいい考えがひらめいたわたしは、サンタのところまで走っていった。
「ねえ、風船ちょうだい!」
「おっと、かわいい同業者さんだね。いいよ、ほら」
 サンタの男の人は、わたしに風船を一つくれた。よーし、これを空に飛ばせば、二人からも、きっと見えるね。
 こうしてる間も、センパイはどんどん歩いていっちゃう。急がなくちゃ。
「ありがとう。あ、これ、あげるね」
 わたしはポケットからココア味のキャンディをひとつ取り出した。
「え、サンタさんにくれるのかい? いやあ、嬉しいなあ」
 と、サンタがわたしの手からキャンディを取ろうとした。そしたら、その手に持ってたたくさんの風船が、いっぺんに空に浮き上がってった。
「うわあー! 店長に怒られるうー!」
 サンタが凄く慌て始めた。わたしも慌てた。
『おい、マシロ! どうした!? 何やってるんだ!?』
「マユキちゃん、空を見て! 今、風船がいっぱい、飛んだから! ここに、センパイがいるから!」

  *14

 その時、空を見上げて、私はその光景に胸が詰まりそうになった。建物の明かりでほのかに薄明るい夜空に、下から二十近くのバルーン風船が散り散りに浮き上がってきたのだ。雪が降る中、街の光を下から浴びて、キラキラしていた。
 マユキさんが私をバイクに乗せたまま、上を見上げて叫んだ。
「あそこか!」
 すぐにエンジンをかける。バイクが唸りをあげ、車体が振動する。
「急ぐぞ、ヒカリ! しっかり捕まってろ!」
 叫ぶと同時にマユキさんは一気にアクセルを開放し、タイヤでアスファルトを切りつけるように発車した。

 五分後、高架下の道沿いに、マシロちゃんと思われる小さいサンタ服の女の子の後ろ姿が見えた。銀色のバルーン風船を持っている。ほぼ、間違いない。
 と、いう事は……。その先に、先輩が、いる……!?
 マユキさんはスピードを緩め、徐行してサンタ服の女の子に近づいた。
「マシロ」
 マユキさんが声をかけると、女の子が振り向いた。やはりマシロちゃんだ。
「マユキちゃん! ヒカリちゃん!」
「どれが、その先輩なんだ?」
「あのね、あの、こげ茶のコート着てる人」
 マシロちゃんが指差した方向に、背の高いサラリーマン風の男の人の背中が見えた。黒い鞄を脇に抱えながら、コートのポケットに左右の手を入れて歩いていた。
 あの人が、保科先輩――……!
 その後ろ姿を見つめながら、私は胸がきゅっとなったのを感じた。
「ヒカリ、先回りするぞ。マシロ、お前も乗れ」
「え、バッグに入らなくていいの?」
「前に回るのに一分もかからないよ。ほら、早く!」
 私たちは再びマシロちゃんを間に挟みながら、路地を回って、先輩の通る方向に先回りした。路地の脇にバイクを停め、建物の角から三人でそっと顔を覗かせてみる。
「どうだ? 間違いないか?」
 マユキさんが訊いた。
 私たちの見ている正面の方向に、こちらに歩いてくるこげ茶色のコートを着た背の高い男の人がいる。灰色のマフラーをしていて、髪を分けていて、綺麗な目をしていて、知的な印象の顔だった。
 その顔に、十年前の図書室で会った時の、先輩の顔が重なって見えた。胸がどくん、と鳴ったのが分かった。
「間違いない……」
 それだけ、つぶやくのが精一杯だった。
 マユキさんが顔を引っ込めて、ケータイで時間を確認した。
「ふう、七時半まであと五分だったか。ギリギリだな。よし、ヒカリ。プレゼントは持ってるよな。さ、行け」
「うん……マユキさん、ありがとう」
 彼女の方を見てそう言うと、マユキさんは鼻頭を擦りながら、恥ずかしそうに笑った。
 マシロちゃんも私の方を見上げながら、手を握った。
「がんばってね、ヒカリちゃん」
「ありがとう、マシロちゃん……本当に」
 二人に笑顔で見送られながら、私は通りに出た。

 用意していたプレゼントの箱を持って、高架沿いの道の脇に立ち、保科先輩が通りがかるのを待った。そうしている間も、カップルやサラリーマンの人々が何人もすれ違う。
 私は足元を見つめ、じっと待っていた。胸の鼓動がどんどん激しくなり、心臓が暴れそうだった。一秒、二秒が途轍もなくゆっくりと感じた。
 ふっと、周りの音が聞こえなくなった。しんとした静寂の中、こつん、こつん、という革靴の足音が耳に聞こえ、私ははっとして顔を上げた。
 視界の端に、ぼんやりとしたこげ茶色のコートの色が目に映った。周囲の景色が全て、スローモーションのように、ゆっくりと動いて見える。その間も、私の心臓がどくん、どくん、と激しく鼓動を打っていた。その心臓の音が大きく、耳に障っていた。
 こげ茶のコートが、私の前を、ゆっくりと、通り過ぎようとしてゆく。
 私は咄嗟に、息を止めた。その瞬間に、革靴しか聞こえなかった私の耳に周りの音が蘇り、心臓の鼓動の音も聞こえなくなった。
 私は息を吐き、数回呼吸をして息を整えてから、通り過ぎた先輩を呼び止めた。
「あの……!」
 先輩は声に振り返って、少し驚いたような表情をしていた。
「あ……ええと、何かな」
 そう、言った。
 私は十年前の、十七歳の姿のままだから、私の顔を見て先輩は仰天するんじゃないかと思った。だから、長谷部さんについた嘘をこの時も使おう、と、ここに来るまでに考えていた。
 だけど……。
「悪いね、仕事帰りで疲れてて、ぼうっとして歩いていたから、気づかなかったよ。……で、何なのかな」
「えっと……」
 正直、ショックだった。私の正体が分かってしまうのも大変だが、先輩は私に気づいていないみたいだった。高校二年生の、あの時のままなのに、保科先輩は私が分からないようだった。
 何か。何か、言わなきゃ。
 そうだ、クリスマスプレゼント。元々、私は十年前に渡せなかった、このプレゼントを先輩に渡したかっただけなのだから。それ以上の多くを望んではいけないのだ。
 私は無理矢理に手を動かし、持っていたプレゼントの箱を先輩に差し出した。緑の包装紙で包んで、ピンクのリボンで結んだ細長い長方形の箱だった。
「どうぞ、クリスマスのオマケです」
「え、プレゼント?」
 先輩は少し戸惑っていたようだが、やがてコートのポケットから右手を出して、私の手からプレゼントの箱を受け取った。そのプレゼントを手に持って眺めながら、嬉しそうに、笑顔になった。その笑顔を見られただけでも私は充分なんだと、自分に言い聞かせた。
「そうか、オマケか。ありがとう、助かるよ。今日はクリスマスだからね」
 何気なく言った、先輩のその言葉が、少し引っかかった。
「もう、どこの玩具屋も空いていない時間だからね。子供にプレゼントを買ってやれる暇がなくて、きっと怒るだろうなって思っていたんだ。これで何とか機嫌を取れるね。ええと、この形は、さては電車の玩具かな?」
 先輩がプレゼントを眺めながら言った。その瞬間に、私の体は固くなった。
 すぐ上の高架線路を、電車が走る。地面を伝わる細かな振動が、靴越しに感じられる。全ての流れを遮断してしまうような、電車の車輪の大きな音が私たちの立つ場所を通過し、通りの先の方に消えていった。
 雪の粒が、ゆっくりと、地面に落ちたのが見えた。
「ありがとう。それじゃ」
 先輩が、踵を返して、私の目の前から歩き出す。私はその方向へ首を動かす。プレゼントをコートの内ポケットに入れてから、右手を再び外のポケットに突っ込み、寒そうに肩を震わせて歩いてゆく。その、背中が、徐々に小さくなっていき、やがて駅前の人波に混じって見えなくなった。
 ずっと、その方向を見つめていた。
 もう先輩の姿は見えないのに、私は動く事ができなかった。
 ふと、頬を温かいものが流れていくのに気づいた。はっとして、私は手袋のまま、手でそれを拭う。手袋が湿っていた。
 と、足元に、雫が落ちた。雪が雨に変わったのか、と思ったら、私の目からぼろぼろ涙が零《こぼ》れているのに気づいた。そうすると、もう止まらなかった。
 堰を切ったように、次から次へと、私の目から涙が溢れ出した。止まらなかった。その場にしゃがみ込んで、声にならない声をあげた。
 少し考えれば、すぐに思いついた可能性だったのに。想像できたはずだったのに。
 先輩の時間は私のずっと、ずっと先を行っているのだ。あの頃のままで時間を止めていたのは、私だけなのだ。先輩はもう、十年前のあの時の保科先輩ではないのだ。
 あれから十年も経つのに、先輩が今も私の事を想ってなんて、いる筈なかった。考えればすぐに、気づいた事だったのに。そんな簡単な事だったのに、十年の間、ずっと私は気づかずに、先輩の事ばかりを考えていた。もう、忘れるべきだったのに。起きてしまった事は変わらないし、私はもう、先輩とは一緒にはいられない。先輩は過去を引きずらずに、ちゃんと自分の時間を進めていたのに、私は針を止めたままだった。
 馬鹿だ。
 馬鹿だ、馬鹿だ、馬鹿だ。
 会いになんて、来るべきじゃなかった。先輩の事なんて、もっとずっと前に、忘れるべきだった。
 何をやっていたんだろう、私は。報われない事に、どうして何年も囚われていたんだろう。悔しくて、悲しくて、涙が止まらなかった。しゃがんだまま、手で顔を覆って、路上で泣き続けた。周りに人が集まって、ざわざわと騒いでいる声が聞こえたが、もう、そんな事どうでもいいくらいに悲しかった。ただ、ずっと、泣いている事しかできなかった。
 ――ふいに、頭を撫でられる感触が帽子越しに感じられた。
 それは、覚えのある感触だった。
「泣かないで、ヒカリちゃん」
 顔を上げると、マシロちゃんが私の頭を撫でていた。
「泣かないで」
「マシロちゃん……」
 マシロちゃんは手を下ろして、今度は、私に抱きついた。
「泣かないで。ぎゅって、してあげるから」
 耳元から聞こえるマシロちゃんの声が優しかった。私を抱いてくれるマシロちゃんの力が、きゅっ、と私を包んでくれた。それが、なんだか、温かかった。込み上げてくる感情があり、胸がつまりそうになって、私もマシロちゃんを抱きしめた。
 あったかい。
 すごく、あったかかった。
 何も言わずに、マシロちゃんは私を抱いてくれた。ずっと、ずっと。
 『上』へと帰る、その時間まで――。

  *15

 時間はもう、夜の十一時。配達のサンタ達も事務所前に集合し始めて、みんな楽しそうだった。配達の時間まではまだ何時間かあるけど、支部長さんのお話とか、事務長さんの説明とかもあるし、地図をもらったり、プレゼントの入った袋をもらったり、行く場所を事務で聞いたり、いろんな事でけっこう時間がかかるから、動き始めるのは十二時過ぎくらいからなんだ。だから、それまでに配達のサンタは全員、集まってなきゃいけないんだ。
 わたしは事務所に行って、どこかに行っちゃったっていうプレゼントが見つかったのか、キヨミちゃんに聞いてみようと思った。事務所のドアを開けて中に入ると、なんだかみんな、疲れた顔をしてた。
 キヨミちゃんを見つけて、近くにいって話しかけた。
「キヨミちゃん、プレゼント見つかった?」
 わたしの声に振り返ったキヨミちゃんは、ゲッソリして、白い顔になってた。
「マシロちゃん……。もう私、ダメだよ。きっと、サンタ、クビになっちゃうんだ。ううん、きっと島流しになっちゃうんだ。いや、ううん、遠い夜空のお星様に……」
「キヨミちゃん、しっかりして」
 わたしが、フラフラのキヨミちゃんの袖をつかんで、ゆさゆさ揺らしたら、急にキヨミちゃんの眼鏡の奥の目が、クワッて大きく開いた。
「マシロちゃん、これ、どこで見つけたの!?」
「え?」
 キヨミちゃんが、わたしの持ってた汽車のオモチャを指差して、驚いたように言った。
「よかったあ、見つかった! 希少品だから、なかなかすぐに手配できる物じゃないし、もうダメかと思った!」
「キヨミちゃん、なくなったプレゼントのオモチャって、この汽車だったの?」
「そう! ありがとう、マシロちゃん! 本当にありがとう!」
 キヨミちゃんは大喜びで、わたしの手から汽車を受け取ろうと、両手の手のひらを出した。
 そっか……。なくなったプレゼントって、これと同じ物だったんだ。今、これがあれば、キヨミちゃんは助かるんだ。プレゼントが足りない子供もいなくなるんだ。
 そっか……。
 わたしは笑って、キヨミちゃんに汽車のオモチャを渡した。
「はい、キヨミちゃん」
「うん、ありがとうね、マシロちゃん!」
 キヨミちゃんは急いで事務所の奥の方へ走って行っちゃった。
 せっかく、おじいちゃんにもらったんだけどな……。でも、いいんだ。キヨミちゃんが悲しい思いするよりも、こっちの方がよかったんだ。誰かが泣くよりも、みんな笑ってた方が、ずっといいよ。
 そう思って、わたしは事務所を出た。

 少し歩いて、お気に入りの場所のひとつの、レンガの崖に行った。崖っていっても、建物の二階くらいの高さだから、そんなに高くはないんだけど、レンガでキレイに地面を作ってて、崖のところに足を出して、ぱたぱたさせながら、月を見るのが好きなんだ。それに、配達から帰ってきて、ここでココアを飲みながら見る朝日がすっごくキレイで、この場所が好きなんだ。
 崖に着いたら、マユキちゃんとヒカリちゃんが並んで座ってた。
「おう、マシロ。事務所の方はどうだった? まだ、やってたか」
「ううん、もう大丈夫みたいだった」
「そうか」
 わたしも、ヒカリちゃんの隣りに並んで座った。ヒカリちゃん、『下』で泣いてたけど、もう悲しそうな顔をしてなかった。
「ヒカリちゃんも、もう大丈夫?」
「うん……。ありがとう、マシロちゃん。心配、かけちゃったね」
「ううん、ヒカリちゃんが元気になったなら、なんでもないよ」
 そう言ったら、ヒカリちゃんが目を細くして笑った。すてきな笑顔だなって思った。
「私、何をずっと昔にこだわってたのかな……。突然の別れを告げてきたのは、きっと、みんなも同じだろうに」
「まあな……」
 マユキちゃんが返事した。
「先輩の事なんて、すぐ忘れるべきだったんですよね。もう、私と先輩は、いる世界が違うんですから。いつまでも覚えていたって……」
「それは違うよ」
 わたしは、ヒカリちゃんに言った。ヒカリちゃんが驚いたような顔して、えっ、って声を出した。
「わたしは小春ちゃんって子と会えなくなったけど、小春ちゃんのことは、ずっと、ずーっと忘れないよ。忘れちゃったら、かわいそうだよ。わたしは小春ちゃんのこと大好きだもん。それは、いつまでも変わらないよ、きっと」
「マシロちゃん……」
 ヒカリちゃんは少し、わたしを見つめていたけど、「そうだね」って言って、笑顔になった。
「うん、私、先輩の事、ずっと忘れない」
 マユキちゃんがケータイをポケットから取り出して、ケータイを見た。それからケータイを見えない箱に戻して、立ち上がった。
「そろそろ行こうか。さあ、サンタのお仕事の時間だ」
「うん!」
 わたしが大きな声で返事をして立ち上がったら、ヒカリちゃんも元気に立ち上がった。
「よーし、私、今年から張り切って頑張ります!」
「なんだ、ずいぶん元気になったな」
「行こう! マユキちゃん、ヒカリちゃん!」
 三人で、レンガの地面を走った。今年も、みんな幸せなクリスマスになればいいな。そんなことを考えながら、わたしは二人と一緒に事務所の方に向かった。

  *Epilogue

「ただいま」
 僕は、誰もいない1DKのマンションの部屋に帰ってきて、一人、帰宅の挨拶をした。無駄な行為だとは分かってはいるが、孤独な自宅へ帰る事による自然な習慣のようなもので、ある意味、本能でもあるのだから、こればかりは仕方ない。
 部屋に入ると、すぐにテーブルに置いてあったリモコンで、エアコンの暖房をつける。コートをクローゼットのハンガーにかけ、ネクタイを外して、クリーニング用のカゴに放り込んだ。そのまま、すぐに着替えるべきなのだろうが、このところ残業続きで、疲労が溜まっていたので、僕はソファに座り、背もたれに体を預けた。
 大学を卒業してネットワークの会社に入ったが、SEなんて、なるものじゃないな、と思う事が度々だった。そろそろ、体力的にもきつい。いい加減、別の職種も考えるべきだろうか。とりあえずパソコン関係の仕事なら、他と比べれば、まだ転職先は見つかりやすいかもしれない。
 ……などと考えていた時、ふと、正面のテレビ脇の棚に飾ってある物が目に入った。箱に入った、腕時計だった。ブランド製で、僕が高校生だった時、欲しかった物だ。今ではプレミアがついて、なかなか手に入らない代物だ。
 だが、その時計は壊れていた。ガラスのカバーはひびが入り、針が取れていた。壊れたその状態のまま、箱に入れて飾っていたのだ。
 あの腕時計は、何年も前の高校生だった頃、クリスマスイブの日に、付き合っていた後輩の子がくれた物だ。いや、正確には、本人の手で受け取る事はできなかった。僕の手に渡ってきた時は、その腕時計は遺品となっていた。彼女の友達の話によって、それが僕へのプレゼントだったらしい事が判明したのだ。
 僕は、飾ってある腕時計を眺めていて、ふと、今日の帰り道にサンタの女の子にもらったクリスマスプレゼントの事を思い出した。立ち上がって、クローゼットのコートの内ポケットを探り、プレゼントを取り出した。オマケにしては、ずいぶんと綺麗に包装されていた。ソファに座り、プレゼントを眺める。
 本来なら、素通りして立ち去るところだった。自分には、クリスマスだからといって何か特別な事がある訳でもないし、路上でタダで配布しているような物など、興味はなかった。
 だが――。
 これを配っていたサンタの子の顔を見て、そんな気はなくなった。
 その子の顔が、高校生の頃に付き合っていた深海雪菜にそっくりだったからだ。だが、当然、その子は似ているだけの別人だ。だから、動揺して変に思われるのもまずいので、自然な態度を装った。彼女と、少し話をしたかった。
 彼女はこの、オマケのプレゼントを配っていた。子供に渡すのならともかく、いい大人の僕に配布用のプレゼントを渡すなんてのは、きっと、子持ちと間違われたのだろう。小さい子供なら、いてもおかしくない歳だ。
 僕は自分の左手を見た。どの指にも、何の指輪もはめていない。結婚指輪など、はめた事はない。咄嗟にしては、よくあんなリアルな嘘が思いついたものだ。
 嘘をついてまで、僕が子供の玩具をもらう必要性なんて、なかった。だが、僕はそのサンタの女の子からプレゼントを受け取りたかったのだ。それはきっと、あの子が雪菜に似ていたからだろう。僕は、本人の手から、あの腕時計を受け取る事ができなかった。だから、サンタの子には一方的で申し訳なかったが、雪菜からクリスマスプレゼントを受け取る疑似体験がしたかったのだ。
 このプレゼントを受け取った時、ぼくはようやく、あの腕時計が自分の手に渡されたような気がした。正面の壊れた腕時計を見ながら、僕はその事を思い出していた。
 せっかくなので、僕は包装を解いて、プレゼントの箱を開けてみた。
「これは……」
 僕は目を疑った。箱に入っていたのは、正面に飾ってある物と全く同じ腕時計だったのだ。だが、今、手に持つ箱に入っているそれは、飾ってある物と違って、綺麗な状態だった。
「まさか……な」
 まさか、あのサンタの子が雪菜だったなんて。そんな、馬鹿な事を一瞬でも考えた僕が可笑しかった。でも、もし現実にそんな事が起こったのなら――それは、とても素敵な事だ。
 僕は箱から時計を出し、上下に振ってみた。自動巻きなので、運動エネルギーで針を回すゼンマイが巻き上げられる。文字盤を見ると、微かな、カチッ、カチッ、という音と共に、秒針が動いているのが確認できた。この腕時計は壊れていないようだ。
 そっと箱に戻し、僕はテーブルに置いた。この腕時計は明日から、腕につけていこう。そう、思った。
 立ち上がって窓に寄り、カーテンを少しだけめくって、外を見る。夜の暗い景色に、建物の灯があちこちに見え、まだまだ街に眠りの気配は見えなかった。
 雪も依然、ちらちらと空から降っていた。
 その雪の降る空を見上げながら、あのサンタの子が幸せでありますように、と僕は思った。

                                     <了>


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