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クリスマス小説「十年越しのプレゼント」(中編)

※本章は一つの小説の<中編>にあたります。<前編>を未読の場合は前編からお読みください。

大昔に描いた、小さな女の子サンタの漫画(ネーム)のシリーズ「小さな配達人」(別投稿)の番外編となる小説です。
本編の主人公マシロと、小説の主人公である17歳のヒカリの、二人の視点を交互に描写して展開される切ない&ホッコリなクリスマス小説です。
本編とは違う、やや大人びた空気感も特徴の一つとなっています。



  *5

 わたしがお腹に手を回しているマユキちゃんは、バイクを運転しながら、ぶつぶつ言っていた。
「なんで、あたしまで条例違反しなきゃならないんだよ……」
 そんな事言っても、マユキちゃんはわたし達をバイクに乗せてくれる。だから、マユキちゃんって優しいから好き。
「ごめんなさい、私のせいで」
 わたしの後ろに座るヒカリちゃんが小さい声で言った。
「別にお前のせいじゃないけど。マシロが余計な事を言うから、こういう流れになるんだよな……。あたしも鬼じゃないんだから、ああいう話聞いたら、乗せてやらない訳にもいかないだろ」
 マユキちゃんが言っているのは、さっき、『上』のわたし達の世界の、雪ばっかりのあの場所で聞いた話。ヒカリちゃんは十年前に約束してた人がいて、でも会えなくなっちゃって、それでずっと、その人のことが忘れられないんだって話してた。

「十年前のクリスマスに、その人と会う約束でした。同じ学校の私の一つ上の先輩で、私は先輩が欲しがっていた物をプレゼントするって、クリスマスの前から約束してたんです。それはちょっと高級な物で、高校生の私には買えないような値段だったんですけど、無駄かもしれないけど必死に何ヶ月もバイトして、それで、お店の人に凄くオマケしてもらって、ようやく買えたんです。でも……クリスマス前に、私、行けなくなって」
 雪の上で膝を突いて座るヒカリちゃんが言ってた。話の全部は分からなかったけど、センパイって人にプレゼントを渡す約束をしてたんだってことは、わたしにも何となく分かったかな。
「でも、あたし達はサンタだぞ。プレゼントを配る相手は子供だけだ。どうやって渡すんだよ」
 マユキちゃんが言った。
「最初は、私も無理だって思っていました。もう、永遠に叶わない事だと。でも、五年前に、耐え切れなくなって私、こっそり『下』に下りたんです。何をするつもりでもなく、ただ、先輩の姿を見たかっただけなんです。会えない事は分かっていたんです。その時は先輩を見つけられなくて、諦めるしかなかったんですけど。でも『下』に下りて、気づいた事がありました。夜以外の時間って、私たち本物のサンタではない普通の人が、サンタに扮して街に溢れているって事に」
 どういう意味だろう。わたしはヒカリちゃんの言ってることがよく分からなかったけど、マユキちゃんの顔がだんだん変わってきたのが分かった。
「お前まさか、バイトサンタのふりして、その男の前に出る気か!」
 ヒカリちゃんがうなずいた。バイトサンタって何だろう。なんだかカッコよさそう。
「ねえ、マユキちゃん。バイトサンタって何? ヒーローみたいなサンタなの?」
「ヒーローにかなり遠いサンタだよ。人にこき使われてる偽サンタだ」
 ニセモノ……!
「ヒカリちゃん、ニセモノになるの?」
「だって……。本物のサンタは人目に触れちゃ駄目でしょ? でもバイトのサンタに紛れれば、先輩に会えるって気づいて……」
 ニセモノのニセモノ!
 ってことは、つまり本物ってことだよね。
「本物なら、別にいいよね」
「どこがいいんだよ、問題ありまくりだろ」
 マユキちゃんが言った。問題? 何かのテストがあるのかな。そう考えてたら、ヒカリちゃんが雪の上に手をついて、頭を下げた。
「お願いします、マユキさん! 行かせてください。私、本当はずっと、サンタになんてならなければよかったって、後悔していました。自分は不幸な事になってしまったのに、何故、他人の為に仕事をしなければいけないんだって、ずっとサンタの仕事に向き合う事ができませんでした。ずっと、ずっと先輩との約束が……、私のプレゼントをクリスマスの日に渡す事ができなかった事だけが、私の中で大きく引っかかったままなんです。十年なんです! ずっと、前に、進めないんです! お願いします、このまま行かせてください!」
 ヒカリちゃんが、なんだか必死そうに、おでこを雪につけた。その姿は、なんか凄くかわいそうに見える。ヒカリちゃんの言ってることは、わたしには難しくてよく分からなかったけど、それでも何かを頑張ってるんだってことがわたしはわかった。このままほっとくなんて、やっぱりできないよ。
「ねえ、マユキちゃん。ヒカリちゃんをバイクに乗せてあげて」
 わたしはマユキちゃんの袖を引っぱって言った。すると、マユキちゃんは宇宙人にでも会ったみたいに、凄く驚いた。
「な、何言ってんだよ! なんで、あたしが!」
「だって、マユキちゃんのバイク、すっごく速いでしょ? ピューって行って、ピューって帰って来れるよ。そしたら、みんなに分からないよ、きっと」
「マシロ、お前なあ……」
 マユキちゃんは困ったような顔をした。ヒカリちゃんの方を見てみると、ヒカリちゃんも涙目でマユキちゃんの方を見てた。
「お前ら卑怯だぞ、そういう顔は……」

 なんて言って、マユキちゃんもこうして協力してくれるんだ。優しい。だから、マユキちゃん、好き。
 マユキちゃんのバイクは空も走れるから、凄い速さで雲の中を走ってく。雲ってわたアメみたいなのに、近くで見ると煙みたいなんだなあ。おいしそうだったのに、残念。
 このバイクはホントは一人しか乗れないみたいだから、今、凄くぎゅう詰めで、わたしはマユキちゃんとヒカリちゃんの間で、きゅうきゅうに挟まれてるんだ。おしくらまんじゅうみたいで、ちょっと楽しい。
「あの、なんで、雲の中を通ってるんですか」
 ヒカリちゃんが言った。マユキちゃんが運転しながら答える。
「明るいうちに空を走ってるところを誰かに見られたら大変だろ。だから、雲の中を通って、なるべく人が少ない郊外の地上に下りてから、それから地上で移動するんだ」
「大変なんですね」
「当たり前だろ。 お前、五年前はどうやって下りたんだよ」
「ええと……普通に、下にぴゅーっと」
 ヒカリちゃんが言うと、バイクが少しがくがく揺れた。
「お前な、せめて周りの目に気を遣って行けよ! 宙にいる姿、誰にも見られてないんだろうな!?」
「多分……」
 ヒカリちゃんが答えると、マユキちゃんは何も言わなくなっちゃった。どうしたんだろう。ちょっと気になったけど、肌に感じる風が気持ちよくて、すぐにそんな事は、すっかり忘れちゃった。

 山の中にある道路にマユキちゃんは下りて、道の脇で一度バイクを止めた。
「ヒカリ、その先輩ってのは、どこにいるんだ。ここから普通に走って、そいつのところまで乗せていってやるから」
「ええとですね……葛城《かつしろ》高校っていうところなんですけど」
「それは十年前の話だろ。あたしらは歳とらないんだから、そいつは今、二十七、八の筈だろ」
 わたしは後ろを見てみた。ヒカリちゃんが口をぱくぱくさせてた。なんか、池のコイみたいで面白い。
「どうしたの? ヒカリちゃん」
「……どうりで五年前、高校の前で見張ってても見つからない訳……ですね」
 マユキちゃんが首をがくっとさせる。
「勘弁してくれよ……。天然を二人も面倒見るのか」
「あ、わたし知ってるよ。トキって鳥でしょ」
「それは天然記念物!」
 わたしの言葉に、マユキちゃんが詳しく言い直してくれた。そっか、わたしもヒカリちゃんも天然記念物ってやつなんだ。でも、天然記念物って、どういう意味だろう。
「とりあえず、その葛城高校って所に行って、訊《き》くしかないな。それからヒカリ、そのバッグ、こっちにくれ」
 マユキちゃんが言ってるのは、ヒカリちゃんに背負わせてた大きなバッグ。旅行に行く時とかに使いそうな大きさなんだけど、中には何も入ってないんだよね。何に使うんだろう。
「マシロ、この中に入れ」
「え、バッグの中に入るの?」
「バイクは三人乗りできないからな。荷物のふりをするんだよ」
 わあ、面白そう!
「マユキさん、それはちょっと可哀相じゃ……」
 ヒカリちゃんが何か言いかけてたけど、わたしは地面に置かれたバッグの中に足を入れて、体を丸めて横になった。
「凄い! ぴったりだね!」
「じゃあ、閉めるぞ。荷物のふりなんだから、動くんじゃないぞ」
「うん、分かった」
 マユキちゃんがチャックを閉めると、周りが全部、真っ暗になった。外から声が聞こえてくる。
「な、こういう奴なんだよ」


  *6

 私たちは二時間半かけて、ようやく都内の葛城高校まで辿り着いた。既に十四時半を過ぎていた。
 懐かしい母校を訪れたのは五年前に続いて二度目だが、五年前は生徒たちのファッションが様変わりしていて、驚いた。私が高校生だった頃は、だぶだぶな『ルーズソックス』がはやっていたけれど、五年前に来た時は皆、紺色のハイソックスを履いていた。紺色ソックスは見た目にもいいと思う。私はルーズソックスが苦手で履けなかったから、あと五年遅れて生まれていれば、きっと周りから浮かなかったんだろうな、と思った。更に五年経った今も、女子高生たちは紺のソックスを履いているようだ。
 携帯電話も五年前にはかわいいデザインの物を皆持っていて、当時は羨ましく感じた。アンテナがない機種もあったりして驚いたものだったが、現在はアンテナは全くなくなったらしい。しかし、常に携帯電話を見ている習慣は五年前と変わっていないようだった。
 事前情報によると、今年は天皇誕生日が日曜日に来ているため、二十四日は振り替え休日になっているらしく、校舎の中にも、学校を出入りする人間も、あまり人の数はないようだった。なるべく人目につかないようにしたいので、好都合かもしれない。
 私たちは校門が見える道の角の辺りでバイクを止めて降りた。マユキさんが背負っていたバッグを地面にそっと下ろす。
「マシロ、着いたぞ」
 声をかけるが、返事がない。まさか、長時間狭いところに入っていて、体調を悪くしたのか。私が少し心配になった時、マユキさんがさしたる動揺も見せずに、バッグを開けた。中では、丸まったマシロちゃんが、すやすやと寝息をたてていた。その子供らしい寝顔は、妙にかわいらしかった。
「マシロ、着いたぞ」
 マユキさんが再び声をかけてゆすると、マシロちゃんが目をゆっくり開け、むくりと上半身を起こして、伸びと欠伸《あくび》を同時にした。
「長いよお、マユキちゃん。退屈になって寝ちゃった」
「あれで寝られるお前も凄いよ」
 マシロちゃんが起き上がるのを見てから、マユキさんは道の角から学校を覗くように少し顔を出す。
「さて、ここからどうするか、だな。学校を卒業した後、どこに行ったのか。ここから十年後の今日までを追っていかなきゃいけない訳だよ。面倒すぎて、気が重いな」
「がんばってね、マユキちゃん」
「マシロ、お前が行こうって言ったんだろ。他人事みたいに言うなよ」
 マユキさんが角から覗くのをやめて、こちらに向き直った。
「電話とかが使えれば、その先輩の事を知ってる誰かに電話して訊く、とか、できるかもしれないんだけどな。そうしたら、こんな面倒な事を一気に、すっ飛ばせるんだけど。あたし達のケータイはサンタ専用だから、こっちの電話には繋がらないしな……」
「やっぱり地道に、訊いていくしかないですかね?」
「ただ問題は……あたし達の格好か。サンタだから、この服は脱げないんだよな。まあ、どうせ着替える服もないけど」
 確かに、いくらイブとはいえ、学校の人間に話を訊きに行くのにサンタの格好もふざけている。どうしたものかと頭の中で思案している時、ふと、マシロちゃんに目が留まった。
 そうだ! 再び私の頭上で、電球がぴかりと輝いた。
「ねえ、マシロちゃん。マシロちゃん訊いてきてくれないかな」
「え? わたしが?」
「うん、マシロちゃんは子供だから、サンタの格好で学校に行っても怒られないと思うし。一九九八年度の卒業生の保科《ほしな》純也《じゅんや》って人が、卒業してどこの大学に進んだか訊いて欲しいの」
 私はマシロちゃんと同じ目線で話す為に、低くしゃがんだ。マシロちゃんが眉根に皺《しわ》を寄せ、難しい顔をする。
「そんなにたくさん、覚えられないよ」
「あ、じゃあ、メモを渡すから、それを見せて大人の誰かに訊いてみてくれないかな」
「それなら、大丈夫だと思う」
「よし、じゃあ、ちょっと待っててね。今、書くから」
 私はいつも持っている手帳をポケットから取り出して、必要な事を書き込み、ページを破って彼女に渡した。
「じゃあ、マシロちゃんは、そうだなあ……保科先輩の姪《めい》って事にしよう。マユキさん、多分、年齢的に違和感ないですよね?」
「仮にその保科先輩ってのの、兄だか姉だかがいたとして、それが二十九だったと仮定して……マシロが七歳だから……まあ、早く結婚して子供生んだとすれば、なんとか合わない事もないか。確かに、その方法しかないかもな。マシロ一人で行かせるのは不安だけどな……」
 マユキさんが言った。すると、、マシロちゃんも反応を返す。
「大丈夫だよ、マユキちゃん。この紙を渡すだけでしょ?」
「渡すんじゃなくて、見せて、大学を訊くんだよ」
「あの、ゴマがかかってる甘いやつ? あれ、わたしも大好き」
「それは、大学イモだろ。ああ、心配になってきた……」
 私も少し、心配になってきた。自分で頼んでおいて、なんだけど。気を取り直して、マシロちゃんに念を押す。
「とりあえず、マシロちゃんは叔父さんの行方を探しているって設定でお願いね」
 そう説明しながら、先輩がもう叔父さんと子供に呼ばれる可能性がある年齢になってしまったのだという事実に、十年という長い年月を実感せざるを得なかった。私はまだ十七の高校生の頃のままなのに、先輩の時は止まらずに、ずっとずっと先の時間へと進んでゆくのだ。私は過去の時間に置き去りにされ、これから縮む事もなく、むしろ先輩と私との距離は広がってゆくばかりなのだ。それを思うと、とても寂しくなった。
 私たちはマシロちゃんを見送った。彼女は、手を振りながら学校の方へと歩いていった。その後、私たちは格好が目立つので、近くの、銀行と飲食店が背中合わせになっている建物同士の隙間のスペースに隠れる事にした。マユキさんのバイクを入れてもまだ人が通れるほどの幅があるので、それほど窮屈ではなかった。通りからこちらの姿が見えないように、奥の方へと進んで、そこでしばらく待機する事にした。
 念の為、マシロちゃんの方の様子が把握できるように、こちらとの通話が繋がったままのケータイを彼女の服のポケットに入れさせ、ケータイを通して聞こえる会話に注意を払う事にした。
 私はケータイを目の前の宙空に置いた。私たちサンタのケータイは『たまごっち』みたいな形状をしていて、宙空の好きな場所に置く事ができる。普段は個人個人の平行空間に格納してあるが、人差し指で宙空に小さい円を描く事で格納のロックが解除され、ケータイを呼び出す事ができるのだ。
 今、私のケータイはマシロちゃんのケータイと通話が繋がっている。音声出力は元からスピーカーになっているので、ケータイの向こうからの声は私もマユキさんも、両方が聞く事ができる。
 少しして、やがて目の前のケータイからマシロちゃんの声が聞こえてきた。

  *7

 門をくぐって、わたしは学校の方まで歩いていった。げた箱がある所まで行って、中に入ってみると、どこかから声をかけられた。
「ちょっと、キミ」
 声の方を振り向くと、げた箱の横の壁に窓があって、その向こうにある部屋から、おじさんが顔を出してた。
「ここは小学校じゃないよ。場所を間違えてるんじゃないかい」
「えっとね、この人を探してるんだけど、おじさん知らない?」
 そう言って、窓の方まで行って、背伸びして、ヒカリちゃんにもらった紙を見せた。紙を受け取って、おじさんは首から紐でぶら下げてた眼鏡をかけて紙を見る。
「ああ、うちの卒業生を探してるのかい。九十八年度とは、これまた随分前の卒業生だな。お嬢ちゃん、どうしてこの人を探しているんだい」
「ヒカリちゃんがセンパイに会いたいんだって」
「先輩? ああ、この生徒より後の卒業生なのかな? そのヒカリって人は」
「ちょっと違うけど」
「違うの? どうも要領を得ないなあ……」
 おじさんが困ったように言った。
「お嬢ちゃん、一人なの?」
「うん」
「お父さんかお母さんは一緒じゃないのかい」
「今、別々に暮らしてるんだ。平気だよ、今も新しい友達がいっぱいいるから」
「いや、そういう意味で訊いたんじゃないんだけどね。でも、そうか、悪い事訊いちゃったかね……。とりあえず、この卒業生が今どこにいるのかは分からないけど、卒業してどこに行ったかは分かるから、それを調べるだけでもいいかな」
「今いるところは、分かんないの?」
「そうだねえ、学校は一人の生徒をずっと見ている訳じゃなくて、新しい生徒が毎年入ってくるからね。卒業した後にどうなったかまでは分からないんだよ。ごめんね。今、ちょっと調べてあげるから、待っててね」
「うん、ありがとう、おじさん」
 おじさんが部屋の奥に引っ込んで見えなくなった。ちょっとだけ待ってると、すぐにまた顔を出してくれた。
「待たせたね。保科純也、この生徒でいいんだよね。この生徒は卒業後は、亜瀬田《あせだ》大学の理工学部、情報理工学科ってところに進んでいるね。しかし凄いな、亜瀬田に進学してるんだな。情報理工学って事は、インターネットとかの関係かな? 十年前はパソコンやらインターネットやら、今ほど広く普及していなかったんだけどね。きっと、頭もよかったんだろうね」
 おじさんが手に持つ紙を見ながら、うんうん唸った。でも、わたしには何言ってるのか、よく分かんないや。
「アセダって、大学イモを売ってるお店の名前?」
「いやいや違うよ。ここを卒業してまた別の学校に行ったんだよ。その学校の名前だね。お嬢ちゃんもいずれ小学校を卒業するだろう? その後は中学校って所に入ってね、その後はここみたいな高校に入って、その後に大学に行くんだよ。この保科って人は、亜瀬田っていう大学に勉強しに行ったのさ」
「じゃあ、そこにいけばいるの?」
「うーん、さすがにもういないだろうね。とりあえず、この亜瀬田大で訊いてみるといいんじゃないかな。ヒカリさんって人に、そう伝えてみたら? ほら、この印刷した紙、持って行っていいから」
「うん、ありがとう、おじさん。あ、そうだ、おじさん、これあげる」
 わたしは服のポケットに入れてたココア味のキャンディを一つ取って、窓のところの台に置いた。
「おじさんにクリスマスプレゼント」
「ははは、おじさんにかい? この歳でクリスマスプレゼントが貰えるとは思わなかったな。ありがたく貰っておくよ、かわいいサンタさん」

 学校を出て、ヒカリちゃんとマユキちゃんが言ってた建物の隙間に行ってみると、二人とも、なんだか疲れた顔をしてた。どうしたのかな。
「ねえ、きいてきたよ。紙もらった」
 わたしがおじさんにもらった紙を見せると、マユキちゃんが受け取った。
「……マシロ、前もって決めてた設定を見事に全部シカトしてくれたな」
「しかと?」
「いや……まあ、いいや。結果オーライだしな」
 ヒカリちゃんも寄ってきた。
「ごめんね、私が無理言ったよね。よく頑張ったと思うよ、ありがとうね」
 なんでみんな、わたしを励ましてるんだろう。変なの。
 マユキちゃんはわたしが持ってきた紙を見て、難しそうな顔をした。
「亜瀬田か……。これだけ有名な大学なら場所も分かるだろうけど、次はマシロに行かせるのは、さすがにキツイな」
「せめて私たちが電話で話せたらいいんですけどね」
「そうなんだけどなあ……」
 マユキちゃんもヒカリちゃんも、困った顔をした。
「電話が使えればいいの? さっきのおじさんだったら多分、貸してくれるよ」
「でも、あたし達はこの格好で学校に行けないから、お前に行かせたんだよ。でも、大学はさすがにマシロでも、追い払われるか警察に引き渡されるか、されそうだしな……」
 なんで困ってるのかがよく分からないわたしには、どう言ったらいいのか思い浮かばなかった。
「ねえ、外にある電話じゃダメなの? 電話ボックスとか」
「それなら私たちでも使えるけど、そういう電話はお金が必要だから、お金がない私たちには電話をかけられないの」
 ヒカリちゃんが答えた。そしたら、突然、ヒカリちゃんが「あっ」っていう声をあげた。
「そうか! マシロちゃんありがとう、いいヒントになった!」
「なんだ、どうした?」
 マユキちゃんもヒカリちゃんの方を見る。
「お金があればいいんですよ! この世界のお金をゲットして、公衆電話で大学に電話すればいいんです」
「金をゲットって、どうやってゲットするんだよ」
「思い出してくださいよ、私が最初、どうやって先輩に会おうとしていたか」
 マユキちゃんが腕を組んで、少しだけ考えてから、「あっ」っていう声をあげた。
「まさか、サンタのバイトをする気か!?」
 ヒカリちゃんが笑顔でうなずいた。
「きっと、それが一番、確実でいい方法ですよ」

  *8

 時刻は十五時半。
 私とマユキさんはそれぞれ、別行動になってデパートなどの大型の店舗集合型の建物の中などに潜り込む事にした。
 まず、マシロちゃんは年齢的にアルバイトはできない為、しばらく近くの公園で待機させる事にした。私とマユキさんがサンタのアルバイトに潜り込んで、給料をいただこうという寸法だが、なぜデパートかというと、まず、サンタの数が多い。沢山の数がいないと、自分たちが紛れ込めないからだ。数が多ければ多いほど、皆、仕事仲間の顔もほとんど覚えていないので、私たちが入り込む隙がある。それに、こういうイベント事のアルバイトは短期間の就労なので、後々が面倒になりにくい。そして、なんと言っても、日雇いである確立も高い。すぐに給料を手にできる可能性がある。
 私たちは二手に分かれて、後で落ち合う事にした。デパート内に入ると、カップルや家族連れで人がごった返していた。面白い事に、仕事の人以外には、一人で歩いている人はほとんど見られない。
 中を少し歩いて、人が密集しているところを見つけた。クリスマスケーキの販売を行っている特設スペースのようだ。主婦らしき女性たちがコーナーの周りを取り囲むように集まっているのが見える。その特設コーナー内で、女の子サンタが十人以上、相当忙しそうに動いているのが見えた。どうやら、ケーキの特売をしているようだ。
 私はさり気なく、その売り場に入ってみた。と、すぐさま後ろから声をかけられる。
「ねえ、ちょっと。このケーキ欲しいんだけど」
 三十代と見られる女性がそばのショーケースの中のクリスマスケーキを目で指して言った。白いクリームでスポンジが覆われていて、天辺の円周を華やかにイチゴが並んでいる。乗っているチョコレート板には英語で「メリークリスマス!」の文字が記されていて、脇に砂糖菓子製のサンタとトナカイがボリュームのある髭をたくわえながら笑顔で立っている。特売品とはいえ、その姿はケーキ好きな私には垂涎ものだった。
 が、十年前にファミリーレストランで接客のアルバイトをした経験のある私は、そんな感情は冷静に抑え、目の前の女性客の相手を始めた。
「はい、こちらですね。少々お待ちください」
「早くやってよ? 旦那と子供待たせてるんだから」
 何故か女性が苛立たしげに急かした。何も、せっかくのクリスマスにカリカリする事もないのに、と思いながら、私はショーケースを開けようとして、鍵がかかっている事に気づく。慌てて、レジの奥でケーキの箱を包装紙で包んでいる販売員のサンタの一人に近づいて、小声で尋ねた。
「すいません、そこのショーケースの鍵って、どこにありますか」
「はあ? あんた朝の説明、ちゃんと聞いてなかったの?」
「ごめんなさい」
「そこから勝手に取っていきなさいよ。こっちは今、あんたの相手してる暇はないの」
 そばの引き出しを顎《あご》で指しながら、販売員のサンタはお客に聞こえない小声で、怒るように言った。
「ちょっと、邪魔」
 後ろから別のサンタがケーキを持ちながら、私の体を肘でどけるようにして通る。謝りながら、私は横に退いた。
「ちょっと、何してんの! 家族待たせてるんだって、言ったでしょ!」
 先程の女性客がショーケースの前から喚いた。
「すみません、今、ケースを開けますので……」
「あの、これください」
 ふいに、別の女性客に、チョコレートケーキの入ったショーケースの中を指して言われた。
「はい、少々、お待ちください!」
「ちょっと、早くしてって言ってるでしょ」
「はい、ただいま、行きますので……」
 と、再び目の前を他のサンタが押し退けるようにして通る。
「ちょっと、邪魔」
「あ、すいません」
「あのー、これ欲しいって、今、言ったんですけど」
「はい、もう少々お待ちください」
「ちょっと! いつまで待たせるの!」
「はい、今、行きます!」
「すいません、この丸太のケーキください」
「はい、今少しだけお待ちください!」
 なんという修羅場……。なにもクリスマスの日に、こんな壮絶な戦場を生み出さなくともよいのに……。私は少しだけ、自分の計画について、後悔した。

 休憩の時間になって、数人ずつ交代で休憩を取るという事で、私は真っ先に手を上げた。サンタ全員が舌打ちした。皆のその反応は痛かったが、この激務の仕事に早くも限界を感じていた。
 従業員通路を奥に進んだ所にある待機室に、休憩するサンタ達と共に移動する。歩きながら、休憩組のサンタ達が私に話しかけてくる。いや、正確には文句をぶつけてきたのだ。
「あんたさあ、ほんっと使えないね。あれで、あたしらと同じ給料もらうワケ? 超ぼったくりなんだけど」
「ごめんなさい……」
「つか、あんた、朝からいたっけ? 顔に見覚えないんだけど」
「私、目立たないから……」
 そう言うと、話しかけてきたサンタ達は顔を見合わせて、嘲笑めいた笑みを漏らした。ダッセー、と小声で言ったのが微かに聞こえた。
「ねえ、あたし喉渇いたから、自販機でコーヒー買ってきてよ」
 唐突に、サンタの一人が私に言った。それを聞いて、他のサンタも即座に注文を次ぐ。
「あ、じゃあ、あたし紅茶で」
「あたし、あたたかレモンね」
「いえ、あの……私、お金持ってないんですけど……」
 私が言うと、皆、急に眉間に皺を寄せて不快そうな表情になった。
「はあ? 自販機で飲み物買う金くらい持ってんだろ」
「それが……本当に全然なくて……」
「あー、つまんね。マジで超冷めんだけど」
「もう、いいじゃん。ほっといて、行こ」
 舌打ちを置き土産に、サンタ達は行ってしまった。

 私は、少しだけ昔を思い出した。十年前の私も今のように、周囲から浮いた存在となっていた。周りはこぞってファッションやスタイルをブームに合わせてゆくけど、私はそれが嫌だった。別に、ブームに無意味な反感を持っていた訳ではなく、ただ単純に、ブームとなっていたものが皆、自分の趣味に合わなかっただけだ。
 周りは皆、本当にそれが好きなのだろうか、と考えていた。流行している対象が好きなのではなく、流行自体が好きなのではないか、とも思えた。ミニスカートだって、以前はあれこれ言われる事もあったが、私が高校生の頃はそれどころじゃなかった気がする。もしかしたら、あの頃はある意味、凄さは最高だったのかもしれない。
 ブームに乗らない私は流行に乗れない、時代についていけない下位の人間であると見られてしまう。私は元から会話が得意な方ではなかったし、気づけば、周囲との温度差は大きなものになっていた。
 学校生活に面白味を感じなくなっていた。しかし、その中でもただ一つ、図書委員の活動をやっている時だけは、例外だった。

 図書室の受け付け係をやっている時だけは、気持ちがほっとするのを感じていた。クラスの皆との間にある溝や、日常の煩わしい事などが、その空間には入り込んでこないからだ。図書室の、静謐《せいひつ》で、淀みのない空気感が、私は好きだった。
 そして、毎日、決まった曜日の決まった時間に、図書室にやって来る存在が、さらに私の中で特別であった事は間違いなかったし、自覚もしていた。月、水、金の三日だけ、放課後の十五時半から十六時までのたった三十分だが、図書室にやってきて本を棚から取り、閲覧スペースで読んでいく男子生徒がいたのだ。静かな雰囲気を持っていて、背が高くて、髪を分けていて、知的な印象の顔をしていた。首の右側に小さなほくろが二つあって、それが、ちょっとしたアクセントになっていた。いつも決まった棚からそっと本を取り出し、椅子に座って、本を読んでいた。読書中の文字を目で追うしぐさも、ページを繰る動作も無駄がなく、三十分の間、静かに読んでいた。その姿が、私には大人びて見えた。
 いつも、どんな本を読んでいるのかと思って、彼が決まって本を取っている棚を見てみると、情報工学のコーナーだった。その単語を見ただけで私はすぐにギブアップしてしまう類であったが、やはり彼は自分の思うとおりの、知的な人なのだと、妙に納得した。
 夏のある時、彼は珍しく火曜日にやって来て、いつもの情報工学のコーナーとは違う棚を見ていた。いや、見ていたというよりは、いろいろな棚を見ながら、うろうろしていた。やがて、受け付けの方へやってきて、私は突然の思わぬ事態に、どきりとした。
「あの、SFとかで面白い小説って、図書室にありますか」
「SF……ですか。ちょっと待ってくださいね」
 彼に話しかけられただけで、心臓がばくばくしていたのが、はっきりと分かった。まともに会話する事もできないと考え、すぐに逃げるように、一緒にいた先輩委員の人に訊く。うちの図書室にSFはない、と一言で返され、私はすぐにまた彼への対応を余儀なくされた。
「すいません、うちにはSFはないみたいです」
「そうですか。あんまり詳しくないんで、お薦めの本があったら読みたかったんですけど……」
 彼が棚の並んでいる方を見て言った。
「あの、いつも小説って読まれてないですよね。SFを読みたいって、その……珍しいですね」
「どうして、小説を読んでいないって、知っているんです?」
 振り向いた彼の目があまりに綺麗だったので、自分の頬が赤くなったのが、自分でも分かった。
「いえ、その……いつも、同じ棚から本を取っていたんで、どういう本を読んでいるのかな、と思ったら、情報工学の本だったんで……。いつも、勉強してるんですよね」
「ああ、そういう事。半分は勉強、半分は趣味だよ。コンピューターが、好きなんだ。だからSFにも少し興味が湧いて」
 急に敬語が抜けて、私の顔から火が出そうになった。なんて澄んだ声なんだろう、と思った。彼はそれから軽く挨拶をして、図書室を出て行った。
 十年経った今に振り返ると、可笑しくて自分でも笑ってしまいそうな事だが、それから月、水、金以外の日はなるべく委員の間で受付係の調整をしてもらって、放課後に帰れるようにし、すぐに図書館に直行して、SF小説を読み漁った。単純な乙女である。
 小説自体、読んだ事はなかったし、大体、SF小説を読むのは男の人だと思っていたので、明らかに、彼との接点を結べるかも、という下心による行動以外にはありえなかったのだが、読んでみると意外に、自分自身がSF小説にのめりこんでしまった。
 純粋に、自分の読んだ本の面白さを誰かに伝えたくて、私は彼が訪れた時に、読んだ小説のタイトルを教えた。
「駅の近くの図書館にあるんだね。ありがとう、今度、読んでみるよ」
 本の感想が帰ってきたのは、意外に早く、次に図書室に来た時だった。
「まだ途中なんだけどね。映像物は好きなんだけど、活字でストーリーを読むっていうのは馴染みがなかったから、どうなのかなって思っていたけど、初めの方からぐいぐい惹きつけられるね」
 彼は、図書室に来る度に、読んだところまでの感想を教えてくれた。私も、また別の読書中の小説について話したり、薦めたりした。しかし、図書室であまり会話はできないので、その都度、短いやり取りしかできないのが、もどかしかった。ある日、私が図書室を閉めて廊下に出た時、そこに彼がいたので、私は驚きを隠せなかった。彼は、「図書室では、あんまり話せないからね」と言って、私が図書委員の仕事を終えるまで待っていた事を告げた。肩を並べながらの駅までの帰り道、お互いに少ししか話せなかった小説の話に夢中になった。そして話をしながら、自分は今、とんでもない幸福を味わっている、と考えていた。
 奇妙な話だが、その時になってようやく互いに自己紹介し、彼が保科純也という三年生だという事を、初めて知ったのだった。

  *9

 わたしは公園のベンチで座って、足をぱたぱたさせながら、周りの様子を眺めてた。公園のはずなのに、ここは遊ぶものが何にもないんだ。変なの。ブランコも、シーソーも、ジャングルジムもない。地面に平らに削った石が詰められてて、いろんな色の石が模様になっててキレイなんだけど。でも、何にもなくても、真ん中に噴水があるから、見てて楽しいな。ずっと見てると、たまーに、水の柱が高くなったりして、「おおー!」って、声をあげちゃうんだ。
 周りには私と同じくらいか、もっと下の歳の子供と、お父さん、お母さんが手を繋いで歩いてる姿がいくつも見える。他には、キヨミちゃんとかマユキちゃんとかくらいの歳の女の人と男の人の二人組みがいっぱい公園内を歩いてた。
 ヒカリちゃんとマユキちゃんはバイトサンタっていうのになるらしくて、わたしはバイトサンタにはなれないから、一人でお留守番することになっちゃった。いいなあ、バイトサンタって、どういう事するのかなあ。ニセモノになるってことは、潜入捜査っていうことをするのかなあ。
 そんなことを考えてたら、目の前でコートを着たおじいちゃんが前に転んだのが見えた。
 あ、大変!
 わたしは急いでおじいちゃんのそばに走った。
「おじいちゃん、大丈夫?」
 おじいちゃんはゆっくり起き上がろうとしてた。
「ああ、ああ。ありがとう。ただ、すまんね、そこのステッキを取ってくれるかい。体は歳の割には丈夫な方なんだが、足が悪くてね……」
 おじいちゃんが見る方向に、ステッキが転がってた。わたしがそれを掴んで、おじいちゃんに渡してあげると、おじいちゃんはステッキを立てて、腕をぷるぷるさせて、立ち上がった。
「ふう、助かったよ。これがないと歩けないからね。ありがとう、お嬢ちゃん」
「ううん、おじいちゃんはお体、大事にしないといけないもんね」
「ははは、感心な子だね。お嬢ちゃん、一人かい。誰かを待っているのかな?」
「うん、友達を待ってるんだ」
「そうか、そうか。一人じゃ退屈だろうねえ」
「うーん、でも、この噴水が見てて楽しいから、平気。あそこのベンチで座って、眺めてるんだ」
 わたしは、さっき座ってたベンチを指差した。
「そうか、じゃあ、おじいちゃんもちょっと休んでいこうかな」
「うん、じゃあ、一緒に行こう」
 わたしはおじいちゃんの手を持って、ベンチまで歩いた。おじいちゃんはステッキをつきながら、ゆっくり歩いてた。
 並んでベンチに座って、目の前の噴水を眺める。わたしはまた、足をぱたぱたさせてた。
「いいねえ……こうやって水の流れをゆっくりと眺めるのも。冬には冬の趣があるねえ」
「オモムキって何?」
「はは、お嬢ちゃんには難しいか。何というのかな。味わい、というのかな」
「味わい? おいしいの?」
「いやいや、食べ物じゃないよ。お嬢ちゃんもいずれ、成長したら分かるさ」
 おじいちゃんが笑いながら言った。
「この噴水はね、冬は普段は水が噴き上げてないんだよ。でも、今日はクリスマスだからね。特別に水が出ているんだよ。下に照明があってね。夜になったら、いろんな色の光で下から噴水を照らすんだよ。その姿は幻想的でね、評判がいいらしいよ」
「うーん、わたしにはよく分かんないや」
「そうか、お嬢ちゃんは実際に見てみないと、ピンと来ないだろうねえ。いや、おじいちゃんも見た事はないんだけどね。この歳じゃ夜は出歩けないし、今も孫の顔を見に行った帰りでね。日が暮れるまでには帰らなきゃいけないんだけどねえ。早く帰っても一人だから、少し人恋しくてね」
「おじいちゃん、家族はいないの?」
「家内と暮らしていたんだけど、何年も前に逝ってしまってねえ。娘夫婦と六歳の孫がいるんだけどね。一緒には暮らしてないんだよ。娘もだんだんと、おじいちゃんと距離を置きたくなったみたいでね……。いや、お嬢ちゃんにこんな話をするべきじゃなかったね。ごめんよ、忘れておくれ」
 おじいちゃんが、なんだか寂しそうに笑った。大丈夫かなあ。
「おじいちゃん、元気出して。これ、あげるから」
 わたしはポケットに入れてるココア味のキャンディを一つ取って、おじいちゃんの手に渡した。
「クリスマスプレゼント」
 わたしの渡したキャンディを見ると、おじいちゃんの目が細くなった。
「おじいちゃんにくれるのかい。ありがたいねえ。本当に、ありがたいよ……」
「元気出してね」
「そうだ、お嬢ちゃんは女の子だからどうか分からないけど、鉄道とかは好きかな?」
「テツドーって、何?」
「電車とか新幹線とか、線路の上を走る乗り物だね」
「新幹線は乗った事ないけど好きだよ。カッコイイもん」
「じゃあ、汽車は好きかな?」
「あ、汽車、好き! 汽車も乗った事ないけど、あの形が好き」
「そうか、じゃあ、よかった」
 おじいちゃんがコートの中に手を入れて、中からキレイに紙に包まれたプレゼントの箱を出した。ちょっと細長い形の箱だ。
「キミにあげるよ。お嬢ちゃんへのクリスマスプレゼントだ」
「ええ!? わたしに!? もらっていいの?」
「いいよ、開けてごらん」
 おじいちゃんからプレゼントを受け取って、箱を開けてみると、中に汽車のオモチャが入ってた。
「よくは知らないんだけどね、Lゲージっていう鉄道模型らしいよ。孫が鉄道好きだったから買ったんだけどねえ、すっかり飽きてしまったみたいで、また別の玩具を買ってあげなきゃいけなくなってね。気に入ってくれれば、キミに貰ってもらえると嬉しいよ」
 わたしはすっごく感激した。だって、わたしがプレゼントをもらうのって、四年ぶりだったんだもん。
「ありがとう、おじいちゃん!」
 今年のクリスマスは、なんだか、いい事がありそうな気がするなあ。みんな、こうやって幸せなクリスマスが過ごせるといいなあ。

  *10

 私はデパートの書店コーナーで雑誌を立ち読みしていた。周囲の視線がちらちら気になったが、私はそれどころではなかった。
 手に持つ週刊誌の記事を見て、嫌な汗が額から流れるのを感じた。休憩が終わるまでの間、時間を潰そうとデパート内をうろうろしている時、この週刊誌の表紙の文字が目に入った。
『極秘写真入手! 宇宙人の拉致!? 空に浮かぶ人間!』
 まさか、と思った。写真の撮影された日が二〇〇二年のクリスマスイブと書かれていたからだ。それは、私が前に『下』へ下りてきた日だ。すぐに週刊誌を手にとって見てみると、望遠レンズを通して撮影されたもののようで、それでもシルエットが分かる程度で、はっきりとは姿が分からなかったが、明らかにその被写体は、五年前の私だった。『上』へ帰る時の姿を誰かに見つかってしまったようだ。
 仕事で下りてきていなかったので、プレゼントの袋などは持っていなかったが、もし持っていたら、シルエットだけでもサンタクロースが連想されていたかもしれない。宇宙人の拉致と間違われている事が、不幸中の幸いだった。
 マユキさんの言うとおり、気をつけないといけないな、と反省した。と、そこで……。
「雪菜《ゆきな》?」
 ふいに名前を呼ばれて、私は反射的に声のした方を振り向いた。その瞬間、体に稲妻が走ったような動揺を覚えた。それは、久しく呼ばれた事のなかった、まさに十年ぶりに聞いた私の以前の本名だった。
 すぐ脇に、スーツ姿の二十代後半と思われるショートカットの女性が、私の顔を窺うように立っていた。その顔には、微かに覚えがあった。どうにも思い出せないが、確かに見覚えはあった。
「そんな、まさか……ね。雪菜な訳ないし……」
 スーツの女性は戸惑った様子で、小声でつぶやいていた。
「あの、間違っていたらごめんなさいね。あなた今、私の声に振り向いたわよね? 雪菜って名前を呼んだ時に」
 私の心臓が激しく鼓動しているのが分かった。額にあぶら汗が浮かんだのが分かった。前髪で額が隠れていなければ、動揺を察知されているところだ。
 この女性は、私の事を知っている。どうする……!?
 私たちサンタは自分の素性が発覚した場合、消滅してしまうのだ。それが、サンタとなった時に体に刻まれる絶対のルールだ。もし、誰かに自分の素性を明かした場合、もしくは伝わってしまった場合は、協会が知ろうが知るまいが、その時点で体は光の粒子に分散し、飛散してしまう。過去に何人か、そうして消えてしまったサンタもいたらしい。消滅したサンタは、魂がどこかへと行く訳でもなく、バラバラに散ってしまうのだから、完全な無の状態になってしまうのだ。文字通りの消滅だ。
 私が返答に困っていると、女性が更に言葉を繋げた。
「あなた、もしかして、深海《ふかみ》雪菜《ゆきな》の親戚か何か、かしら?」
 親戚……。私は考えもしなかった言葉に、途端に力が抜けそうになった。膝から崩れそうになるのを必死に抑えながら、私はこくこくと頷いた。親戚という事にしておけば、とりあえずの危機は回避できる。
「やっぱり! びっくりしたわ、雪菜そっくりの子が目の前にいるんだもの。驚かせてしまって、ごめんなさいね。私、高校の時、雪菜と同じ図書委員でね。割と仲良かったのよ」
 その言葉に、私は徐々に、目の前の女性が誰だか、過去の記憶と照らし合わせて思い出してきた。そうだ、確かに面影がある。
 私が二年の時に同じ図書委員だった、別のクラスの長谷部《はせべ》穂香《ほのか》さんだ。明るくて、壁のない人で、おとなしい私にも気さくに声をかけてくれて、この人には私も結構、心を許していた。ただ、がさつなところがあり、声も大きかったので、図書室では少々、白い目を浴びる事もあった。目の前の彼女はすっかり大人になっていて、顔に面影はあるが、話し方も物腰柔らかくなっていて、声量も抑えめだったので、すぐには分からなかった。
 考えてみれば、当然なのだ。私は十年前から十七歳のままだが、他の皆はそのまま十年の時を経ているのだから、同い年だった人間はもう二十七歳だ。大人になって、もう何年もの年月が経っている年齢なのだ。
 長谷部さんは左手首の腕時計を確認した。その左手の薬指には、指輪がはめられていた。彼女と自分との間に、大きな時間の隔たりがある事を実感した。そのギャップは今の私には、どこか、痛かった。
「ねえ、私これから休憩なの。よかったら、コーヒーでも飲みながら、少しお話していかない? それとも、その格好、アルバイトか何かの最中かしら」
「え、あ、ううん……」
「ふふ、そうよね。立ち読みしているくらいだし」
 彼女は、保科先輩の事を知っているし、私と先輩との関係も知っている一人だ。もしかしたら、先輩の今いる場所を知っているかもしれない。亜瀬田大に電話するお金を稼ぐ為に激務の接客をするよりも、この人に先輩の事を訊いた方が速いかもしれない。
 私は彼女と話をする事に決めた。

 デパート内の小さな喫茶店に入り、テーブル席に着いた。淡い橙《だいだい》色の照明で店内の景色がオレンジがかっていて、少し大人びた雰囲気だった。出入り口からテーブル席を挟んだ正面には窓ガラスが張られており、建物の外の様子が見える。
 私たちは、窓際のテーブル席に着いた。私の格好はさすがに喫茶店の中では目立って仕方なく、他のお客の視線を集めていた。
「あの、いいんですか。注目されちゃってますけど」
「今日はイブなんだから、気にするほどでもないんじゃない? 自然にしていれば、誰も見なくなるわよ。明日まではサンタが出歩いてても不自然じゃないんだし」
 彼女は気にする様子もなく、注文をとりに来た店員にホットコーヒーを二つ頼んでいた。話し方が変わっても、周囲の目に囚われない、さばさばしたところは変わらないままのようだった。私にはない部分で、一種の憧れのようなものを、私は彼女に対して覚えていた。それが、十年経った今もそのままだったのが、妙に嬉しかった。
「一緒にコーヒー頼んじゃったけど、他のものがよかったかしら」
「ううん、私、コーヒー好きだから」
 と、彼女に返事しながら、今の私は彼女より年下なのだから敬語を使わなければならないな、という事に気づいた。以前は普通に話していた相手に敬語を使うのは、戸惑いを感じるが……。
「私はね、長谷部穂香っていうの。この建物に入っているチェーンの経営戦略課でね。お店の様子を見に来てるのよ。聞いた事ない? 『ドゥーガトー』っていうスイーツの店」
「いえ……ちょっと」
「あら。うちの店も知名度まだまだかしら。頑張らないといけないわね」
「私が知らないだけだと思いますから」
 これは本当だ。『上』でも、この『下』の情報を知る事はできるが、私は特に進んで知ろうとはしなかった。だから、もし彼女の言う店が十年前に有名でなかったのなら、私はきっと知らないのだ。しかし、そんな事よりも、自分の中で高校生だった人間がどこかに勤めて、経営戦略だなんて言葉を口にしているのは、違和感があった。これが、十年の時間の差なのか。十年という時間は途轍もなく大きいものだと感じずにはいられなかった。
「ねえ、あなたの名前は?」
「私は……ええと」
 ふいに名前を尋ねられて、少し戸惑った。
「深海、ヒカリ……です」
「ヒカリちゃんね。雪菜のどういう親戚なの? 凄く、そっくりなのよ。驚いたわ」
 また困った。名前より嘘を考えるのが難しい。あまり時間をかけられないので、咄嗟に、マシロちゃんを高校に行かせる時に考えた設定を引っぱってきた。
「ええと、姪にあたる親戚です」
「へえ、雪菜って、兄妹がいたのね。でも、あなたくらいの歳の姪がいるなんて、あなたの親って雪菜と随分、歳が違うのかしら。私たちが高校生だった頃に、もうあなたも生まれてたって事よね」
「そう……なんですよ。叔母さんによく可愛がられてました」
 自分の事を叔母さんと呼ぶのは、かなり違和感があった。
 やがて、コーヒーが運ばれてきて、私と長谷部さんはコーヒーに口をつけながら会話した。彼女は砂糖もミルクも何も入れずに飲んでいた。それだけで、彼女が自分より大人に感じた。
「あの子ね……ああ、あなたの叔母さんの事だけど、あまり周りと打ち解けられない子だったみたいでね。無理もないと思うのよ。私たちが高校生の頃って、女子高生って結構、凄かったから」
 彼女が苦笑いした。
「おとなしい子でね。今のあなたみたいに三つ編みにしてて、学校では珍しかったかな。あんまり人と話す方じゃなかったみたいだから、なんか、それじゃ寂しいじゃない? だから私、結構、あの子に話しかけてたの」
「長谷部さんは、わた……じゃなくて、叔母さんの事、どう思っていたんですか」
「どうって……まあ、普通に話していたと思うけど。でもあの子、もしかしたら私には結構、気を許していたかもしれないわ。私とは、会話が多かった方だと思うし」
「きっと、そうですよ。ええと、叔母さんもそんな事言っていたような気がします」
「ふふ、そうなの? それなら嬉しいけど」
 彼女がコーヒーに口をつけた。しかし、途端に表情に影が落ちた。手に持つカップをゆっくりとソーサーに置いた。カチャン、という、カップとソーサーの当たる音が、やけに目立って聞こえた。
「でも、私はあの子に悪い事をしたわ」
 急な発言に、私は戸惑った。
「どういう事ですか」
 私が尋ねても、彼女は目の前のコーヒーカップを見つめたまま、黙っていた。少しして、彼女はようやく口を開いた。
「雪菜はね……付き合っていた人がいたの」
 突然、先輩の事が彼女の口から出てきて、私は反応した。
「私たちの一つ上の先輩でね。共通する話題でもあったみたいで、ちょくちょく、話しているのを見かけたわ。それで、今日から十年前のクリスマスイブに、雪菜とその先輩はデートする事になっていたみたいなの」
 そうだ。あの日、十年前の今日、私と先輩は会う約束をしていた。駅で落ち合う事になっていた。でも……。
「それなのに、そんな日に限って、図書室担当の先生が、新着本の整理をするように言ってね。イブの日だっていうのに、冗談じゃないわよね、本当……。その日は、図書委員が私と雪菜の二人だけで。それで、私は雪菜に、自分がやっておくから先輩に会いに行きな、って言ったの。でも、あの子は首を横に振って。私ひとりに任せられないから、ってね」
 私たちは急いで本の整理をした。その間に、図書室の窓から、外に雪が降り始めてきたのが見えた。綿のような、雪だった。東京でホワイトクリスマスなんて、滅多にない機会に、私たちは図書室の中で騒いだっけ。
「雪が降ってきて、そんな日にクリスマスデートなんて、雪菜が少し羨ましいなって、思ったわ。でも、本を片付けていたら約束の時間に間に合わないし、雪菜だって、なるべく先輩とふたりで雪の降る光景を見たいじゃない。だから、急いだんだけど、結局、終わったのが、急いで駅まで歩いても約束まで間に合わない時間だったの」
 そうしたら、長谷部さんは、こう言ってくれたっけ。
「バスに乗っていけばギリギリで間に合うよ、って、私が言ったの。それで、雪菜は学校前のバスに乗って行って、私は一人で帰ったの。そうしたら――」
 長谷部さんが、顔を上げて、窓の外を見た。私もつられて外を見る。人々が楽しそうに行き交っている光景が見える。
「あの日も、今日みたいに休みだったら、よかったのに……ね」
 窓の外の、上を見上げると、灰色の雲が空を覆っていた。あの日も、今日みたいに灰色の空だった。そして、その空から雪が降っていた。
 私はバスに乗って、先輩の待つ駅まで向かった。学校は駅から歩いても行ける距離なので、大抵の生徒は徒歩で通学していたが、到着にかかる時間はバスの方が早かった。あの日、私たちが学校を出た時、ちょうどバスが校門前のバス停に到着する時間だった。だから私はバスに乗って駅まで向かった。全ての偶然が一致してしまったのだ。
 ――駅までの途中の交差点で、私の乗ったバスは、信号無視の大型トラックに横から激突され、ちょうどトラックが衝突した席に、私は座っていた。
 何が起こったのかも分からず、激しい痛みが全身を苛《さいな》んでいるのに、私の体は動かなかった。大勢の人の慌てるような声が聞こえていた気がする。体がだんだんと冷たくなっていくのを感じ、寒くて、それでも体は動かず、バスには他に乗客もおらず、一人きりで私は急に寂しくなった。目から涙がこぼれたのが、分かった。
 先輩、保科先輩、心の中でそう叫んでいた。渡したい物があった。一生懸命、ずっとアルバイトして、ようやく買えたプレゼント。クリスマスプレゼント。先輩に渡さなきゃ、と、意識がなくなるまで、ずっと考えていた。
 空から、雪が落ちているのが、窓を挟んで見えた。
「あ、雪……」
 長谷部さんの声に、私は今見た雪が、十年前のバスから見えたものではなく、実際に降っている雪である事に気づいた。
 あの時と同じく、灰色の空から、雪が降っている。綿のような、軽くて溶けてしまいそうな雪が、ゆっくりと空から落ちてきている。先輩はあの日、私の来ない駅でずっと待っていたのだろうか。空から降る雪を見て、先輩は何を思っていたのだろう。
 先輩。保科先輩。私は、会いたかった。ずっと、あなたに会いたかった。今でも、変わらず、ずっと……。ずっと、会いたいと思っていた。
 会いたい。先輩に、会いたい。
「ヒカリちゃん、どうしたの、大丈夫?」
 長谷部さんが声をかけてきた。彼女が身を乗り出して、私の肩に手を置いた時に、私は体が震えていたのだと初めて気づいた。
「長谷部さん、お願い……。先輩の、保科純也さんの、今の行方を教えて」
 私の言葉に、彼女は驚いたようだった。手を離し、俯《うつむ》く私をじっと見ていた。

  *11

 空も暗くなって、雪が降り出して、おじいちゃんは帰ることにした。わたしに、「気をつけるんだよ」って言って、おじいちゃんは帰っていった。
 わたしはベンチで足をぱたぱたさせながら、汽車のオモチャを両手で持って眺めてた。黒い色がマユキちゃんのバイクみたいでカッコイイ。
 じっと眺めてると、ケータイに電話がかかってきた音が鳴ったから、わたしは汽車を箱に戻した。目の前の何もないところで、指で丸を描いて、ケータイを呼び出して、ボタンを押した。電話はマユキちゃんからだった。
『今、そっちに行くわ。マシロ、お前、公園から動いてないだろうな』
「うん、ちゃんと待ってたよ。噴水の前のベンチで、ずっと待ってた」
『よし、偉い偉い。五分でそっち行くからな』
 しばらくして、マユキちゃんが疲れた顔で戻ってきた。
「はあ……。もう、ホント勘弁だよ。あたしには向いてないな、ああいうのは」
「マユキちゃん、お金もらってきたの?」
「まあ……一応は、な。でも、接客は駄目だって思って、偽サンタの一人に小銭で五百円貰ってきたよ。何も聞かずにくれて、助かった」
 そう言いながら、マユキちゃんがケータイを呼び出した。
「ヒカリの奴はまだみたいだな。一応、電話してみるか」
 と、言ったところでマユキちゃんのケータイに電話がかかってきた。
「あ、ちょうど、ヒカリからだ」
「ヒカリちゃん、終わったのかな?」
 マユキちゃんがケータイのボタンを押す。
『マユキさん、今、どこですか?』
「今、もうマシロと公園にいるよ。お前はまだやってるのか」
『マユキさん、先輩の今の行方、分かりました! 亜瀬田大学を卒業してから、その後、ドットネットワークスっていう会社に就職したらしいんです!』
 ヒカリちゃんのその言葉に、マユキちゃんがすっごく驚いた顔をした。その顔がちょっと面白かった。
「なんで分かったんだ、そんな事」
『ちょっと、人に亜瀬田に電話して訊いてもらって……。でも、それ以上突き止められなくって。今度は、その会社に電話して、先輩がいるかどうかを確認しないと……。できれば、呼び出す事ができればいいんですけど』
「無理に決まってるだろ。お前はバイトのサンタのふりをするんだから、偶然、通りかかったところにいたように見せないと駄目なんだからな」
『……ですよね』
「それと、安心するのはまだ早いぞ。今でもその会社にいるかどうかは、分からないだろ。もしかしたら転職しているかもしれないし、していなくても今日は休日だからな。会社に来てないかもしれない。とりあえず、あたしが電話してやるから。お前はいつ、合流できそうなんだ?」
『ええと、そうですね……。大丈夫です、すぐに行けます。今すぐ戻りますから』
「わかった、早く来いよ? 公園入り口の電話ボックスにいるから」
 マユキちゃんが電話を切って、見えない箱に戻した。
「行くぞ、マシロ」

 マユキちゃんは電話帳をしばらく眺めてから、受話器を取った。電話ボックスの電話にお金を入れて、ボタンを押して、受話器を耳に当てた。わたしは電話ボックスのガラスに両手をついて、空の方を見る。すると、キレイな雪が空からふってた。それを見て、わたしの心もウキウキする。みんなも、笑顔で楽しそう。
「あ、恐れ入ります。私、レッド・ユニフォームの鈴木マユキと申しますが、保科純也様はいらっしゃいますでしょうか。……ええ、申し訳ありません、部署が不明なものでして。……はい、すみません、お手数をおかけします」
 電話でしゃべっているマユキちゃんは、なんだか別人みたいだった。普段と全然、しゃべり方が違うなあ。なんか、変なの。
「ねえ、マユキちゃん。れっどゆにふぉーむ、って何?」
 マユキちゃんの方を見て、きいてみたら、マユキちゃんが人差し指を口に当てた。
 シー?
「あ、はい。…………そうですか。何時頃お帰りになったかは分かりますか。……あ、はい、そうですか。ありがとうございます。……いえ、結構です。どうも、申し訳ありませんでした。それでは、失礼します」
 マユキちゃんが電話を切った。こっちを見て、慌てたような顔をした。
「まずいぞ、もう会社を出てる!」
「え? センパイ、いないの?」
「ヒカリの奴は!?」
 マユキちゃんが飛び出るように電話ボックスを出た。そしたら、ちょうどヒカリちゃんが電話ボックスのところまでやって来たのが見えて、わたしも外に出た。
「すいません、車が混んでて、なかなか道路を渡れなくて……」
「それよりも、先輩の奴、あの会社にいたぞ。けど、今日はもう帰ったらしいんだ」
 ヒカリちゃんが、えっ、と声をあげて、悲しそうな顔をした。
「でも、帰ったのが、ついさっきなんだ。まだ諦めるには早いぞ。会社はここからそんなに遠くない場所だし、急いで会社の周りを探せば……」
 と、そこまで言ったところで、マユキちゃんが自分の額を手で叩いた。冬なのに、蚊でもいたのかな?
「くっそう、しまった! あたしらは、その先輩の顔が分からないんじゃん!」
 マユキちゃんが悔しそうな顔をした。ヒカリちゃんも泣きそうな顔をしてる。わたしは、ヒカリちゃんの手を取った。
「ヒカリちゃん、大丈夫? 元気出して」
 私は声をかけてあげたけど、ヒカリちゃんはうつむいたままで返事しなかった。
「ねえ、ヒカリちゃん。わたしとマユキちゃんでも分かるように、センパイの顔を教えて」
「え?」
「そうだ、ヒカリ。特徴。特徴を教えるんだ。それをもとに、あたしらも探す。こうなったらもう、最後まで、あがくしかないだろ」
 マユキちゃんが上を見上げた。空はもう、すっかり暗くなって、真っ黒になってた。あちこちの建物の光が輝いて見えた。
「もう、時間もない。あたしらも、『上』へ戻る時間がある。急ごう。ヒカリ、何か、その先輩の特徴はないのか!?」
「ええと、そういえば……首の右側に、ほくろが二つありました」
「首か……。冬服だと、首は隠れているかもしれないけど。でも、もう賭けるしかないな。戻る時間を考えると、タイムアップはだいたい、七時半ってところか。時間ギリギリまで、手分けして探すぞ。見つけたら、とりあえず、あたしに連絡する事。あたしはバイクで動くから、すぐにヒカリを拾っていけるからな。よし、とりあえず、会社まで移動だ。行くぞ!」

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