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クリスマス小説「十年越しのプレゼント」(前編)

大昔に描いた、小さな女の子サンタの漫画(ネーム)のシリーズ「小さな配達人」(別投稿)の番外編となる小説です。
本編の主人公マシロと、小説の主人公である17歳のヒカリの、二人の視点を交互に描写して展開される切ない&ホッコリなクリスマス小説です。
本編とは違う、やや大人びた空気感も特徴の一つとなっています。



  *Prologue

 キリストの生誕日を祝う祝日・クリスマスは十二月二十五日であるが、どこから湧いてくるのか分らない得体の知れない妙な高揚感は、クリスマス当日より一月近くも早く人々の世界を覆い、そしてそれがピークに達するのは往々にして何故か、クリスマス前日の十二月二十四日――クリスマスイブであったりする。
 街には早くも色鮮やかな光の装飾が明滅するようになり、クリスマスツリーを模した木が見られるようになった。弾むような明るいメロディのBGMが様々な店でかかるようになり、クリスマス用品が店頭に並べられる。当然、クリスマスケーキも予約販売が開始される。
 この時期になってくると、店の立ち並ぶ路上や、大型のショッピングモールなど、人の多く行き交う場所にはサンタクロースの姿がちらほら見えるようになる。商品販促の為のアルバイトである。今は昔とは違ってサンタのイメージも多種多様になり、年齢どころか男女の壁すらなくなった。温かそうな赤い服を纏った若い女性のサンタクロースが、販促や店の宣伝などに努めている光景も珍しくはない。
 店前の路上を通りがかる人たちに、販促用のおまけプレゼントなどを渡している女の子のアルバイトサンタ達がいるのを、ヒカリは五年前に目にした。その時に、「これだ!」と、ヒカリの頭の中に素晴らしいアイディアが、電球をぴかりと照らすように輝いたのだった。
 それから五年の歳月が過ぎ、二〇〇七年のクリスマスイブが訪れる――。

  *1

 わたしはサンタの事務所に向かう。毎年、この時期はウキウキして、楽しいんだ。わたしはまだ七歳だから、本当はクリスマスにはプレゼントをもらう方なんだけど、でも、クリスマスのこの幸せそうな雰囲気が、ずっとずーっと前から大好きなんだ。
 まだ自分がプレゼントを普通にもらっていた頃から、ホントに楽しくって仕方ない。みんな笑顔でいて、それを見ているだけで胸の中がぽかぽかしてくるのは、初めての時も、今も一緒なんだよね。きっと誰でも、プレゼントをもらうと嬉しいと思うんだ。そして、もらった人が笑顔になると、心があったかくなるんだ。だからサンタのお仕事だって、わたしはすっごく楽しい。
 それに、サンタ達が一気に集まるこの日は、ちょっとしたドーソーカイみたいで好き。ドーソーカイってやってみた事ないけど、きっと、こういうものなんじゃないかなーって思う。お祭りみたいだよね。
 煙突から輪っかの煙が出てる「ろっじ」みたいな事務所に行くと、中では事務のサンタ達が忙しそうに何だか動いてる。事務サンタのお仕事は、わたしたち配達サンタの為の地図を作ったり、プレゼントを詰めた袋を準備したり、そのプレゼントを今日までに用意したり。だいたい、忙しいのはクリスマスイブよりも前の方なんだけど。今日になってまだこんなに忙しそうにしてるって、何かあったのかな。
「マシロちゃあん……」
 事務所に入ったわたしの姿に気づいて、事務サンタのキヨミちゃんがふらふら近づいてきた。十九歳だから、わたしよりずっと上なんだけど、ちょっぴり泣き虫屋さんでかわいいんだ。私のお友達サンタの一人で、お仕事をシッパイする事が多くて、事務長さんによく怒られるから、いつもわたしが慰めてあげてるんだよね。
 わたしのところに来たキヨミちゃんはしゃがみ込んだ。いつもかけてる眼鏡の奥が、涙目になってる。
「キヨミちゃん、まだやってるの? 私、遊びに来たんだ」
「うう……それどころじゃないよ……。また、やっちゃったよ……」
 キヨミちゃんが、しくしく泣き始めちゃった。しょうがないから、わたしはいつもみたいにキヨミちゃんの頭をサンタ帽の上から「よしよし」と言って撫でてあげる。
 キヨミちゃんはひっくひっく言いながら、何があったのか話してくれた。
「私が整理していたプレゼントが一つ行方不明になっちゃってて、今、探しているんだけど見つからなくて……。どうしよう、夜までに見つからなかったら。希少品らしくて、今から新しい物を手配しても配達の時間までに間に合わないんだ」
「じゃあ今、なくなったそのプレゼントを探してるの?」
 キヨミちゃんがうなずく。
「じゃあね、あのね、わたしも手伝うよ。一緒に探してあげる」
「ホント?」
 キヨミちゃんの目がうるうるしてる。かわいい。だからキヨミちゃんって、ほっとけないんだ。
「ダメだよ、ダメ!」
 事務所の奥から急に声が飛んできた。見たら、事務長さんが奥の部屋から顔を出してた。眉の間にシワを寄せて、眼鏡がキラーンってしてる。
「声が聞こえたと思ったら……。マシロちゃん、キミは余計な事はしなくていいんだよ。キミが一緒になって探すと、もっと酷い事態になりかねないんだから」
 えー、どういう意味だろう。ジタイって何かな……? 何かのオモチャかなあ。
「キミは配達だけしていればいいんだから、ほら、時間まで出てなさい。キヨミくん、キミもサボってないで、キミが蒔いた種なんだからキミも探しなさい、早く」
 事務長さんがわたしに向かって手を上げ下げして見せた。こっちに来なさいって事かな、と思って一歩足を踏み出したら、今度はイライラした顔で、わたしと出入り口を交代で指差した。あ、外に出なさいって事だったんだ。
「じゃあ、わたし行くね、キヨミちゃん。がんばってね!」
「うう、ありがとね、マシロちゃん……」
 キヨミちゃんは立ち上がって、みんなが忙しそうにプレゼントを探している方に、とぼとぼ歩いていった。キヨミちゃん、大丈夫かなあ。配達が終わったら、ココア持ってってあげよ。
 ……それにしても事務長さん、なんで怒ってたのかな?

  *2

 私は歩いていた。視界一面、真っ白なこの白銀の世界にも雪は降り積もり、柔かな新雪が私たちの存在するこの世界の大地となっている根雪の表面を覆っている。後ろを何気なく振り返ると、そこには私の歩いてきた足跡だけが点々と軌跡を描いていた。
 ふと、上を見上げる。この世界には雲がないのに雪が降るなんて、おかしなものだな、と私は思った。
 東京では、ホワイトクリスマスなんて、ほぼ滅多に訪れない。それでも私たちはこの雪に特別な感慨を持つ事はなくなってしまった。一年中、外に出れば視界に白い大地が目に映るからだ。だから、クリスマスに雪という組み合わせは、私たちには、そもそも組み合わせという感覚ですらないのだ。
 そう。クリスマスという日が、特別なイベントではなくなった。クリスマスは私たちの存在意義ともいえる。でも、それは私たちが自分たちの仕事をする日だからだ。そこに特別な感情なんて、あるのだろうかと私はよく考える。
 自分の中の気持ちの決着すらついていない私には、仕事に対して割り切った感情だって持てない。私が十七という未熟な年齢のせいかもしれない事は、私自身でも分かっていた。
 だから。
 だから、私は五年前のあの日から、この計画の事だけを考えていた。自分の中で置き去りにされたまま引っかかっている気持ちの決着をつけねば、きっと私は前に進めないのだ。
 再び、後ろを振り返った。視界には真っ白な景色以外に人影は見えない。もっとも、このあたりは空気が白くけぶっていて、遠くの景色ははっきりとよく見えない。緊張感による不安は常に重く、自分にのしかかる。誰にも、今の私の姿を見られてはいけないのだ。私が、配達の時間よりも前にここにいる事を、誰にも知られてはいけない。
 そんな事を考えて前に向き直り、足を一歩踏み出した時だった。今までのしんとした静寂の中で、微かに、何かの音が耳に聞こえた。はっとして、周囲を振り返る。
 何か聞こえる。何かが、ずっと音を出し続けている。それは、徐々に、徐々に、大きくなっていく。いや、違う。これは……!
 こちらに近づいている!?
 音量の上がる速度も比例して速くなってゆく。このスピード、そしてこの音……。これは何かの乗り物の音だ。まずい、誰かに見つかってしまう!
 私は慌てて駆けた。隠れるところも何もないこの場所では、迫る乗り物より早く出口を抜けるほかにない。ざくざくという雪の音を連続させ、私は息を切らして、ひたすら前に走った。本当に、なぜこの世界には雪が降るのだろう。これが固い地面ならば、もっと容易に走る事ができるのに。
 そう考えた矢先に私は雪に足をとられ、前のめりに倒れた。冷たい雪の感触が顔に激突する。慌てて雪から顔を上げ、左右に首をぶんぶん振って顔の雪を落とした。
 背後から、機械音が迫っている。音の大きさから察するに、距離的にはもう自分の姿はきっと相手に見つかっている。だが、まだだ。なんとか振り切りさえすれば、私の素性までは相手には分からない。望みを捨てずに、私は立ち上がろうとした。
 だが……。
 そのスピードは私の予想以上だった。私の横を黒い塊が一瞬で追い越してゆき、そしてそれは方向回転すると同時に、雪を激しく巻き上げながら私の前をスライドするように滑ってゆき、そして停止した。
 私を追いかけていたのは、黒いボディのハイエアバイクだった。地上、雪上など、走る環境に左右されないのが特徴のバイクだ。動きが止まり、そのハイエアバイクに跨っていた、私と同じ赤い服の女性の長い黒髪が、鮮やかに宙に浮き、そして彼女の背に落ちた。バイクを運転していた女性は数秒、こちらを見ていた。やがて、エンジンを切ってバイクを降り、スタンドでその場にバイクを立て、私の方へ近づいてきた。
 私は思わず、その場にへたり込んでいた。もう、全てが終わった、と思った。長い年月をかけた私の計画も、この一瞬に呆気なく崩れ去ったのだ。そこにはもう、希望の欠片も見当たらない。今の私にあるのは、ただ、希望が散った後の虚無感だけだった。

  *3

 わたしは配達の時間が来るまで、気ままにその辺をお散歩した。まだ昼前だから、他のサンタ達もまだこの時間には滅多に来ないんだ。配達の時間は、イブの夜に始まるから。
 キヨミちゃんも忙しくて遊べないから、わたしは向かう場所も決めずに、歌を歌いながら、てくてく雪の上を歩く。これがなんとなく楽しいんだ。
 雪って、わたし好きだな。白くてキレイだもん。触ると冷んやりしてるのも好き。あと、空をゆっくり落ちてくるのとか、すっごく好き。ふわふわしてて、まるで羽根みたいだよね。何度見ても雪って飽きない。わたしがサンタになってよかったなーって思うことの一つ。
 両手を前と後ろに振って、足も弾んで、わたしは『ジングルベル』を歌いながら、雪景色の中をお散歩する。『ジングルベル』も大好き。だって、明るいもん。歌ってるだけで楽しい。
 足の向くままに歩いてると、周りはいつのまにか雪ばっかりの景色になって、建物が何も見えなくなってた。でも、このあたりは覚えのある場所だ。事務所の近くで、こんな風に雪しかないような場所っていえば、配達に向かう時に外に出る為に通る、あの道しかないや。
 そういえば、ここはお仕事で通るだけだったから、ゆっくりしていった事なかったなあ。こんなに遊び放題なのに。
 そう思って、わたしはしゃがんで足元の雪を手袋で掴み上げて、両手で丸めていった。ボールみたいになった雪玉をそばに置いて、そしてまた雪を掴んで、もう一つ雪玉を作る。
最初に作った雪玉を雪の上に置いて、その雪玉の上に、ちょっと小さく作った二つ目の雪玉を乗せる。
 そしたら、ほら、小さいゆきだるま!
 かわいい。
「手と目もつけたいなあ」
 そう言って、周りに何かないか見回してみた。細くて短い木の枝が落ちてるのを一本見つけて、雪だるまの体に刺してみる。
 そしたら、その姿が別の何かにそっくりだってことに気づいた。
「あ、凄い! 雪見まんじゅう、そっくり!」
 お店のアイスコーナーに置いてある、白いおまんじゅうが二つ繋がっているみたいなアイスで、おまんじゅうの皮の下にバニラアイスが入ってて、おいしいんだよね! 刺さってる木の枝も、雪見まんじゅうを食べる時のつまようじみたいに見えてきた。
 なんだか、おいしそう……。
 わたしは雪だるまの頭を掴み上げて、ぱっくり食べてみた。口の中が冷たくて気持ちいい。でも、ざりざりするだけで味がないや。甘くもない。雪っておいしくないんだなあ。でも、なんだかんだで、二つとも食べちゃった。そしたら、ちょっとだけ雪見まんじゅうを食べた気になって、味はなかったけど幸せな気分になった。そして、今いるこの場所は、雪見まんじゅうだらけ……みたいなもんなんだなあー、とか思ったりした。
 立ち上がって、膝とかサンタ服とかに付いた雪を払って、また歩き出そうとした時に、何かの音が聞こえてきた。音のする方を見たら、遠くで黒いバイクが走ってるのが見える。
 あれ? あのバイクは、もしかして。
 バイクは凄いスピードであっという間に霧みたいな白い景色に消えていっちゃった。
 わたしも歩いて、バイクの消えた方へ向かってみる。少し歩いて、ずっと遠くにさっきの黒いバイクが止まってるのが見えてきた。近くに、二人の赤い服を着た人がいる。一人は立っていて、もう一人は雪の上に座り込んでた。二人とも、わたしと同じサンタなんだ。さらに近づいてくと、二人のうち、立ってる方がわたしのよく知るサンタだってことに気づいた。
「マユキちゃーん!」
 わたしは二人のほうに向かって、手を振りながら大きな声で叫んでみた。立っている方の、長い髪のサンタがわたしに気づいて、こっちを見る。二人の方へ走っていくと、わたしが名前を呼んだサンタは、ちょっと驚いたような顔をしてた。
 長い髪のサンタは、マユキちゃん。マユキちゃんはわたしの友達サンタの一人で、サンタになって一番最初に声をかけてくれた友達なんだ。男の子っぽい喋り方の二十一歳の女の子なんだけど、そこがカッコイイんだよね。マユキちゃんのバイクもカッコイイ! よく乗せてもらうんだけど、すっごい速いんだ。いいなあ。
「マシロ? お前まで、こんな所で何してるんだよ」
「あのね、キヨミちゃんが忙しくて遊べないから、お散歩してたんだ。マユキちゃんもお散歩?」
「散歩というか……似たようなもんだけど。バイクでドライブしてたら、こんな所に別のサンタがいるのに気づいてさ」
 マユキちゃんが座ってるサンタを見ながら言った。だから、わたしもそばの座ってるサンタの方を見てみた。
 サンタ帽とサンタ服の隙間から、三つ編みの髪が背中に伸びてて、頭にはサンタ帽の上からピンクのヘッドホンをしてる。耳のところが白い「ふわふわ」になってて、かわいいなあ。あ、サンタ服がわたしと同じワンピースだ。マユキちゃんは女の子なのにズボンをはいたりしてるけど、ワンピースってやっぱり、かわいいよね。顔もキヨミちゃんみたいに大きな目をしてて、かわいい。でも、なんでショボンとしてるんだろう。
 あれ?
 この顔、見たことある……?
「もしかして、ヒカリちゃん?」

  *4

 私は不意に名前を呼ばれて、どきりとした。横を見ると、いつの間にか小さい女の子が立っていた。いや、その表現は正確ではない。正しくは、「小さい女の子サンタ」だ。ここにはサンタしかいないのだから。
 後頭部からは左右にそれぞれ束ねた髪のテールが帽子の隙間から覗いていて、正面はというと、左右の耳の辺りから伸びたそれぞれのニ本の髪束を顎の下でリボンを絡めて結んでいる、風変わりな格好をしている。
 私はこの子を知っている。サンタ達の中では、あまりに有名だからだ。日本支部のみならず、他の国も含めて世界中のサンタの間で有名な存在だ。
 史上最年少サンタ。
 かつて私がそう呼ばれていた存在だったのが、今ではこの子に、その呼び名は移っている。サンタである事に意義を感じていない自分にとって、特に愛着もない呼び名であったし、どこか煩わしい感もあったから、それが他人に移ったところで何も感じる事はなかった。むしろ、こんな小さな子がサンタの仕事をする事になるなんて可哀相に、との憐憫《れんびん》の感情を抱いたくらいだ。
「知ってるのか、マシロ」
 マユキと呼ばれる正面の長い髪のサンタが私の横に立つ女の子に言った。そうだ、確かマシロという名前の女の子だった。年齢はわずか七歳だったか。
 マシロという子はマユキというサンタの問いに答える。
「うん、ヒカリちゃんっていうんだ。わたしに一番、歳が近いサンタなんだよね」
「マシロに一番、歳が近い……。ああ、思い出した。最年少サンタが誕生って、ずいぶん前にサンタたちの間で騒がれたんだよな。十年くらい前だったっけ。七歳のマシロが三年前にサンタになって、思いきり霞んじゃったんだけどな」
 その言葉に、私は無意識に、力のない自嘲めいた笑みをこぼした。
「十七で最年少だ、なんて騒がれていたのに、その次は七歳ですもんね。それじゃ、霞みますよ」
 私の言葉に、二人が私の方に注目したのが分かった。
 本来、サンタになる素質は大人に備わるのが基本であり、二十歳《はたち》未満の者にサンタの素質が備わる事は稀でしかない。私がサンタになるまでは十八歳が最も年少の年齢で、十八のサンタも数えるほどしかいなかったらしい。だから、サンタの低年齢化もとうとう十七までになった、と、十年前当時は協会関係者の間でサンタ達が騒然としていたそうだ。
 しかし、それから七年経って、遂にその年少記録を打ち破った者が現れた。その年齢にはさすがに世界中のサンタたちの間に衝撃が走ったものだ。十七で騒がれていたのが、今度はそれより十も下回る、たった七歳の女の子だったというのだから。
 何年か前に、さすがに興味を覚えて、少しだけこの子と話をしてみた事があったが、彼女は自分がサンタになった事をむしろ面白がっているように見えた。私には不可解だった。子供なら、もっと遊んでいたい年頃の筈。それなのに、よりによってクリスマスの日に他人の為に仕事をしなければならないという状況を、私よりも遥かに年下の子供が、なぜ楽しそうに受け入れられるのだろう。
 私にとって、クリスマスは特別な日だ。だから、十年経った今でも、何もかも前に進める事ができていない……。
「ねえ、ヒカリちゃんのヘッドホン、かわいいね。ほら、ふわふわ」
 マシロちゃんが声をかけてきた。ヘッドホン? イヤーマフラーの事を言っているのだろうか。
「ヒカリちゃん、何聴いてるの? わたしね、ジングルベル好きなんだ」
「何も聴いていないよ」
 私はそう言って、立ち上がった。足に付いた雪を払う。
 本当に、この子はクリスマスが楽しそうだ。少しだけ、小憎らしくも感じる。十年間、ひたすら耐えてきた私にとって、クリスマスは面白くない日だったのだ。サンタの仕事をする事に対して、どうして十七の私がこんな感情を覚えて、七歳のこの子が全く嫌気を感じていないのだろう。この差は、どこで生まれたのだろう。
「マユキさん、でしたっけ。私がここにいた事、誰かに話しますか」
 私は正面で立ったまま見ている、長い髪の彼女に尋ねた。彼女は少しだけ無言で私を見ていたが、やがて口を開いた。
「話さない、って言ったら、どうするんだ」
「それは言えません」
「ここは、配達で『下』へ下りる為に通る道だ。まだ昼前のこの時間にここを歩いているって事は、もしかして、『下』へ下りるつもりだったんじゃないだろうな」
 その問いには、私は何も答えられなかった。
「分かってるのか? 必要時――つまり、配達の時以外に『下』へ下りるのはサンタ条例の重大違反だぞ」
「分かってますよ、それくらい!」
 思わず、言葉が爆発した。既に、とうの昔に理解している事を突かれて、つい、私の中の漠然とした、鬱屈した感情が心の抑圧を破ってしまったのだ。そうなると、自分でも止められなかった。
「私だって分かってますよ、それくらい! 五年前だって下りた事あるんですから!」
「なに!?」
 迂闊な言葉に気づいて私は慌てて両手で口を塞いだが、後の祭りだった。
「お前、五年前も外に出た事あるのか!? 前科持ちか!」
「前科持ちじゃないですよ! こっそり下りて、こっそり帰ってきたから、バレてはいないんです。『下』に下りても何もしてないです。ちょっと、人を探していただけで」
 急いでまくしたてたが、彼女の勢いは止まらなかった。
「そんな問題じゃないだろ! あたし達はサンタだぞ! サンタは人に見つかってはいけないっていう条例があるのを忘れたのか!? お前、サンタの自覚があるのか!?」
「自覚は……よく分かりません」
「それはないって事だろ!」
 彼女が私に詰め寄ろうとしたので、私は思わず後ろに後ずさった。だが、すぐにマシロちゃんが前に割り込んできて、彼女を止めた。
「ダメだよ、マユキちゃん、怒っちゃ。ヒカリちゃん、怖がってるよ」
「いや、怒ってる訳じゃないんだけどな……」
 マシロちゃんの言葉にそう言って、彼女は詰め寄る姿勢をやめた。毒気が抜かれたかのように、表情が急激に落ち着きを見せた。奇妙な光景だ。二十歳を超えた女性が七歳の子に咎められて、おとなしくなったのだ。
 マシロちゃんは私の方を振り返った。
「ヒカリちゃん、もしかして『下』に行こうとしてたの?」
 綺麗に澄んだ眼差しを私の方へ向ける。そこには、先程のような楽天的な表情は見られなかった。一方的な感情や笑顔を向けるでもなく、私の心を知ろうと、私に耳を傾けていた。
「そうでしょ?」
 彼女のその目を見ていると、だんだんと、この五年の間に誰にも言えずに、ずっと自分の中に溜め込んできた気持ちについて声をかけてくれた事で、私は今まで我慢し続けてきた心の奥の気持ちが表面に溢れてくるのが分かった。必死に耐えようとしてもそれは止めどなく、私の内から外へと流れ出して行く。立っている事ができなくなって、私はとうとう、雪の上でしゃがみ込んだ。
 この子に対して嘘をつく事はできない。思わず、私は頷いて言葉を漏らした。声が震えていた。
「うん……行きたい。私、どうしても、行きたい……」
 私の目から流れ落ちた雫が、足元の雪を溶かしていた。と、私の頭に、帽子越しに誰かに触られた感触を感じた。顔を上げると、マシロちゃんが私の頭を撫でていた。
「泣かないで、ヒカリちゃん」
 マシロちゃんが私の頭から手を下ろして言った。
「行こう、『下』へ」

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