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愛嬌は誰のためのもの?

これを読んでくれた皆さん。
皆さんは、愛嬌は誰のために何のためにあるものだと思いますか?🤔

これって意外と人それぞれの答えが返ってくるものだと思うんです。

それが良い・悪いと言うことではなくて、人それぞれ育ってきた環境、そして経験で定義づけられるものなのかも。

ふとこう感じたので、
今日は私の考える愛嬌の存在意義について書いてみようと思います。

私の考えを先に申し上げると、
「愛嬌は笑顔で振る舞う相手への礼儀である」
と思っています。

なぜこう考えるようになったのか、そのエピソードを書いてみようと思います。

母からの教え

小さな頃から母にこう言われて育ちました。
「いい?女は愛嬌よ!大切なのは笑顔よ、笑顔!相手に恥をかかせないこと!」

母の言う愛嬌は相手に言いなりになるような媚びではなく、相手に恥をかかせるな、つまり愛嬌は相手のためにあるものという意味でした。

多様性の時代にこんなこと…と思われる方もいるかもしれませんが、私はこの教えにとても感謝しています。

この考えが根底にあるおかげで、年上の方に受け入れて頂ける機会が多かったように思います。
「笑顔が素敵ね〜!」
「とてもしっかりしたお嬢さんね」
と言って頂ける。

仕事をする時も、
自分の感情はまず置いておいて、態度で相手に嫌な思いはさせないという意識がありますが、これは母の教えが軸になっています。

このように、
私の中で相手に愛嬌を伝えるのは当たり前のことでした。

ですが、ある事件が起きます…😓


愛嬌は当たり前のものじゃなかった


事件…それは結婚式代わりの家族フォトウェディングの時に起きました。

旦那の家族側の1人(どの続柄なのかは伏せます)が、おめでたい行事だと言うのに、
ずーーーーーっとブスッとしていた🫣
笑顔なんて一切なし🫠

ひ、ひ、ひぇええええええええっっ😭

それを見た私は、
「今楽しくないと感じていても、おめでたい場であるこの場所でその顔は何?思っていなくたって、一旦笑顔で振る舞うのが礼儀ってもんじゃないの?
と思ってしまいました。

ですが、きっとこちらに嫌な思いをさせようと言う気はなく、ただ本当に、
“その場のために相手のために笑顔でいよう気遣おうと言う気が皆無なだけ”
と言うこともわかっていました。

ですが!
モヤモヤは消えない。モヤモヤぐるぐる止まらない。嬉しい気持ちを踏まれたような、何とも言えない怒りが湧いてしまう。

この時、母の言葉を思い出しました。
「相手に恥をかかせるな」

あぁ、私は恥をかかされたと感じてしまったんだ。
こういう思いを人様にさせないために、
愛嬌を使え!笑顔でいろ!と言っていたんだなぁとしみじみ納得していまいました。

そして「愛嬌は相手への礼儀である」という考えはあくまでも私の考えであって、他の人に当たり前に通用するものでもないと気がつかされました。

どちらの価値観が正しいということではなく、
ただ考えが違う。

相手を不要に責めないために、
そういうこともあると知っていることが大切だと思いました。


…と、こんな過程があり、
せっかくより深く自分の価値観を知れたエピソードを残しておこうと思った次第であります。
皆さまが考える愛嬌の存在意義は何ですか?😌

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