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相性

文章や会話って相性があるなと度々思う。

学生の頃「テキストは一冊をボロボロになるまでやり倒せ!」と先生から言われた。
私はそれができず、度々言われていた。
学校で配られたものは全く理解ができなかったし、レビューで評判が良いものを買っても全然理解できないものもあった。正直すごく頭が悪かったわけでもなかったので、ああ、相性ってあるんだなとこの頃から薄々気づいていた。

読んでて苦痛になるテキストを読み続けるのは本当にストレスが溜まる。なので私はテキストを買い漁り、合うものをひたすら探した。気に入ったものを見つけてやっていると、驚くほどスルスル入っていった。

ただ大学受験の赤本だけは代替えが利かなかったので、もう出題者と対話するような気持ちで分かろうと努力した。拒絶反応が出るほど嫌な問題もあって解くのが億劫だった。しかし、この大学を結婚相手にするんだ!わかり合いたい!ぐらいの熱量で解き尽くしておおよそ、この年とこの年の出題者は一緒かもしれないな?ぐらいの憶測もできるようになった。意思疎通に悪戦苦闘しながらもその大学とご成婚した。

気に入るものが見つかるまでひたすら出会いまくり、致し方ない時でも意思疎通を図れるようアプローチしていく、仕事もプライベートもそういうものだと今でも思ってる。

身近な先輩には「文章力ないよね」とか「話が分かりにくい」とか「頭悪いよね」と度々言われる。
他人の指摘で反省はかなりするし直そうとは思うけど落ち込んだりはしないからそこは自分の良いところだと思ってる(ゆとり世代)
まあでも先輩の説明もかなり分かりにくいところがある。そして向こうも理解してくれないし、私も理解しなくていいや!とも思ってしまっている。

しかし何故か上司には「分かりやすい文章だね」とか「人に説明するのが上手だね」とか、何かと新人教育や会議の司会進行を任されることがある。

正直、上の人にウケさえすれば円満だけれど。先輩に文章や言葉がうまく伝わらないのはどうしてなんだろう。

やっぱり相性なのかもしれない。
それ以上に、私が抱いた、◯◯大学の平成△△年の入試問題への嫌悪感と同じようなものを強く感じてそこから拒絶しているかもしれない。そして拒絶されたから私も、といったように悪循環だなと思っている。

誰にでもわかるように伝えるって難しいな。
でもやっぱり嫌悪感が全てを掻っ攫ってしまってるところもあるだろうから、まずは私だけでも、嫌悪感を抱かず抱かさず話せる努力をしよう。

社会って難しいな〜。

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