【小さな植物園カフェ化計画番外編】植物だって生きてんだぞと、ガチで憤った日のお話~ミニ植物園の園長見習いとして、このポイントは譲れないゾ~【開運てなんだ?】
こんにちは、こんばんは、おつかれさまです、おはようございます。虎徹書林 エッセイ担当あらたまです。
今日は植物枯らし魔の名の返上途上にある不肖ワタクシが、たくさんの植物と接したからこそ抱いた『思い』について書いてみます。
植物だって生きてんだぜ?
動物愛護は盛んに叫ばれるけれど、植物はどうなのよ??
……みたいなことを、つらつらーっと。
それでは、本文に行く前に恒例の宣伝コーナーです🎶
薄気味悪い。居たたまれない。腑に落ちない。
読んだら『気疎い』気分になる……かもしれない??
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オカルトマニア、と言ってもかなり遠浅なゆるーいタイプですけど
私のnoteを継続的にお読みいただいてる皆様にはお分かりの方も居られると思いますが、私という人間は妖怪・お化けの類が大好きで、サブスクではホラー映画を観漁り、怖い話は一年中楽しんでいる……そういう界隈の隅っこの方で息をしております。
俗に「オカルト」と括られる分野です。
それなりの学問を授かる機会を与えられ、大学もガチガチ理系のとこで学位を授与していただきましたのに、何やってんだと滅茶苦茶怒られること暫しでございます。
一桁年齢の頃から、人間のお友達よりもそういった存在の事を読んだり聞いたりしてる方が、なんとなく落ち着くというかしっくりきたもんです。
途中から特撮ヒーローやロボットアニメが合流して、ますます女の子のお友達からは「救済せねば!」と突かれることになったりもしましたけれど、生来の頑固さが効いたのでしょう。
おかげさまでスクスクと……こんな感じに仕上がりました。
ライト勢にはライト勢なりの持論てものがあります
そんな不肖ワタクシでございますが。
長いこと『そういうモノゴト』に触れていますと、いっちょ前にも自分なりのスタンスってものが出来てくるんですな。
例えば。
昨今の、なんでもかんでも「妖怪のせいだよ!」とする風潮には、怪異派人権運動でもって対抗したいタイプです。差別よくない。都合の悪いことを簡単に妖怪・怪異・怪現象に押し付けんなド・アフォウゥ……てなもんです。
※それには怪異に人権はあるのか?という問題をクリアせねばならんのですが、それはまた別のお話で。
怪異たちの人権(?)を守るための科学的アプローチは大好き。脳科学や神経・心理学などは大変に興味深いですね。
ただ、それらを用いるならば「怪現象の嘘を科学で暴く!」だけじゃなくて「オバケが見えちゃう脳味噌メカニズムはこうだ!」というアプローチもあって然るべきだろう!と、暑苦しく拳を振り上げたりもします。これらは両輪で語られるべきだ!と。
これをして、視たくても視えない子ちゃんのコンプレックスなめんなよコノヤロー過激派組織の一員と呼ばれることもありますが、否定は致しません。
――つまり、そういう極端な持論に走ることもあるのです。
スイッチが入っちゃうとね。
そういう暑苦しい人格のスイッチがオンになる瞬間が、最近もありました。
風水?
スピリチュアル?
にしちゃあ……ずいぶんと業が深いんじゃありませんかね
オカルト界隈を広く広く調べ漁っていると、避けては通れない分野として開運法やパワースポットの情報があります。
それらの全てが悪いとは申しませんけども、一部にはホントに「そりゃないでしょ」という情報が然も有用情報みたいにまとめられていて……要するに、私、それらに対してマジで腹を立てたわけです。
みんな違って、みんな生きてんでしょう?
オカルト好きの方でなくとも、開運したいわとチラリと考えたことがある方ならば、今時はネットで『開運方法 インテリア』とか『風水 開運グッズ』などのキーワードで気軽に検索かけたりされるでしょう?
そういう文書をたまたま目にする機会がありまして。
あまりにもあまりな提言を読んだのです。
ザックリ書きますと開運したけりゃ葉っぱの丸い植物を買って飾れ、と。
開運したけりゃ?どういうこっちゃ??
でもって。返す刀で、サボテン等の刺がある植物や葉っぱが尖ってる植物は運気を切るからNGと。
NGってなんだ?
葉っぱが丸かろうが尖っていようが、薔薇の棘が痛かろうが、みんなみんな懸命に光合成してんだろうがよ??と。
あとね、飾るという言葉に引っかかりました。引っかかって、手を前につくことを忘れ、顔から地面に突っ込むように転んで鼻血だした……そのくらいの勢いで驚きました。
ハイ、過激派変身スイッチがonになっちゃったんですね。
植物はみな植物だ。それ以上でもそれ以下でもない
ホームセンターやインテリアショップで売られている植物たちは、鉢に植わって手軽に育てられるように見える体裁ですけども、みんなそれぞれの進化の道を辿ってその形になって生きてます。
いわば、ご先祖の環境適応能力を受け継ぎ、それを今の自らの生き様として体現しながら生きているのです。
みんな尊く、素晴らしい命です。そう思いません?
ていうか!
その鉢に植えてくれた、鉢に植えられるまでの大きさに育ててくれた、園芸の専門家の方の、植物への愛について考えたこと有んのかい!て思うの。
そもそも、です。
植物は人間を開運させるためだけに存在してるのじゃないのです。
植物だって生きたいから生きてる。私はそう思います。
その副産物的に、他の動物にも潤いや風を運び、住処を提供します。
魔術に精通する人々は、魔術道具として葉っぱや花を摘んだり枝を切り取って加工もするけど、その時には感謝の気持ちを植物に伝える祈りを捧げるなど相応しい手順を踏むと伝え聞きます。
生かし、活かされていることを、忘れたその瞬間から、開運もへったくれも無いんじゃないでしょうか?
可愛いフォルムだなあ、エレガントな佇まいだなあ、そんなふうに植物に心を囚われた人が、一目惚れした株をお迎えして毎日丁寧にお世話をして、気がつけば穏やかな日々を過ごしていたから「植物を迎えてから開運したみたい!」と仰るに至る。そういうストーリは、大変に説得力があるし理解できます。
植物の世話って地味に手がかかるのですよ。
日当たりの調整とか、温度と湿度の管理もあります。水やりの頻度だって、鉢の水だけじゃなく、葉っぱに霧吹きしたりとか。風を避ける種も有れば、積極的に風に当たりたいのもいます。
平たく言えば、自然界でその植物が好む環境を擬似的に作り出してやるってことであり、植物がスクスク育つ環境下で人間も生活するのですよってことです。
つまり、植物と暮らしてれば、人間もまた自然界の環境リズムの中に適応せざるを得なくなるということ。たまたま自分のリズムと植物のリズムが合えば、そりゃ心地良くも感じるでしょう?
丸い葉っぱの植物と暮らしてみて、心地よく共存出来たなら、きっと相性が良かったのね!てこと。その小さなハッピーを大切にした延長線上に開運した実感を得られたのなら、そう納得すれば良いのだと思います。あくまでも個人の実感という範疇で。
植物買ってくれば開運するんでしょ?ではない
買ってきたら、御部屋に飾って終わりではないのです。
お世話しなければ枯れます。
逆に、植物の特性を知らず、必要以上に水を与えては「早く開運させよ」と手を合わせるばかりで日光に当てないと、根から腐ります。
開運どころか、相手が犬や猫、その他愛玩動物、果ては人間ということならば虐待事件に発展する事案です。
開運という見返りだけを求めて植物をお迎えしないで欲しい。また、開運という基準で植物を選別しないで欲しい。
これはあくまでも、私一個人の願いであり、祈りです。
開運とは、運気の流れを変えて整えることだという説があります。
ならば、まずは窓を開けて空気の入れ替えをするとこらから始めてはどうでしょうか?そのあと、掃除機をかけてみる、テーブルを布巾で水ぶきする等、ゴミや埃を取り除くのもいいと思います。
それだけで気分がだいぶ違うと思いますよ?
清々しさを覚えると、目についた要らない物を整理しようかなという気分にもなるだろうし、シンプルに塩だけで味付けした料理の旨さに感動したりもするようになるかもしれません。
その一連を経て「最近の自分、なんかいい感じなんじゃない?うふふ♫」と実感するならば……身も蓋もない言い方をすれば、開運のメカニズムてのは行動心理学でどうとでも説明できてしまうような、セルフコントロールの一つの側面なのではないでしょうか?
だったら、その学問、もっと上手に活用して人間も他の生き物も無機物も、なるべくみんなハッピーな形で暮らして行こうよ!とご提案していけたらなあと、密かに目論む今日このごろです。
いかがでしたでしょうか?
いつもよりずっと暑苦しい仕上がりになってしまったこのnote、正直出すかどうか、大変迷いました。
しかしこれが私。日々胸の奥にこういう思いの断片を溜め込んで、発酵させたのを、良い頃合いまで熟成させたらこうなってしまいました。
植物だけでなく、全ての人と密接に関わる生き物たちが、穏やかに天寿を全うできる世の中になりますように……
あらたま
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