【2022年6月13日版】埋もれていても花は花……の日【妖異の前置き】
初めましての方、ようこそいらっしゃいました。
二度目以上お運びの方、本日もありがとうございます。
こんにちは、あらたまです。
一週間ぶりの『妖異の前置き』でございます。皆々様、いかがおすごしでしたか?
なんだか波乱の幕開けなのかしら?とため息交じりに始まった我が家の月曜日、とはいえ「くらし」は止められない日々の営みですのでそれなりに折り合いをつけています。
皆々様、どうぞご自愛くださいませね。
体に良いと勧められた食材でも、そればかり偏って食べていては、そりゃあ体も吃驚してバランスを崩すというものです……。
それでは、本日も始めて参りましょう。
いつもの拙著プチ宣伝のあとに、目次が続きますよ(^▽^)/
本日の扉写真
私は「誰にも均等に」という考え方に疑問を持ちながら育ちました。
かけっこでいつも一番になる子もいれば、バスケットボールで常に得点王になる子もいます。
そうやって運動が得意だからといって、算数が好きとも限りません。
運動も算数も苦手なのにやたらと電車に詳しい子もいましたし、プラモデルを誰よりもカッコよく作れる子もいました。
字が綺麗な子、面白い漫画を描く子……それぞれに「すっげええええ才能だ!」があるんだけど、なぜだかその才能に優劣や順位をつけたがるのもまた子供の世界。
子供の世界ってのは社会全体の縮図みたいなもんです。
漠然とではありますが、教室の中でクラスメイトを観察しつつ、読みたい本を読んでばかりの私は、体も小さいですし隅っこで「日が当たることの無い」生活が一生続くんだなと思っていました。
ある日、クラスのマドンナちゃん(バスケ部でリレーの選手で、すらっと背も高く顔も可愛くて、男女問わずみんなの憧れマドンナちゃん)と一緒に帰る約束を交わしてしまいました。
彼女は算数が苦手で、ずっと分数の計算ができなくて、大人になったら分数なんて要らない!とママが言ってたもん……ママの屁理屈をこの世の摂理みたいに掲げて、泣きながら算数ドリルに取り組んでいました。
子供心に切なく哀れで、かける言葉を失いました。待っている間暇を持て余して仕方なく、下校の準備を先に進めていると、こう言われました。
「あんたはいいよね、掛け算も割り算も、いっつも〇もらってばっかりじゃん」
正答を導いているから〇を貰ってるだけで、間違えたらちゃんと✕を貰っています。先生が依怙贔屓で〇をくれるわけないでしょう?
「あんただっていい思いしてんじゃん、いっつもリレーの選手で、運動会じゃない時もちやほやされてんじゃん」
――と、言い返すことができたら、どんなに良かったか。言い返せずに悶々とした日々は、何時しか月単位、年単位と積もり積もって今に至ります。
私は運動と早起きと給食が大嫌いで、総じて学校という場所だ大嫌いでした。
授業中はゲームに取り組むように教科書を読み、与えられた問題を解いて、先生が求める答えを提出していればいいので、ちょっとは気が楽なんですが……それでも「明日も学校いくの楽しみだな!」とは為りません。
子供はみんな幼稚園や学校が大好き。
子供はみんなお友達と遊ぶのが大好き。
子供はみんな無邪気。
子供はみんな純粋で、かわいい。
子供はみんな……子供はみんな……。
「あのさあ、みんなみんなって一緒くたにしないでくれない?」
そう言いたくても、その言葉を持たない――というか、頭の中の言葉を口から音として出すのがどうにも苦手な子供でした。
だから、前述のようにちょいと人気者のご機嫌が斜めの時には、八つ当たりされるが儘でした。絵が上手な子には、作文が褒められたことについて何故か悪口を言われました。
そうかと思うと、気まぐれで「一緒に帰ろう」「今度の遠足、同じ班になろう」と誘われると、きちんと断るということができずにずるずると……。
ほんとに、学校ってめんどくさくて、毎日毎日憂鬱でした。
憂鬱といえば今時分、梅雨の湿気と冷えに悩まされておりますが、小学生の頃はこの季節少々ホッとしたものです。体育の授業がこじんまりした屋内向けの運動に置き換わり、雷でも鳴れば、職員室上にある大時計の、そのまた上の避雷針を眺めてニヤニヤできたからです(←不謹慎)。
そして、私が好きな花紫陽花が咲きます。
くす玉のようにまん丸、たくさんの花(正確には『がく』だそうです)が寄せ集まってるさまは、とても微笑ましく可愛いものです。
オバチャンになった今でも、ついついカタツムリが居ないかどうか、探して帰りが遅くなってしまったりします。
ところが近所を歩いていると、まん丸に咲いてる紫陽花以外にも扉写真のように疎らな咲き方をする紫陽花も少なくありません。
よくよく見ると『がく』に穴が開いていたり、一部が虫か何かに破られていたりもします。
私はね、こういう野ざらし感ある紫陽花も、大好きです。むしろ肩寄せ合って咲いてる一つ一つに事情や都合や主義主張があるみたいで、ついつい足を止めて見入ってしまうんです(不審者通報されない程度にお花見させていただいております)。
物言わぬからといって、紫陽花は不平不満が無いとは限りません。赤く咲いてみたい、青が良かった、最近はやりの白ってどうなの?……たくさん、たくさん、言いたいことがあるかもしれません。
大きさも形も素晴らしく整った『がく』ばかりを寄せ集めたからといって、ハッとするような美しさを備えた紫陽花になるとも限りませんしね。
強く美しいものに、人は靡きがちです。
小さく主張が乏しいものを、人はつい見落とします。
主義主張を積極的に叫ぶのは、生き馬の目を抜くようなこの時代には必要とされる技術なのだろうと理解はできますが、そこは得手不得手あります。得意な場所・道具が見つかった人は、たぶん幸せな人なんだと思います。
大きな声で元気よく意見が言えなかったとしても、落ち込まないで欲しいなあ。
同じように口ごもっている子を見かけたら、無理に意見を求めず、願わくば何か話し出すのを待っててあげてもらえませんか。
ぜんぜん関係ない事を話し出しても、耳を傾けてもらいたいです。話すうちに頭の中がすっきり纏まって、もしかしたら泣き出すかもしれないけど、一番聞いてほしいことを言ってくれるかもしれません。
言いたいことあるならハッキリ言いなさい!と怒られ、言えたら苦労しねーわバーカ!と言えず更に悶々とし泣いてばかりだった、元小学生女子からの小さなお願いです……。
今週のnoteは?
先週のうちに、noteの下書きを用意しておりましたが、おうちのなかの雲行きが怪しくなってきています。
私一人の都合ならばある程度予測が立てられるモノですが、こと家族のこととなりますと……長年同じ屋根の下に暮らしていても、同一人物にはなれません。あれこれ相談しつつ、乗り切ってまいります。
noteの更新もその時その瞬間の状況に合わせていくかたちをとります。
御理解の程、何卒、よろしくお願いいたします。
皆様からのご質問をお待ちしております。
きものに関する素朴な疑問や小話テーマ、タロットに関するプチ質問、その他諸々「なんか聞いてみたい!」ということがございましたら、質問箱或いはコメントでお待ちしております。
というわけで
類は友を呼ぶ。
笑う門には福来る。
どちらも同じような「現象」についての諺なんですが、これは本当にその通りだなあと痛感する出来事が続いています。
人に優しくされたいならば、先ずは自分に優しく。
人が離れていっても心が安らかならば、その御縁は役目を終えた証。
自分のために楽しく在れば、それは身近な人の楽しみになり、やがて楽しい人々が集まる「場」となるのでしょうね。
今週も出来る範囲で、楽しく在りたいと思います。皆様もどうぞ素敵な一週間をお過ごしになれますように。
あらたま
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